夢見心地
夕暮れ色に染まった空に、冬の気配を漂わせる乾いた秋風。
その風に乗って私の鼻をくすぐる花々の匂い。
子守唄のようなハープの音色。
言葉を出そうとも、手足を動かそうとも思わない。ただあと少しこの夢の中にいたいと、このままこの場所で眠りたいと心から思う。
その私の願いが世界に影響を与えているように、美しく優しい世界はずっと私を受け入れてくれる。辛い現実に追い返そうとなんてしてこない。
このままずっと私の事を受け止めていてくれるのではないかと思える程に。
見た事のない綺麗な蝶々が飛び交い、儚い輝きを作り出し、この季節に咲くはずのない花々が風に乗って空を流れる光景は本当に幻想的だ
夕日や紅色に染まる雲が、薄く紫のベールがかかった空が、色鮮やかに咲き誇る花々が、ユラユラと飛び交う幻の様な蝶が、優しく包み込んでくる様なハープの音色が。
何もかもが霞がかかった私の中を染め上げていく。
「あぁ……綺麗、本当に綺麗」
思えば私がこうして草花に身を任せ、空を眺めたのはいつぶりだろう。
物心ついた時には私は同世代の子がこうして自然と戯れている所を眺めている立場だった様に思う。
強いて似たような記憶を挙げるなら、戦いの稽古で指導官に地面に転がされた時くらい。
あれは草木ひとつない地面に顔を埋められて、口の中が血と土の匂いでいっぱいだった。
「今は体の中まで花々のいい匂いがする」
言葉にしてみたらすごく楽しい気分になってくる。
初めて的の中心に矢が命中した喜んだ時の話。初めて講師が作ったテストを満点で合格できた時にはしゃいだ話。
家族の話。講師や指導官が私とファーニアを比べていた時の話。幼い時に出会った大人の人達の話。少しずつ私から距離を撮り始めた友達の話。
過去の記憶から、学園に入学してからの楽しかった記憶全てを空に目掛けて吐き出した。
「ふふ、ふふふふ。気持ちいぃ。全部全部吐き出して、心が軽くなって、そのまま自然に溶けていくみたい。」
気がつけば既に夜の帳は下され、空は宝石が散らばっている様。
蝶が舞い、淡く白色に発光した花弁が舞う光景は
さっきまで私がいた世界とは違う世界にいる様。
「でもそろそろ起きないといけないわ」
胸に溜め込んだものを全て吐き出したおかげで心は確かに軽くなったけど、それと同時に私に現実を思い出させた。
ならもうここにいることはできない。
「もう十分に癒されたもの」
これ以上はもう立ち上がれなくなるから
「これ以上は弱くなっちゃう」
「もう少し背負うものを少なくしても良いと思うけどね」
「っ!」
私の夢の世界で、初めて私じゃない人の声がした。顔を空から白色に発光する花々の方に向ければ、私のすぐ近くに白銀のローブに身を包んだ少女?がハープを演奏していた。
「心が落ち着いたならもう少しそのまま空を見上げるのも良いと思うよ。そうして自分をちゃんと見てあげる事が君には必要だと思うからね」
ハープを演奏しながらそう言ってこちらを向く少女。いえ少年はマーリンだった。
そしてどこかぼんやりしていた意識もはっきりとしたものになる。
「こんばんはアンスリア。今日はいい日だね」
「こんばんはマーリン。今日は、いい日よ」
昼間に起きた事を考えればむしろ最悪の日なのに、不思議と私は今日がいい日だと感じていた。
夢のように美しい、何気ない大自然を感じたからというのも勿論ある。
でもそれよりも私の溜め込んだものをマーリンに聞かれて、その上でずっと静かに隣にいてくれたのが嬉しかったからだと思う。
「ありがとうマーリン。それとお昼はごめんなさい」
「驚いたけどそれだけだよ。凄く幼かったんだなって思っただけ」
「ふふ、不思議とマーリンに見られたと思うと恥ずかしくないわ」
「それは良かった。僕が見た事をまた起こり始めたらどうしようもないからね」
マーリンは座り込んだ体勢のまま、私も花々が咲き誇る場所に寝転んだまま小さく笑う。
「ここはどこ?」
「ハーメルンから少し離れたところにあった森の開けた場所」
「この蝶はマーリンの魔術?」
「そうだよ。簡単な属性に形を与えただけの蝶」
「この花は?」
「北領同盟王国で言うなら集光花。夕方に待ってた花も僕が日頃持ち歩いてる花の種から開花させたものだよ」
本当に私が気づかなかっただけでずっとマーリンが隣で静かに私を見守ってくれていたみたい。
「これからどうしたらいいの?」
「どうかな。結果は出ちゃったし、今年はもう逆転するのは難しいと思うよ」
「だから今日は勝ちたかったのに、呆気なく負けちゃったもの」
「あれは流石に僕も驚いたよ。それが出来てしまうくらいに力の差があった事も。それを本当にファーニア達が実行してしまう事にもね」
そう言えば私が緑組五人の不参加を報告した時にマーリンが少し驚いていたように思う。マーリンと出会って半年近く経つけど、あんな表情を見るのは初めてだった。
「それでもファーニア達には少ししかデメリットはないもの。模擬戦では生徒の創意工夫が認められてる。マーリンの言っていたみたいに戦う前に勝敗を決められただけ」
昼間にマーリンが言っていたことも、今は自分で言葉に出しても取り乱すことはなかった。
ただ事実を事実として受け入れる事ができている。
「だから来年また今日みたいな事が起こらないようにしないと。今年はその為に私は頑張るわ」
「ははは、うん。いつものアンスリアだね。寝転がりながら心内を暴露し始めた時は笑いそうになっちゃったけどね」
「///あれは…夢の中だと思ってたから…」
現実だとわかってたら、誰も周りにいないとしてもあんな事を言ったりはしない。
誰かに聞かれた時どうしようもなくなってしまうから。
「良かったの僕に聞かれちゃって?」
「聞かれていい話じゃないけど、マーリンにならいいの。いっぱい助けてもらっているし、私をいじめたりしないでしょ?」
「しないけどね。そんなに僕を信用してくれるとは思ってなかったよ」
信用。そうきっと私はマーリンの事を信用してるんだと思う。
出会って半年のヒューマンの少年を、いえ、だからこそ頼れているのかもしれない。
私は臆病で弱いから、そんな相手でもないと心の内を打ち明ける事ができない。
「信用してるけど、見捨てないでとは言わないわ。マーリンはマーリンのタイミングで離れてくれたらいい。それまで私はマーリンにもたれかかるから」
「信用はしてるけど信頼には届かないか。まぁそんなところが妥当だろうね一人でできることなんて。
そういうことだからアンスリア。僕を上手いこと扱いなよ」
どうしてマーリンはこんなに楽しそうに笑えるんだろう?
私のちっぽけな予防線すらそのままでいいって言ってくれる。私のしたい様にすればいいってそう言ってくれる。
空があり星があり、風が、花が、音があった。
そんなどこにでもある様な光景に感動した夜。
絶望で醜態を晒してしまった日の夜。
私の隠してきたありのままの姿は、初めて私以外の人に晒され、静かに優しく受け止められた。




