第6話 回想⑤◯◯失格
――無謀なことをしている。
その自覚はあった。
熊どもがうろつく山に、ドシロウトが独りで山に入るなんて、自殺志願者だと思われてもおかしくはない。
――それも、冬眠前で熊の気が立っている最も危険な時期に。
……実際、心境として自殺に近いものはあった。
とにかく、1頭でも多く道連れにしてやる――そんな考えが頭を支配していた。
後のことなんか、何も考えてなかった……
†
――――いた。
山に入って約30分。
茂みの奥に1頭目の熊を見かけた瞬間、俺は持ち込んだ散弾銃を構えていた。
……何度も訓練した距離だ。
――この距離なら、外さない。
そう思ってスラッグ弾を放つと――――
まるで図ったようなタイミングで、熊はスッと前方に身を動かした。
銃弾は奥の木の幹に当たって乾いた音を響かせ、熊はその音に驚いて逃げて行く。
俺は盛大に舌打ちした。
――野生の勘ってヤツかよ……
クソッタレが……
俺は今度こそ熊を仕留めるべく、更に山の奥へと足を進めた。
山のてっぺんから中腹にかけて、紅葉の絨毯が広がる時期だった。
サラリーマン時代に紅葉狩りにでも来ていたら、楽しめたかもな……。
だがこのときの俺は、いくら紅葉なんかを見ても全く楽しいとは思えなかった。
むしろ、真っ赤な紅葉が目に入るたびに、あの夜の鶏たちの惨状が目にちらついて、殺意が無限に湧き上がった。
そんな風に殺意を滾らせていたのが悪かったのか――
最初の1頭以来、俺はなかなか熊を発見できずにいた。
遠目に熊を見かけた――と思っても、近づく前に姿を隠してしまう。
俺のイラ立ちは、あるとき頂点に達した。
――ふざけんじゃねぇぞッ
今さら……今さら、逃げ隠れなんかしてんじゃねぇ……
俺は心の中の黒い炎に「怒り」という名の燃料をくべながら、熊の影を追って山を歩き回った。
†
3時間余りが過ぎた。
俺は熊を1頭たりとも仕留められず、意気消沈してブナの木陰に座り込んでいた。
あのあと更に、何発か銃弾を無駄にした。
――1発ぐらい、熊をかすめた弾があったかもしれない。
……でも、せいぜいそれぐらいだ。
(――熟練の熊撃ちってやつなら、こんなことにはならねえんだろうなぁ……)
徒労による疲れからか、そんなどうでもいいことを考えていた。
(……ハンター歴1年弱の新米じゃ、鶏どもの仇も取ってやれねぇ……)
――――もういっそ、このまま自分の頭を撃ち抜いちまうか…………
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
人生の幕引きとして、そんな選択肢もアリかもしれない。
どうせもう、養鶏家としては破産間違いなしだ。
それに、警察から調べられたら法令違反で捕まるだろう。
もうこれから先、人生が好転するとは思えない。
……だったらもう、ここで終わりにしたっていいんじゃないか?
――そのアイディアは、このときの俺にとって甘い蜜のような誘惑だった。
そのまま何事もなければ、俺は〝その行為〟を実行に移していたかもしれない。
だが――――
――――ワサワサワサッッ
頭上で急に、葉擦れの音が鳴った。
「うおっ」
見上げて、驚いた。
――――――いた………………!
地上ほんの4〜5メートルほどの高さの枝の上に、体長1メートルほどの小ぶりの熊が掴まって、枝の先に爪を伸ばしていた。
おそらくは、ブナの実でも採ろうとしていたんだろう。
――格好の獲物だ。
俺はきっと、黒い笑みを浮かべていたと思う。
――――――パァン………………
乾いた銃声が森に響き渡った。
俺が撃った重い鉛弾が胸に直撃し、熊は苦しげな悲鳴を上げた。
熊は樹上から足を滑らせ、背中からドスンと地に落ちた。
俺は油断なく散弾銃を構えていたが、2発目を撃つ必要はなかった。
まだ若い熊だった。
きっと、この年に生まれたばかりの子熊だったのだろう。
……かわいそう?
――そんなことは、カケラも思わなかった。
なぜなら、殺された俺の300羽の鶏たちも、みんなこの年生まれの雛だったのだから。
ざまあみろ。
――むしろ、痛快な気分だった。
子熊とはいえ、やっと1頭を仕留めることができた。
溜まりに溜まった鬱憤を、これで少しだけ晴らすことができた。
――そんな俺は、何者かが背後の落ち葉を踏み散らす音が急接近していたことに、直前まで気づかなかった。
――――突然だった。
強い衝撃が、全身を襲った。
腰を強打されたかと思ったら、体が宙を舞っていた。
(――なっ!?)
