第6章 驚きの返信
【静寂の部屋、鳴り響く不協和音】
面接が終わった日の夕方。這う失意のままに実家へと帰り着いた翼のスマートフォンが、ポケットの中で何度も短く震えていた。
画面を見ると、大学時代のバンド仲間や、音楽活動を通じて知り合った友人たちからのメールが次々と届いている。
『面接どうだった?』
『県庁の最終やろ? 応援しとるで!』
悪気のない、純粋な好意からの言葉。
しかし、今の翼にとってそれらは、傷口に塩を塗り込まれるような鋭い痛みを伴うものだった。
「採用しようとは思わなかった」という面接官の冷酷な声が、耳の奥で何度もリフレインする。
翼は震える指先で、すべてのメッセージに対して一律に、ただ一言だけを返した。
『何も聞かないでくれ』
玄関を開けると、夕食の支度をする匂いが漂っていた。
リビングにいた両親は、部屋に入ってきた翼の、幽霊のように青ざめた顔と、ただ事ではない絶望の気配を一瞬にして察知した。
二人はかける言葉を見つけられないまま、何も言わずにただ視線を落とした。
それが、せめてもの優しさだった。
しかし、そんな重苦しい空気を読まない者が一人いた。
同居している大学生の弟だった。
「あ、兄貴。県庁の最終面接、どうやった?」
階段を上ろうとする翼の背中に、ストレートな問いが飛ぶ。
「放っといてくれ」
翼は怒気を含んだ声でそれだけを吐き捨てると、自分の部屋に逃げ込み、バタンと激しくドアを閉めた。
ベッドに倒れ込み、天井を見つめる。
暗闇の中で、必死に作り笑いを浮かべようとして引きつった自分の顔が思い出され、猛烈な羞恥心と悔しさがこみ上げてきた。
あの理不尽な質問を前に、自分はただ怯え、歪んだ笑顔を浮かべることしかできなかった。
音楽を諦め、退路を断って挑んだ挑戦の結末がこれなのか。
部屋には、主を失ったアコースティックギターが、ただ静かに佇んでいた。
【予備校への伝言、進の眼差し】
それから数日が経った。
合格発表の日が近づくにつれ、翼の心は完全に冷え切り、予備校の講義や自習室からも足が遠のいていた。
あの面接室での出来事を思い出すだけで、動悸がして体が動かなくなるのだ。
しかし、このまま何も言わずに消えることだけは、自分をここまで導いてくれた伊崎進講師に対してあまりにも不義理だ。
そう考えた翼は、夜遅く、パソコンから予備校の進のアドレス宛に、一本のメールを送った。
件名 最終面接のご報告(花咲翼)
> 伊崎先生
> ご無沙汰しております。花咲です。
> 先日、県庁の最終面接を終えました。ご報告が遅くなり申し訳ありません。
> 結論から申し上げますと、手応えは全くありません。面接官から「あなたを採用しようとは思わない」と面と向かって宣告されました。最後の笑顔も、ショックのあまり引きつってしまい、先生に言われた通りにできませんでした。
> 筆記からここまで引き上げていただいたのに、このような結果になり、本当に申し訳ありません。たぶん、不合格だと思います。
メールを送信し、画面を閉じた。
これで、自分の公務員試験は本当に終わった。
そう思った。
翌朝、京都校の講師室でパソコンを開いた進は、翼からのメールをじっくりと読み進めていた。
「採用しようとは思わない」というあまりにも凄惨な圧迫面接の記述。
しかし、進の表情に驚きの色は全くなかった。
それどころか、眉間の深い皺の奥にある瞳には、すべてを見通しているかのような、どこか冷徹で、かつ絶対的な確信が宿っていた。
進はキーボードを叩き、翼に向けて極めて短い、しかし重みのある返信を送った。
> 【Re:最終面接のご報告】
> 花咲さん
> 最終面接、大変な過酷な場でしたね。本当にお疲れ様でした。
> 面接官の言葉に深く傷ついたこととお察しします。しかし、私は特に驚いてはいません。
> 合否についてですが、結論から申し上げれば、「まだ分からない」というのが私の見解です。
> 行政の最高層の選考においては、時に常人には理解しがたい意図を持った「揺さぶり」が行われることがあります。あなたが最後に浮かべたという歪んだ笑顔も、現場の面接官の目にどう映ったかは、発表の日まで誰にも分かりません。
> 今は、これまで酷使してきた心と体を休めることです。結果がどうあれ、あなたがここまで戦い抜いたという事実は消えません。静かにその日を待ちましょう。
画面の向こうで進のメールを受け取った翼は、「まだ分からない」という言葉を何度も読み返した。
あれほどの全否定を受けておいて、なぜ先生はそんなことが言えるのだろうか。
慰めにしてはあまりにも現実離れしている。
しかし、あの伊崎進という男が、根拠のない気休めを言うはずがないことも、翼はよく知っていた。
平成23年の夏の終わり、深く静まり返る神戸の街。
絶望の底に沈む元ミュージシャンのもとに届けられた、師からの不可解なメッセージ。
運命の合格発表の日は、もうすぐ目の前まで迫っていた。




