第6章 思わぬ体調不良
【忍び寄る激痛、見えない傷跡】
進のアドバイスに従い、「朝型の勉強」と「分からない問題をプロに頼る」スタイルに切り替えてから、陽雅の学習効率は劇的に向上した。
あんなに拒絶反応を起こしていた数的処理の図形問題も、ゲームのパズルを解くような感覚で理解できるようになり、模試の点数も少しずつ伸び始めていた。
(いける……! 勉強のコツさえ掴めば、消防の教養試験も怖くないぞ)
久しぶりに手ごたえを感じ、胸のつかえが下りた陽雅の心は軽やかだった。
しかし、そんな充実感に水を差すように、予期せぬ異変が彼の身体を襲う。
最初は、朝起きた時の肋骨あたりの鈍い違和感だった。
「居酒屋の立ち仕事と朝勉強の疲れかな」と高をくくっていたが、日を追うごとに痛みは鋭さを増していく。深呼吸をするだけで胸に激痛が走り、ペンを握る右腕を机に載せるだけで、肩から背中にかけて痺れるような激痛が突き抜けた。
「ぐっ……! なんだ、この痛み……っ」
バイト先でジョッキを持つ手すら震えるようになり、ついに激痛で夜も眠れなくなった陽雅は、耐えかねて総合病院の整形外科へと駆け込んだ。
【リングの残骸、突きつけられた診断】
レントゲンと精密なCTスキャンを終え、診察室に呼ばれた陽雅を待っていたのは、眉間にシワを寄せた医師の重苦しい表情だった。
「松田さん……これ、よく今まで普通に生活できていましたね」
医師が見せてくれた画像には、陽雅の骨のあちこちに、くっきりと白い線が走っていた。
「肋骨に二箇所、そして右手首と鎖骨の近く……複数箇所の骨に『疲労骨折』と『ヒビ』が入っています」
「えっ……ヒビ……!? どこかで強くぶつけた記憶なんてないですが……」
呆然とする陽雅に、医師は静かに首を振った。
「ボクシングをやられていましたね。激しい打撃のダメージというのは、その瞬間にはアドレナリンで気づかず、時間が経ってから骨の微小な損傷として表面化することがあります。全日本ランカーレベルの猛烈な打ち合いを続けていた反動が、引退して緊張が切れた今になって、一気に身体を蝕んだのでしょう」
網膜剥離だけで終わっていなかったのだ。
青春のすべてを賭けて殴り合い、耐え抜いてきた代償が、目に見えない「骨の悲鳴」となって、今頃になって陽雅の身体を容赦なく破壊していた。
「速やかに局所の固定と安静が必要です。無理をすれば骨が変形して完全に折れますよ。当面は重いものを持つことも、同じ姿勢で長時間座り続けることも厳禁です」
【第一七章:奪われた日常、進まぬペン】
治療と療養の日々が始まった。
患部を固定され、激痛を抑えるための鎮痛剤を飲む毎日。身体を少し動かすだけで激痛が走るため、居酒屋のアルバイトは長期休業を余儀なくされた。
そして何より残酷だったのは、「勉強」すらまともにできないことだった。
机に向かって少し首を傾け、ペンを握ろうとするだけで、鎖骨と手首に電撃のような痛みが走る。
痛みのあまり集中力は吹き飛び、一ページ読むだけで全身から嫌な汗が噴き出した。
横になってテキストを開こうとしても、肋骨の痛む胸ぐらが圧迫され、まともに文章を追うことすらできない。
(ウソだろ……。せっかく勉強が楽しくなってきたのに……! なんで今なんだよ……!)
ベッドの上で天井を見つめながら、陽雅は悔しさに歯を食いしばった。
試験までのカウントダウンは、無情にも一日、また一日と刻まれていく。
周りの受験生たちが着実に知識を蓄えている間、自分は激痛に耐えながら、ただ横になっていることしかできない。
テキストのページをめくることすら許されない焦燥感。
ボクシングを奪われ、今度は消防官への夢すらも「ボクシングの負の遺産」によって奪われようとしている現実に、陽雅は激しい絶望の淵へと引きずり込まれていった。




