第3話 回想②転落
移住2年目の202V年、俺は自分の鶏舎を買った。
小さいとは言え、これで俺も養鶏家の仲間入りだ。
鶏舎を含む俺の土地は比較的山に近いが、過去に熊が出没したことはなかった。
この年の春に雛として仕入れた100羽は、1羽も欠けることなく秋に出荷を迎えた。
毎日の世話は楽ではなかったが、自ら育てた鶏たちの出荷を見送るのは感慨深いものがあった。
(意外と行けるもんだな……。俺、才能あるのかも……?)
もう少し苦労すると思っていたのだが、肩透かしを食らった気分だった。
とはいえ、経営的にはまだまだ全然だ。
今回、雛を買って育てた分の元手は回収できたが、売上規模は小さなものだ。このままでは、初期投資の赤字を減らすどころではない。自分自身の人件費も賄えやしない。
――ここは、大きく投資をするところだろう。
俺は銀行から追加の融資を受けて、鶏舎の拡大を行うことにした。
それから、次の1年が過ぎる――――
†††
「――また、かよ……」
移住3年目、202W年の秋のことだ。
むせ返るような血と糞尿のニオイが充満していた。
俺は壊れた鶏舎内の惨状を目の当たりにして、両膝を地についていた。
生き残った鶏たちが狂ったように鳴き喚く中、食い荒らされた鶏たちの死骸が散乱していた。
破壊された木製の戸が転がった脇に、大きな足跡が残されていた。
――熊だ。
間違いなかった。
「――あの、クソ熊……ッ」
この2日前に見かけた雄のツキノワグマが、味をしめて戻って来たに違いない。――俺はそう思った。
そのときは、たまたま近くにいた猟師が追い払ってくれたから、被害は十数羽で済んだ。
だが今回は――――
出荷間近だった300羽の地鶏の内、
100羽近くの鶏が死んでしまった。
全てが熊に直接食い殺されたわけではない。
鶏舎の隅に逃げて密集してしまったことで、押し潰されて圧死した鶏も多かった。
大赤字もいいとこだ。
……それに鶏舎の修理と、熊対策の補強をしなければならない。
『――養鶏場の立地には気をつけろよ』
ふと、世話になった養鶏場のオーナーの言葉が頭に浮かんだ。
そのとき、俺は大失敗に気づいて愕然とした。
――が、今更買った土地を手放すこともできなかった。
俺は銀行に頼み込んで追加の融資を受け、鶏舎の補強工事を実施した。
自己資金はもう底を突いており、融資だけが頼りだった。
――脱サラなんか、しなきゃ良かったのか……
甘く見ていたつもりはなかったが、こんな形で躓くなんて思わなかった。
『――楽な道なんて無いんだぞ』
かつての上司の言葉が、深く胸に刺さった。
††
「――冬ごもりの前にねらわれたなぁ。かわいそうに……」
「……なんとかなりませんか?」
俺は最初に熊を追い払ってくれた地元の猟師に、熊を駆除できないかと相談していた。
「ここんとこ熊が増えてるからよぉ。……俺らも、やるだけはやってみるけども」
国内の熊害事情は、年々深刻化していた。
特にこの202W年は、人的被害の数も過去最悪を更新し、さすがにマスコミも騒ぎ立てていた。
直接の原因は、ブナやナラ類の凶作なのかもしれない。……が、そもそも数が増えているのだろう。
エサにありつけなかった熊が人里に現れ、家畜も人も見境なく襲っては、全国で悲劇を生んでいた。
猟師の男が言う。
「昔は春先まで狩りをしてたもんだが……今は法律で禁止されてるし、保護団体がうるせえからなあ」
――また保護団体か。
猟師の言う保護団体とは、以前も話題に出た「熊との共生を考える会」――通称「熊共会」だ。
彼らは人的被害が増えたこの頃になっても、相変わらず熊の捕殺に強硬に反対していたようだ。
――ふざけんなよ……
俺は内心で怒りを燃やした。
……一度でも、やられる側の立場になってみやがれ。
この年、秋田では千頭以上の熊が捕殺された。
ただし、その中に俺の鶏舎を襲った個体がいたかはわからなかった……。
「――兄ちゃんも狩猟免許取ったらどうだ? 誰でも取れるべ」
猟師の勧めを受けて、俺はそれを真剣に検討することにした。
「……そうですね。考えてみます」
調べたところ、狩猟免許の取得に必要な費用はそう高くなかった。
ただし、銃猟を行う場合は銃砲所持許可申請が必要で、射撃教習など込みで10万円ほどかかるのが相場だ。それに加えて銃と弾薬、ガンロッカーなどの費用が乗ってくる。
「――熊なら、ワナより猟銃の方がええべ。今は補助金もあるしな」
「それはありがたいですね」
猟師はなんと、俺が銃猟免許を取るなら中古の銃を譲ってくれると言う。
当然、法で定められた正規の手続きによる譲渡だ。
通常なら、諸々込みで50万円は下らなかっただろう。
――が、補助金と猟師の厚意のおかげで、20〜30万円程度に収まる計算だった。
これまでの養鶏業への投資額に比べれば、微々たる出費と言える額だ。
――そんな経緯で、俺は第一種銃猟免許を取得することにした。
「せっかく上津野に来たんだ。めげずに頑張ってくれよ!」
「……ありがとうございます」
気のいい猟師の励ましもあって、来年もまた頑張ろうと思えた。
そう、思ったんだ……。




