第9章 アクシデント
【意外な低倍率、トリプル合格の衝撃】
10月採用枠の募集要項を精査した陽雅は、大きなチャンスが訪れていることを確信した。
この「10月採用」は、翌年3月に卒業を控える現役の高校生・大学生は受験できず、さらに一般の会社員にとっても「合格後すぐに転職・退職しなければならない」というスケジュールの厳しさから、通常の4月採用に比べて受験者数が大幅に絞り込まれる傾向にあったのだ。
(ライバルが少ない……! 進先生の言った通り、最高の穴場だ)
陽雅は「枚方寝屋川消防組合」「大阪市消防局」「京都市消防局」の三つに絞り込み、相次いで筆記試験に挑んだ。
試験本番、ボクシングで培った集中力を発揮したものの、解き終えた後の感触は決して芳しいものではなかった。
(アカン……数的処理で時間がかかりすぎた。文章理解も自信がない……)
手応えのなさに落ち込んでいた陽雅だったが、数週間後、マイページを開いた彼は自分の目を疑った。
『枚方寝屋川消防組合:一次試験合格』
『大阪市消防局:一次試験合格』
『京都市消防局:一次試験合格』
「う……ウソだろ……!? 三つとも、突破してる……!?」
低倍率という追い風に加え、朝型の勉強スタイルと進への質問攻めで効率よく鍛え上げた成果が、見事に花開いた瞬間だった。
【熱狂の四条通、足止めされた足】
トリプル合格の歓喜も束の間、すぐに二次試験(面接・実技)の日程が押し寄せてきた。
その中でも特に緊張して迎えたのが、憧れの「京都市消防局」の面接当日だった。
7月中旬の京都。
この日はあいにく、京都の夏を彩る「祇園祭」の宵々山・前祭の真っただ中だった。
陽雅は早めにアパートを出たものの、阪急電車や京阪電車の主要駅は、全国から訪れた観光客と祭り客の凄まじい熱気に包まれ、ホームに人があふれかえっていた。
電車は大幅に遅延し、駅のホームで身動きが取れなくなる。
(まずい……! 電車が動かない……!)
心拍数が一気に跳ね上がる。
ボクシングのタイトルマッチ前の比ではない冷や汗が吹き出した。
スマートフォンの時計は無情にも刻々と刻まれていく。
駅員からは「大規模な交通規制と混雑により遅延が発生しています」とのアナウンス。
陽雅は判断を迫られた。
このまま動かないバスに頼るか、混雑の中でも最寄りの駅から走るか――。
(バスに乗ったら渋滞に巻き込まれて完全に終わる! 電車の遅延証明をもらって、駅から走るしかない!)
【ギリギリの滑り込み、運命を分けた選択】
駅の改札で遅延証明書をひったくるように受け取ると、陽雅は京都市消防局の指定会場に向けて猛ダッシュした。
骨折の傷はもう完全に癒えている。
かつてロードワークで鍛え上げた足腰が、京都の街並みを蹴り上げた。
「ハァ……ハァ……! 失礼します! 松田陽雅です! 電車の遅延で……!」
集合時間のわずか二分前。
汗だくになりながら会場の受付に滑り込んだ。
案内係の職員は、陽雅の差し出した遅延証明書を確認すると、優しく頷いた。
「公共交通機関の公式な遅延証明がありますね。大丈夫ですよ、ギリギリですが間に合いました。息を整えて控え室へ入ってください」
胸を撫でおろした陽雅だったが、控え室に入ってしばらくすると、会場の空気が異様に緊迫していることに気づいた。
面接官の厳しい声が廊下に響いていた。
「バスで来られた方の遅延ですか? 祇園祭の交通規制は事前の公知事項です。バスの渋滞は『予測可能な遅延』とみなされ、公共交通の不可抗力とは認められません。大変残念ですが、失格となります」
控え室の何人かの席が、空席のまま残されていた。
バスを選んだ受験生たちが、祇園祭の深刻な道路渋滞に巻き込まれ、面接を受けることすらできずに即座に失格となっていたのだ。
(危機管理の選択ひとつで、明暗が分かれた……)
心臓の鼓動が激しく打ち鳴らされる。
老占い師の『最高にラッキーな未来が待っている』という言葉が、再び脳裏をよぎった。
運も味方につけた。
ギリギリで掴み取ったこの面接の機会――。
陽雅はハンカチで額の汗をぐっと拭うと、自分のすべてを面接官にぶつけるため、背筋をピンと伸ばして呼ばれる瞬間を待った。




