第5話 回想④死体に鞭
…………最悪の惨劇から、一夜明けた朝――――
俺は、事件の後処理に忙殺されていた。
まずは、鶏たちの死骸の始末だ。
朝一番で廃棄物処理事業者に連絡を入れる前に、鶏舎から死骸を運び出す作業を始めた。
見るも無惨な鶏たちを一輪車に載せ、外のゴミ捨て山に次々と積み重ねて行った。
ゴム手袋を着けて、冷たく固まった鶏たちを1羽ずつ手掴みで扱った。
……どいつも、俺が雛から大事に育ててきた鶏たちだ。
――――チクショウ…………。
――その作業は、ただでさえボロボロに砕けていた俺の心を、ガリガリと容赦なく削った。
その合間に、生き残った鶏たちに餌を与え、健康状態を確認した。
――薄々と予想はしていたが、こちらも絶望的だった……。
どの鶏も、深夜に極度の恐怖とストレスに晒されたことで、心身に異常を来していた。
餌も水も、全く口にしようとしないやつらが多かった。
ちょっとした物音に怯え、すぐに鶏舎の隅で身を寄せ合っていた。ストレスで羽根が抜け落ちているものもいた。
……これじゃあ、売り物にならない……
生き延びさせるだけでも、ひと苦労だと思われた。
目に涙がこみ上げて来て、俺は鶏舎の天井を見上げた。
――熊が開けた大穴が、視界に入った。
†
「望月さん」
町役場の職員が家を訪ねてきたのは、俺が例の立木をチェーンソーで切り倒している最中だった。
熊害被害の状況確認に来たのだ。
職員はうず高く積み上がった死骸の山を見て「うっ」と口元を押さえていた。
――だが俺はこのとき、職員の隣にいる初老の男の存在が気になった。
その男は首を左右に振り、呆れたような顔をしていた。
…………誰だ、こいつ?
「この度は、ご愁傷さまです」
「…………えぇ」
心から気の毒そうな声で頭を下げる職員に、俺はぶっきらぼうな返事をした。
俺は職員に対して、昨晩起こった出来事を詳しく説明した。
隣の初老の男は、話を聞いているのか聞いていないのかよくわからない態度だった。
――何しに来たんだ、こいつ……?
「――スプレーと爆竹で追い払ったんですか……。危ないところでしたね」
俺の説明を聞いて、職員は安心したように言った。
「……できれば銃で撃ってやりたかったんですが、違反になっちゃいますからね……」
このとき、俺は嘘をついた。
本当は銃を2発撃ったのだが、冷静になって考えると、これは明らかに法令違反だった。
夜間の銃猟は、鳥獣保護法で原則禁止されていた。
話題を逸らすついでではないが、俺は職員にある質問をした。
「――……熊を狩りに行くことはできませんか…………?」
――――あの熊を、八つ裂きにして殺してやりたい。
昨晩からこの午前中にかけて、俺の心にボウっと黒い炎が灯り、それが段々と大きく燃え上がっていた。
……俺の鶏たちが味わった苦しみを、あの熊に300倍にして返してやりたい。
もう、俺にはそれぐらいしか――――
先の質問の後、職員が俺の顔を見てビクッと身を震わせた。
――そんなにひどい顔をしていたんだろうか……?
職員はまるで腫れ物を見るような態度で、苦しげに応える。
「……まだ狩猟期じゃありませんから、それは…………」
そのときだった。
ずっと黙って職員の横に立っていた初老の男が、急に口を差し挟んできた。
「――熊を狩るだって? 冗談じゃない!」
「……は?」
俺は何を言われたのか理解できず、思わずそんな声を返した。
――なんだ、このジジイは。
口を半開きにして固まった俺の目の前で、役場の職員が焦った様子を見せていた。
「青馬さん、相手は被害者ですよ。話を聞くだけって言ったじゃないですか」
青馬――それがこの初老の男の名前だった。
「いや、しかしね。さすがにこれは黙っていられないよ」
青馬は職員の注意を受けてもなお、そんなことを言っていた。
――黙ってられない、だと……?
それは、こっちのセリフだ。
「――あんた、誰だよ? 俺がこれだけの被害に遭ってるのが、目に入ってないのか?」
俺が青馬の前に立って睨みつけると、職員が慌てて俺の腕を掴んだ。
「……望月さん、こちらは『熊との共生を考える会』の会長の青馬さんで――」
職員は今更のようにジジイの紹介をしようとしていた。
――「熊共会」の会長だと?
