第7章 税務署訪問
【最初の関門、税務署の重い扉】
第一志望を国税専門官に定めた潤一郎に、進は次なる具体的なアクションを促した。
「渡辺さん、志望動機をさらに本物にするために、実際の『税務署訪問』に行ってみてください。ネットやパンフレットの文字をなぞるだけでは分からない、本物の現場の空気、働く人々の熱量を肌で感じるのです。それが面接での最大の武器になります」
進のアドバイスに従い、潤一郎はアポイントメントを取り、近隣の税務署へと足を運んだ。
案内された一角で潤一郎を待っていたのは、若手の国税専門官の職員だった。
スーツをきっちりと着こなした知的な佇まいに、潤一郎はかつてない緊張感を覚えたが、相手は元芸人という異色の経歴を持つ潤一郎を、温かく、そして真摯に迎え入れてくれた。
「ようこそお越しくださいました、渡辺さん。今日は国税専門官の仕事について、隠さず何でもお話ししますね」
【果てなきアップデート、税法の迷宮】
担当職員の話は、潤一郎にとって驚きと発見の連続だった。
税務調査や徴収といった代表的な仕事の裏側には、想像を絶する「勉強の連続」があることを、職員は苦笑いを交えながら明かしてくれた。
「実は、国税専門官というのは、採用されてからも定年まで勉強し続けなければならない仕事なんです。税法というのは毎年、非常に複雑な法改正が行われます。新しいビジネスが生まれれば、それに伴って新しい課税の抜け道も生まれる。私たちは常に机に向かい、最新の判例や税制、さらには会計学の知識をアップデートし続けなければなりません。学ぶことをやめた瞬間、私たちはプロとして仕事ができなくなるんです」
ひたすら勉強し続けなければならない仕事。
その言葉を聞いた瞬間、潤一郎の胸の中で、ある強烈な「既視感」が湧き上がってきた。
(……それって、芸人の世界と全く同じじゃないか)
【磨き続ける宿命、二つのプロフェッショナル】
お笑い芸人もまた、一度ネタを作って売れれば終わりという世界ではなかった。
世間の流行、観客の空気、時代のコンプライアンス。
それらは目まぐるしく変化していく。
昨日まで大爆笑を取れていたネタが、今日にはもう古臭くて全く通用しなくなることなど日常茶飯事だった。
だからこそ、売れている先輩たちも、若手も、毎日毎日テレビやニュースを食い入るように見つめ、社会の動きをインプットし、深夜までネタを書き直して「アップデート」し続けていたのだ。
(一生、勉強し続ける。そうやって自分を磨き続けた者だけが、マイクの前で、あるいは調査の現場でプロとして立てるんだ)
そう気づいた時、潤一郎の心から「勉強への恐れ」が完全に消え去った。
自分は決して、お笑いを諦めて「全く別の退屈な世界」へ逃げ込むわけではない。
形を変え、土俵を変え、もう一度あの頃のように自分を磨き上げる、クリエイティブでタフなプロフェッショナルの世界へ挑戦するのだ。
「渡辺さん? どうかされましたか?」
考え込む潤一郎に、職員が不思議そうに声をかけた。
「あ、いえ……! 素晴らしいお話を聞けたと思いまして。国税専門官が、どれだけストイックで、誇り高い仕事なのかがよく分かりました。自分も必ず、皆さんの仲間入りをしてみせます」
税務署の玄関を出ると、見上げた空はどこまでも青く澄み渡っていた。
一生勉強、一生アップデート。
元芸人・渡辺潤一郎の胸に、かつてないほどの熱いモチベーションが宿った。
彼はそのまま一歩一歩を踏みしめ、京都の予備校へと向かった。
自習室のデスクで待つ、難解な税法や会計学のテキスト。
それらはもう、冷たい試験勉強の道具ではなかった。
自分が再びプロとして輝くための、新しい「ネタ帳」に見えた。
潤一郎の眼差しは、新しい何かを見ていた。
それは、芸人生活を経たことで身に付けたスキルを、公務に活かす新たな挑戦だった。




