第4章 予備校に行く決断
【孤軍奮闘の限界、届かなかった一次】
独学でやり切る――それが誠治の最初の決意だった。
予備校に通う余裕など金銭的にも精神的にもない。
何より、公務員試験予備校は、学生が行くところだと誠治は思った。
社会人も、少しは通っていることは知っていた。
しかし、それは30歳くらいまで…せいぜい40歳手前までだろうと思った。
(50代になって公務員試験予備校に通うなんて)
そう誠治は考えていた。
かつて勉強が得意だったというささやかなプライドもあった。
市販の過去問題集を買い込み、警備員のバイトの合間を縫って深夜まで机に向かう日々を重ねた。
しかし、秋に行われた初めての一次試験(筆記試験)。
張り詰めた試験会場の空気の中で、誠治のペンは思うように動かなかった。
(……おかしい。解き方は分かっているはずなのに、頭が真っ白になる……)
数的処理の図形問題を見つめていると、不意にあの「上條改革」の悪夢や、介護で追い詰められていた当時の焦燥感がフラッシュバックし、手心が激しく震え出す。
昔なら軽々と解けていた計算問題にも異常に時間がかかり、制限時間を示す無情なチャイムが教室に響き渡った。
数週間後、自宅に届いた通知は「不合格」。
自己採点の結果は壊滅的だった。
原因は明らかだった。
二十年以上のブランクによる「試験勘の鈍り」だけではない。
何よりも、独学で部屋に閉じこもって勉強している孤独と不安。
誰にも相談できない毎日。
それが、本番の極限状態のプレッシャーを作り出していたのだ。
【突きつけられた現実、二つの巨大な壁】
不合格の通知を握りしめ、誠治は深くため息をついた。
(このまま独学を続けても、来年も同じことの繰り返しになる……)
冷徹に自分の現状を分析し直した誠治は、さらなる深刻な事実に思い至った。
仮に奇跡的に一次の筆記試験を突破できたとしても、その先に待っているのは「論作文試験」と「人物面接」という、独学では到底太刀打ちできない二つの巨大な壁だった。
論作文では、現代の行政課題に対する的確な知見と論理構成が問われる。
十数年の空白期間がある自分に、今の国の政策に沿った答案が書けるだろうか。
そして何より、最大の難所である「人物面接」。
『なぜ、二十年以上勤めた市役所を辞めたのですか?』
『この十年間、あなたは何をしていたのですか?』
面接官から絶対に投げかけられるこの痛烈な質問に対し、独りの部屋で練習しているだけでは、どうしても言い訳がましくなったり、声が震えて言葉が詰まってしまうのだ。
(一人で抱え込むのは、もうやめよう。これはプライドを捨てる戦いだ)
かつて市役所で一人で介護と仕事を抱え込み、誰にも頼れずに潰れていったあの過ちを、誠治は二度と繰り返したくなかった。
プロの手を借り、客観的な視点で自分を徹底的に鍛え直す必要がある。
【予備校の門を叩く覚悟】
誠治は決意を固め、警備員のバイトでコツコツ貯めていたわずかな貯金口座を確認した。受講料を出せば、生活はさらに切り詰めなければならない。だが、人生最後の挑戦に全てを賭ける価値は十分にあった。
「就職氷河期世代 公務員試験対策 予備校」
インターネットで検索を重ねる誠治の目が、ある実績ある予備校の案内に留まった。
そこには、単なる筆記対策だけでなく、氷河期世代特有の深い悩みや空白期間を抱えた受講生に対し、個別の面接指導や論作文の添削を徹底して行うカリキュラムが紹介されていた。
そして、異色の経歴を持つ受験生を何人も合格へと導いてきた講師の存在も知る。
(ここなら……俺のこの『傷だらけの二十年』を、逃げずに受け止めて指導してくれるかもしれない)
誠治は意を決して受講相談の予約を入れると、古びたスーツに袖を通した。
独学という頑なな殻を破り、浜崎誠治は新しい指導者を求めて、予備校の扉を叩くべく歩み始めた。
(多少、費用がかかっても良い。絶対に国家公務員氷河期採用に受かるんだ)
誠治の決意は、固かった。
大阪の街に吹く風は冷たかった。
でも誠治の心は、これまで以上に熱く燃えていた。




