第2話 回想①新天地
「――望月、楽な道なんて無いんだぞ」
〝秋田に移住して、農家になる〟
送別会の席で俺が退職後の予定を明かすと、元上司はため息まじりにそう言った。
「……わかってますよ」
最後まで口うるさい上司だった。
――もう無関係なんだから、小言は勘弁してほしい。
正直、そう思っていた。
……でも後から思えば、202U年当時、一番俺に対して親身に接してくれていたのは、あの上司だったかもしれない。
就職して7年。大学進学から数えれば、もう11年間が過ぎていた。
上京からそれだけの期間をかけてやっと、俺はこの地を去る決意を固めた。
……結局のところ、最後まで都会の空気に慣れることはなかった。
常に何かに追い立てられているようで、絶えず息苦しさを感じた。その反面、人間関係は希薄だった。
中身のない憧れだけで、背伸びをし過ぎていた。
――俺は、そう結論づけた。
こうして俺は、7年間勤めた会社を退職した。
幸い、それまで脇目も振らずに働いてきたおかげで、新しい挑戦を始められるぐらいの資金は貯まっていた。
†
両親のいる宮城には、帰りづらかった。
快く東京に送り出してもらい、大学の学費など世話になってきたこともあって、決まりが悪かった。
そこで俺が目をつけたのは、秋田県の上津野市だ。
『上津野で出会う、本当の「自分」』
移住者を募集するそのキャッチコピーが、最初のきっかけだった。
同市の移住支援・就農支援の制度は、実利を伴う魅力だった。加えて、比内地鶏という有名ブランドの存在も大きかった。
――そう。俺は養鶏農家になろうとしていたのだ。
養鶏業は、農業の中で比較的手堅いと言われている。卵や鶏肉は生活必需品であり、有名ブランドの地鶏なら高付加価値をねらえる。リスクもあるが、運が良ければ2〜3年で黒字化することもあるそうだ。
経験なんかなかったが、それはこれから積めばいい話だった。
「兄ちゃん、東京から来たんか」
「……東京は大学からなんですけどね」
移住1年目。
俺は養鶏の仕事を学ぶために、地元の養鶏場に従業員として雇ってもらった。
オーナーのご家族は、俺を歓迎してくれた。
都会とは違う人の温かみに、故郷を思い出して懐かしさを感じた。
「――最近は熊が出るからよ。養鶏場の立地には気をつけろよ」
あるとき、オーナーがそんな助言をくれた。
「熊、ですか……?」
この当時はどのメディアも大きく報じてはいなかったが、国内の熊害の実態は悪化の一途をたどっていた。
既に、全国の農作物被害額は年間7億円を超えていた。
「ブナの凶作だかでよ、熊が山から降りて来ることがあるんだべ」
オーナーによれば、知り合いの養鶏事業者が出荷前の地鶏100羽を失う被害に遭ったらしい。
そんな被害が出たら、零細農家にとってはひとたまりもない。
「そりゃ怖いですね。……でも、猟師がいるんじゃないですか?」
「まあなぁ……。けども、最近は保護団体がうるせえって話だ」
国内では、昔から森林保全と熊の保護を訴えて活動している団体がある。
「熊との共生を考える会」――通称「熊共会」だ。
オーナーに話を聞いた後、自分でもこの団体について、PCでネット上の情報を調べてみた。
その結果抱いた印象は、〝感情に訴えるのが巧いな〟というものだった。
熊共会は、ブログやSNSなどのソーシャルメディアを駆使して、偏った世論を形成していた――少なくとも、俺はそう思った。
「――あいつらは安全な場所から『熊がかわいそう』とか言うだけで、現場の農家の苦労なんかわかっちゃいねえんだ」
オーナーは、吐き捨てるようにそう言った。
当然の話だが、人間の農地と熊の生息域は区別して管理すべきだ。
どうも熊共会の主張は、その前提の部分が食い違っているように感じられた。
「ひどい話ですね」
ただし、オーナーに同調する一方で、俺自身はまだ熊害をどこか他人事のように感じていた。
――交通事故みたいなもんだろう。
……気をつけていれば、そんな不運は滅多に起きない。
そんな風に、高をくくっていたんだ。




