第8章 アルバイト先の閉店
【告げられた閉店、断ち切られた糧】
勉強も順調に進み、体力も試験の基準値をクリアできるレベルまで戻ってきたある日の深夜。
バイト先の居酒屋でいつものように閉店作業をしていた陽雅は、店長から打ち上げのビールを渡されるとともに、重い事実を告げられた。
「陽雅、急な話で悪いんだが……うちの店、今年の年内いっぱいで畳むことになった」
「えっ……閉店、ですか!?」
驚く陽雅に、店長は申し訳なさそうに頭をかいた。
「ビルの老朽化で取り壊しが決まってな。本当はもう少し先のはずだったんだが、急に決まっちまった。お前には急な話で本当に申し訳ない」
陽雅の頭の中を焦りが駆け巡った。
居酒屋のアルバイトは、日々の生活費と予備校の分割払いを支える唯一の資金源だった。
もし年内でバイトを失えば、今年に内定を得ても来年4月の消防学校入校を待つ間の生活費が途絶えてしまう。
(嘘だろ……。バイトを新しく探し直すとなると、また面接や研修で勉強の時間が削られる。来年4月の採用まで、俺の資金が持つわけがない……)
せっかく取り戻しかけていたリズムと希望が、足元から崩れ去っていくような強烈な焦燥感に襲われた。
【進の提示した「10月採用」という一手】
翌日、居酒屋の閉店による焦りと不安を抱えたまま、陽雅は予備校の進のもとへ駆け込んだ。
「伊崎先生、助けてください。バイト先が年内で閉店することになりました。このままじゃ来年4月採用の試験まで生活が持ちません。新しいバイトを探すべきでしょうか……」
息を弾ませて相談する陽雅に対し、進は驚く様子もなく、いつもの穏やかな手つきでメモ用紙にペンを走らせた。
『松田さん、焦る必要はありませんよ。消防官の採用は、何も「来年4月」だけではありません』
「え……? 4月以外にもあるんですか?」
目を見張る陽雅に、進は手際よく「10月1日採用」の仕組みについて書き加えていく。
『大都市圏(大阪市や京都市などの政令指定都市)や一部の広域消防組合では、春や夏に試験を行い、その年の「10月1日付け」で採用する10月採用枠(秋採用・早期採用)を実施している自治体が数多く存在します』
進はメモ用紙の「10月採用」という文字を力強く丸で囲んだ。
『あなたはすでに既卒・社会人の立場です。この10月採用枠であれば、春か夏の試験を突破すれば今年の10月から正式に消防学校に入り、その後は消防官として給料をもらいながら働き始めることができます。年内でバイトがなくなろうと、それより遥か前に消防学校に入れば良いだけの話です』
【開かれた早期内定への道】
進の提示した「10月採用」という選択肢は、陽雅にとってまさに絶望の暗雲を切り裂く一筋の光だった。
『10月採用で入庁すれば、10月から都道府県の消防学校に「秋入校」し、半年間の初任科研修を受けることになります。生活の心配をするどころか、いち早く夢だった「命の現場」へ飛び込むことができるのです』
進は用紙の余白に、注意事項として素早く追記した。
『ただし、自治体によっては「10月採用枠」と「翌年4月採用枠」の併願を不可としているところもあります。どの自治体を第一志望にしてアプローチするか、募集要項を精査して戦略を立てましょう』
進の客観的で完璧な提示に、陽雅の胸の中にあった焦りは、一瞬にして猛烈なやる気へと変換された。
(年内閉店に焦っている暇なんてない。来年の4月どころか、今年の10月に消防官になってみせる……!)
「……伊崎先生、ありがとうございます! 10月採用で入れるように試験に照準を合わせて、今すぐ志望先を絞り込みます!」
力強く宣言する陽雅に、進は頼もしく微笑み、親指をぐっと立てて見せた。
ピンチは、いつだってチャンスの裏返しだ。
アルバイト先の閉店というアクシデントすらも味方につけ、松田陽雅は「今年10月での消防官採用」という最速のゴールへ向かって、圧倒的なスピードでスパートをかけ始めた。




