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残月記 〜人喰い熊に転生した男の残酷な復讐劇〜  作者: 卯月 幾哉


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第1話 新たな生

 腹が減っていた。


 気づけば、俺は素手で土を掘り返していた。


 掘り返した穴の先に映るのは、茶色い皮をまとった若芽がずんぐりと太った姿だ。


 鋭利な爪が生え揃った手指で、ごわごわした皮を切り裂くようにめくる。食欲に突き動かされた心は、もどかしくも楽しみに踊っていた。

 分厚い外皮に隠された、若芽の白い柔肌が目に入った瞬間――


 俺はソレに、かぶりついていた。


 ――衝動のままに。

 ――本能のままに。


 俺の強靭(きょうじん)な牙が、固いソレの身を(えぐ)り取り、ぐしゃりと噛み砕く。

 みずみずしく、青臭い匂いが胸いっぱいに広がる。


 ……ああ、美味(うま)い。


 掘られた穴と接した顔周りの毛が土だらけになったが、俺は全く気にしなかった。


 俺は――俺の精神は野生の獣と一体化し、山に自生したタケノコを(むさぼ)り食っていた。



    †



 初めは、よく出来たドキュメンタリー映画でも観ている気分だった。


 俺が何もしなくても、獣の本能は勝手にエサを求めて山野を駆け回った。


 次に俺は、夢を見ているのだと思った。


 生のタケノコを「美味い」と思うだなんて、現代人の感覚からすれば信じられない。


 生涯(しょうがい)でこれほど鮮明な夢を見た記憶はないが……きっと目覚めたら全て忘れる(たぐ)いの夢だろう、と。


 ……眠りに落ちる前、ひどく悲しい出来事があった気がする。

 だからこそ、今はこのまどろみに(ひた)っていたい。そう思った。



 夢は、続く――――



 とにかく、この獣は腹が減っていた。

 まるで、長い眠りから覚めたばかりのようだ。


 植生から判断するに、季節は春らしい。

 ――冬眠でもしていたのだろうか?


 豊富な山の幸を前にして、獣は歓喜していた。

 黒い毛むくじゃらの獣は、およそ目につくものを手当たり次第に貪った。


 草花の葉や花弁、根茎、木の新芽、そして虫……。

 獣は長い前足を器用に動かして、エサを口に運び続けた。

 ――自分の意思だったなら、とても信じられない行為だ。……が、獣の本能に身を任せている限り、嫌悪を感じることはなかった。


 この獣にとっては、どれもご馳走だったのだ。


 ()人間の俺にとっての変化は、味覚だけじゃない。

 嗅覚も聴覚も、かつてとは段違いだ。

 そのぶん視覚から入る情報は減ったような気もするが、それでも森の様子は手に取るようにわかった。


 ここは俺の庭だ――本能がそう叫んでいた。



 ――ただし、そんな全能感とは裏腹に、俺の心には一抹(いちまつ)の不安が芽生(めば)えていた。


 この獣の正体は、ひょっとして…………



 ふと、俺は(のど)(かわ)きを感じた。


 俺はむしゃむしゃと噛んでいた植物の地下茎をその場に放置して、川のせせらぎが聴こえる方へ四つ足で駆ける。


 ぐん、と自分でも驚くようなスピードが出た。


 道らしい道もないのに、人間の最高速をゆうに超えているようだった。

 この獣に(かな)うものは、この山にはいない――そう理解した。


 風を切って川岸にたどり着いた俺は、そのまま勢いよく浅瀬に飛び込む。

 春先の川の水はひんやりと冷たく、火照った体に心地よい。厚い毛皮の内側まで染みる涼感を味わいつつ、俺は川の水に口をつけた。


 がぶがぶと水を飲んでひと心地ついた俺は、そこで遂に水面(みなも)に映る自身の姿と対面する――――



 黒々とした獣の丸い頭が、そこに映っていた。



 全身真っ黒だが、胸元の一部の毛だけが白く、トレードマークである三日月形を描いている。



 ――どくん、と獣の心臓が大きく拍動した。



 俺は、コイツを知っている……

 忘れたくても、忘れられる相手じゃない。



 ツキノワグマ――本州最大の陸生哺乳類。

 俺の精神は、その獣と同化していた。



 ――不安は、的中した。

 それも、最悪の形で……



 俺は冷たい川の真ん中で、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くした。



(こんなことってあるかよ……)



 心のどこかで、この悪辣(あくらつ)な夢を見せる何者かを呪った。



 このとき俺は、完全に思い出していた。


 人間だった俺は、もうこの世にいない。

 他ならぬツキノワグマに殺されたのだ――と。



 水面を見下ろす俺の視界が、カッと真っ赤に染まった。



 俺は衝動的に、水面を激しく手で打った。


 黒い獣の姿がバラバラに砕け散り、ややあって元通りに復元される。

 俺は反対の手を振り上げ、またそいつをバラバラにした。


 ばしゃばしゃと、何度も何度も、その無意味な行為を反復した。



 そう。

 俺はコイツを――ツキノワグマを憎悪していた。

 ……おそらく、他の地球上のどんな存在よりも。



 ――よりにもよって、コイツに乗り移るだなんて、どんな皮肉だ……


 俺を殺した熊とは、別の個体だ。すぐにそうと気づいたが、憎しみは尽きなかった。



 俺は、薄々と気づきつつあった。



 ――これは夢などではない。

 人として死んだ俺の新たな生が、こうして幕を開けたのだと。



 その残酷な事実を否定するように、俺は水面に向かって爪を振るい続けた。



 ……もしもこれが、どこかの神の悪戯(いたずら)だと言うのなら、

 その神の喉元に、この爪を思い切り突き立ててやりたい。



 心から、そう願った。



 ……どれくらい時間が経っただろうか。

 太陽が大きく傾いたのに気づき、俺はこの不毛な行為を切り上げることにした。

 全身の毛が水に濡れた体は、川に入る前より重く感じた。



 ……日が落ち、夜が来ても、夢は覚めなかった。



 俺はこの熊が冬眠していたであろう穴ぐらでうずくまりながら、どうしてこうなったのかと自問していた。

 ――もちろん、その問いに答えをくれる者などいない。


 ここがどこなのか、「あの時」からどれだけの歳月が経ったのかもわからない。


 幸か不幸か、人間だった頃の記憶はしっかりと残っていた。


 ――俺が山で死んだ、あの日。

 その結末に至る物語の始まりは、事件から約4年前のことだ。


 硬い頭蓋(ずがい)に押し込められた小さな脳に、俺という人間がツキノワグマに殺されるに至った経緯が思い起こされる――――






お読みいただき、ありがとうございます。

現代社会(仮)を舞台とした怪奇小説です。

2〜6話までが回想で、それから再びこの熊転生直後に戻ってきます。

全15話、4万字ほどで完結する見込みです。


また、本作の執筆にあたって活動報告をつづりました。

よろしければご覧ください。

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