第6章 国税専門官を目指す決意
【進路のカウンセリング、揺れる選択】
入校手続きを済ませ、本格的に講義が始まってから数週間。
潤一郎は数的処理や憲法の基礎講義に必死に食らいつきながら、日夜自習室でペンを走らせていた。
ある日の講義後、進との定期面談の時間がやってきた。
個別面談室に呼ばれた潤一郎が席に着くと、進はいつものように丁寧な所作で一礼し、穏やかに問いかけてきた。
「渡辺さん、講義のペースには慣れてきましたか? 今日はそろそろ、具体的にどの公務員試験を第一志望に据えていくか、併願戦略も含めてご相談させてください」
「はい、お時間をいただきありがとうございます」
潤一郎は背筋を伸ばし、自らの考えを口にした。
「最初は、無料法律相談で自分を救ってくれた市役所……私の地元の奈良市や生駒市、大阪市役所のような身近な地方自治体がいいなと考えていました。市民の方に一番近い場所で、セーフティネットになりたいと思っていたんです」
進は「なるほど」と頷き、ノートにペンを滑らせる。
「ええ、地方公務員は非常にやりがいのある選択肢です。ですが、渡辺さんの表情を見ていると、それとは別に何か別の考えも芽生えてきているようですね?」
【歪んだ金の流れ、国税官への思い】
進の鋭い洞察に、潤一郎は少し照れくさそうに頭を掻いたが、すぐに真剣な表情になって頷いた。
「はい。実は、テキストを読み、色々と公務員の職種を調べていくうちに、どうしても気になる仕事が出てきまして……。第一志望を、国税専門官にしたいんです」
「ほう、国税専門官ですか」進は眼鏡の奥の目をわずかに細め、促した。
「国税専門官は、国の財政基盤を支えるために、適正な徴税や査察を行う、極めてプロフェッショナル性の高い仕事です。渡辺さんがそこに強く惹かれた理由は、何だったのでしょうか」
潤一郎は、自分の過去の生々しい体験を思い起こしながら、一言一言に力を込めて語り始めた。
「私自身、相方にギャラを持ち逃げされ、さらに事務所から理不尽な違約金請求を突きつけられました。あの時、力のない若手芸人から、言葉巧みに金や利権をむしり取ろうとする『歪んだ金の力』を身をもって知ったんです。社会には、法律の知識がないことをいいことに不当に私腹を肥やす人間や、本来納めるべき税を誤魔化して、正直者が馬鹿を見るようなズルいマネをしている奴らがたくさんいます」
潤一郎の言葉に、進は深く、静かに頷いている。
「一方で、尊敬するある ベテランの芸人の人の言葉が印象に残っています。その方は『私は今まで人に恥るような納税をしたことはない。どんなに苦しくても、誠実に税は納めてきた。若手の子たちも、そういうことはしっかりやってほしい。芸人である前に、まず人として勤めを果たすことだ』と言っていたんです」
進は、感心して聞いていた。
潤一郎が続ける。
「お笑い芸人として泥水をすすってきたからこそ、泥臭く汗水垂らして働いている一般の市民の皆さんの金の重みが分かります。だからこそ、税金の公平性を守るために、不正な金の流れを徹底的に暴き、正義を貫く『国税専門官』という仕事に、これ以上ない強い魅力を感じるようになりました。私のような元芸人の言葉の引き出しや、相手の懐に入るコミュニケーション力も、タフな税務調査の現場で必ず活かせると思うんです」
【進の太鼓判、第一志望の決意】
潤一郎が熱く決意を語り終えると、進は満足そうに微笑み、ペンを置いた。
「素晴らしい志望動機ですね、渡辺さん。まさに、あなたにしか語れない『魂の乗った言葉』です。おっしゃる通り、税務調査の現場で最も求められるのは、単なる法律の知識だけではありません。頑なになった相手の心を解きほぐし、本音を引き出すための『人間力』であり、タフな交渉力です。お笑いの世界で死ぬ気で人間関係を築き、言葉を磨いてきたあなたにとって、国税専門官は天職になり得ると思います」
進は資料を広げ、国税専門官の試験科目を指し示した。
「国税専門官の試験は、憲法や行政法に加え、経済学や会計学といった専門科目があります。かなりの難問が出ます。でも、真面目に取り組めば、必ず突破できます。もちろん、併願先として当初志望していた市役所も受験しましょう。第一志望は『国税専門官』。これで決まりですね」
「はい! よろしくお願いします!」
目標が定まった。
かつて一個の塩むすびの具の有無で喧嘩を恐れていた男が、今度は「国家の財政と公平な正義」を守るため、ペンを武器に巨大な数字の壁に挑む。
渡辺潤一郎の受験ロードマップに、太く揺るぎない一本の道が、今、明確に描き出された。