……コイツが、あの脳みそお花畑集団の親玉か。
青馬はこういった言い争いには慣れているのか、俺がすごんで見せてもまるでこたえた様子がなかった。
「君ねえ、熊をさも害獣のように悪しざまに言うけど――」
……いや、どう見ても害獣だろ。
「――彼らは森の生態系にとって重要な一役を担ってるんだ。安易に駆除なんかしちゃいけない」
その脳天気なセリフを聞いて、俺は怒りでカッとなった。
「――ひ、人里まで下りて来てるんだぞ! それを駆除して何が悪い!」
「人里……?」
青馬は俺の言葉を反すうして、きょろきょろと周囲を見回した。
この辺りは山と町の間で、民家が多いわけではなかった。
――何だよ……。何か文句があるのか……
それからヤツが放った言葉は、俺にとって想像さえしなかった内容だった。
「――逆じゃないんですか……?」
「……何だと?」
「あなたが熊にとってのごちそうをこれみよがしに置いてたから、熊を人里に誘引してしまったんですよ」
俺は、ポカンと口を開けた。
――――コイツハイマ、ナンテ言ッタンダ…………?
信じられない……
コイツは、俺と同じ人間なのか…………?
――プツン、と頭の中で何かが切れる音を聞いた気がした。
気づくと、俺は市職員に羽交い締めにされていた。
「は、なせ……!」
「望月さん、抑えてください! ……殴ったら、絶対に良くないことになります!」
俺は職員を振りほどいて、目の前のジジイに殴りかかろうとしていた。
「――殴りたければどうぞ。その後、然るべきところに訴えさせてもらいますから」
青馬のジジイはそう言って、挑発するように俺の真ん前に立っていた。
「コイツ……!」
「青馬さんも煽らないで! ……ああ、もう! だから嫌だったんだ……」
職員は意外に力が強く、俺は彼を振りほどくことができなかった。
状況が膠着したのを見ると、青馬は呆れたような溜め息を吐いた。
「……とにかく、これに懲りたなら、今後は愚かな真似を慎むことですね」
青馬はそんな捨てゼリフを残して、くるりと俺に背を向けた。
「ふ、ふざけんな……! ――待て、このクソ野郎っ!!」
「望月さん、暴言もやめてください!」
――役場の職員には、感謝すべきだったのだろう。
……彼のおかげで、このときの俺は一線を踏み越えずに済んだのだから。
彼は、できるだけの補償を俺に約束してくれた。
――だが結局、このとき熊の捕殺許可は下りなかった。
†
「――兄ちゃん、銃撃ったか……?」
「…………」
俺が猟師からその件を問われたのは、更にその翌日の朝のことだった。
どうやら近所で、夜中に発砲音を聞いたと噂になっているらしかった。
――マズい……
俺は唇を噛んだ。
何も言葉を返せなかったが、それが猟師の問いに対する雄弁な回答になってしまっていた。
猟師は俺の態度から全てを察したようで、深々と溜め息を吐いた。
「おれは何も知らねえことにしとく。だけど、警察にバレたら知らんぞ」
「はい……」
警察が事情聴取に来るのは、時間の問題だった。
事実が発覚したら、鳥獣保護法だけじゃなく、銃刀法違反もあり得る。
――詰んだ。
……そう思った。
捜査で銃弾や弾痕が見つかったら、もう言い逃れできない。
そうなったら銃は没収だろうし、銃猟の免許も取り消されるかもしれない。
…………それなら、もういっそのこと――――
「――おいお前、何考えてる……?」
不穏な気配を察してか、猟師が俺の目を覗き込んできた。
「いえ、別に……」
俺は猟師の目から逃げるように目を逸らした。
――ポンと、猟師が俺の肩に手を置く。
「おかしな気ぃ起こすなよ。生きてりゃまた、いつかいいことあっからよ」
「…………」
猟師のその言葉は、俺には虚しく響いた。
――いいこと……?
――いつか……?
こんな状況で、何がいつ起き得るって言うんだよ…………
――――その日の午後、俺はありったけの銃弾と銃を持って、誰にも言わずに独りで山に入った。




