第10章 大阪国税局内定
【鳴り響いたベル、大阪の異変】
面接から二週間ほどが経った、八月のある日の午後。
自習室で他の併願先の勉強をしていた潤一郎のスマートフォンが、机の上で激しくバイブレーションを始めた。
画面を見ると、見覚えのない固定電話の番号が表示されている。
急いで廊下に出て通話ボタンを押すと、受話器の向こうから重みのある落ち着いた声が聞こえてきた。
『渡辺潤一郎さんでしょうか。こちらは、大阪国税局の採用担当の者です』
「――っ、はい! 渡辺です!」
心臓がドクンと大きく跳ね上がった。
『先日は二次試験の面接、大変お疲れ様でした。本日は、渡辺さんの面接での評価が極めて高かったことをお伝えしたく、個別にご連絡いたしました。……国税局としては、渡辺さんのようなバイタリティと人間力のある人材を、ぜひ我が局に迎え入れたいと強く考えております』
潤一郎の頭が真っ白になった。
「あ、ありがとうございます……!」
『つきましては、最終合格発表後に採用面接がありますが、もし渡辺さんが国税局を第一志望として来ていただけるのであれば、その場で即日内定を出せるよう、席を確保しておきたいと考えております。他の省庁や民間企業への就職活動を終了し、当局へ来ていただくという意思に変わりはありませんでしょうか』
「もちろんです! 私の第一志望は、最初から大阪国税局です。ぜひ、働かせてください!」
『素晴らしい返答をありがとうございます。では、合格発表後の採用面接でお待ちしております。体調に気をつけてお過ごしください』
電話が切れた後も、潤一郎はしばらくスマートフォンの画面を見つめたまま、微動だにできなかった。
【舞台裏の『A』、上位合格の証明】
夕方、京都校の講師室に駆け込んだ潤一郎は、進の前に立つなり興奮を抑えきれずに報告した。
「伊崎先生! さっき、大阪国税局の人事から『ぜひうちに来てほしい』って電話がかかってきたんです! これって……!」
報告を聞いた進は、珍しく目を見開き、それから深く感心したように眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……やりましたね、渡辺さん。それは俗に言う『囲い込み電話』、事実上の内々定です」
「囲い込み……。でも先生、受験生の間では『大阪国税局は囲い込みを原則しない』って噂じゃなかったでしたっけ?」
「ええ、その噂は半分正しく、半分は間違いです」
進はホワイトボードに向かい、丁寧に図を書き始めた。
「大阪国税局は東京などと違って、電話を乱発しません。方針が変わる年もありますが、基本的には面接で『A評価』をもぎ取った、ごく一握りの最優秀層・上位合格者にしか、事前にこのアプローチは行わないのです。つまり、あなたのあの面接での『フリートーク』が、国税局の面接官たちを完全に唸らせ、一発で彼らの心を射止めたという証明ですよ」
進は振り返り、満面の笑みで潤一郎の肩を叩いた。
「筆記試験の四割台後半という『スベり気味の初盤』を、あなたは面接という名の最大の見せ場で、完璧な大逆転に持っていきました。お笑い芸人の舞台で大爆笑をかっさらったと考えてください、……いや、圧倒的な大勝利です。本当におめでとうございます」
「先生……」
潤一郎の視界が、じわじわと涙で滲んでいった。
親の大反対を押し切って飛び込んだお笑いの世界。
三分の二が脱落する地獄を耐え、一個の塩むすびを具がないという理由で半分に分け合った極貧の日々。
相方に裏切られ、泥水をすすらされたあの奈落の底から、自分はついに、自分の言葉の力だけで、国家公務員という新しい舞台へと這い上がったのだ。
平成25年、秋。
元お笑い芸人・渡辺潤一郎の胸には、かつて道頓堀のセンターマイクを目指した時以上の、誇り高い正義の火が灯っていた。
傷ついた過去のすべてを最高の「ネタ」に変えて、彼は今、正直者が報われる社会を作るための新しいステージへと、堂々と足を踏み出していく。