痛みを感じる間もなかった。
視界がぐるんと後ろ向きに回転していた。
獣にタックルを食らったのだ、と後で気づいた。
俺は慌てて空中で銃を手放し、落下に備えようとした。
「――がはぁっ!」
……が、背中から地面に落ちたために、まともな受け身は取れなかった。
更に、ベルトで体に括りつけていた銃が顎にぶつかった。――痛ってぇ……
俺を突き飛ばした相手は、当然のごとく黒い毛並みのツキノワグマだった。
その熊は、体長1.5メートルはあった。
……今にして思えば、たぶん俺が殺した子熊の母親だったんだろう。
そいつはいきり立っており、俺への敵意を剥き出しにしていた。
――上等だ。
再び銃を握り締めつつ、俺はそう思った。
……憎い憎いと思っていた熊が、ようやく向こうからやって来てくれたんだ。
恐怖よりも、いっそ歓喜が勝った。
――――このときの俺は、1つ特大の勘違いをしていた。
〝俺から逃げ惑う熊どもは、きっと俺より弱いんだろう〟
無意識の内に、そんな慢心を抱いていたのだ。
〝銃さえあれば、熊にも負けない〟
――そう、思い込んでいた。
その慢心や思い込みがなければ、もう少しマシな結果に終わったかもしれない…………
†
――やべぇっ!
背中から落ちた俺が体勢を整えるまで、怒り狂った熊が気長に待ってくれるわけがなかった。
猛然と飛びかかって来る熊の攻撃を、俺はなんとか銃を抱えて横に転がることでかわした。
熊の追撃よりも早く身を起こした俺は、ヤツの背後に向かって全力で走り、20メートルほど距離を稼いだ。
たったそれだけで振り切れるなんてことはない。
熊はすぐに反転し、俺を追って四つ足で駆けて来る。命の危険を感じ、肌がゾクゾクした。
「――この、クソ熊がぁっ!!」
俺はヤツの頭目がけてスラッグ弾を発射した。
眉間に吸い込まれたかと思った銃弾は、しかし角度が浅かったのか、熊の硬い頭部の上っ面を滑り抜けて行く。
――――嘘だろっッ!?
俺は愕然と目を疑ったが、もう熊は目前まで来ていた。
「――う、うわぁっッ!?」
爪を振りかぶる熊に迫られ、手に持ったままの銃を盾のように掲げた。
……が、熊の攻撃を防ぐには、あまりに細く頼りない盾だった。
荒々しく、爪が振るわれた。
衝撃を受け、銃が右手から離れた。
――いや、それだけじゃない。
俺の右手の指が数本、宙を舞っていた。
「――ぐわああああ゛あ゛ぁぁぁっっッッ!!」
俺は滅茶苦茶な痛みに耐えかねて絶叫した。
……だが、これは武道の試合なんかじゃない。
レフェリーはいないし、タイムアウトなんてないんだ。
――熊の攻撃は、まだ終わっていなかった。
(…………あっ…………)
熊は、逆側の腕を振り上げていた。
手先で光る鋭い爪が――ゆっくり、ゆっくりと……俺に近づいて来る。
――――世界が、スローモーションになった。
俺は金縛りに遭ったみたいに、その場からピクリとも動けなかった。
静止した世界の中で――――
俺はこのときなぜか、故郷を思い出していた。
秋田に来てから2年目――202V年に、1度だけ実家に短い手紙を送った。
『――今、秋田で農家をやってる』
手紙に書いたのは、そんな約1行だ。
……数日後、母から返信が届いた。
『顔ぐらい、見せでけろ』
手紙には細々と色々書かれていたが、要約すればそういう内容だった。
――もっと事業が大きく成功したら、少し里帰りしてもいいかな……
そう思った。
……そのことを、なぜかこのときになって思い出した。
――――やがて、世界は動き出す。
俺の人としての最期の記憶は、鋭く尖った爪が俺の顔面を蹂躙し、灼けるような激痛に襲われたことだ。
……俺は、本物のハンターにはなれなかった。
あの晩、喰らい尽くされた鶏たちと同じ、
呆気なく狩られるだけの、哀れな獲物でしかなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
回想シーンはここまで。次話から第1話の続きとなります。
平日は18:10に更新時刻を固定することにしました。
引き続き、本作をお楽しみいただければ幸いです。




