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残月記 〜人喰い熊に転生した男の残酷な復讐劇〜  作者: 卯月 幾哉


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第28話 皮肉な英雄譚

 熊の巨体が仰向けに倒れ、白い雪煙が舞い上がる。


 それを見届け、狙撃手――不動蓮華(れんか)は猟銃を構えていた腕を下ろした。


 大願を叶えたはずの蓮華の表情にはしかし、喜びよりも()()無さが浮かんでいた。


 ――1年と2か月。


 蓮華が父親を『人喰い残月』に殺され、復讐を志してからの期間だ。


 警察と自衛隊による春の大作戦で、一時はその機会が永遠に奪われたかと思った。

 しかし、その後の熊害(ゆうがい)の連鎖によって、蓮華はただ一人、『人喰い残月』の生存を確信するに至った。


 ……ずっと、この日を夢見ていたはずだった。


 ――なのに、蓮華は全く嬉しいとは思えなかった。


 そのことを蓮華自身、不思議に感じていた。


 ……むしろ、虚しさと、悔しさが勝った。




    †




 ――この勝利は、自分の手で掴み取った勝利じゃない。


 蓮華の胸には、そんな認識があった。


 何かが1つ狂っていたら、結果は全く違っていたはずだ。

 自分が殺されていてもおかしくなかった。


(……きっと、性質(タチ)の悪い神様がお膳立てしてくれたんだ……)


 それはおそらく、人の運命を(もてあそ)ぶタイプの神なのだろう……。


(……もし、もう一度やり直せるとしたら――)


 『残月』のことを、もっとよく知りたかった。


 ――蓮華は、心からそう思った。


 しかし、その機会を潰してしまったのが他ならぬ自分自身であることに、強い皮肉を感じた。


「――あっ……」


 蓮華は膝立ちの姿勢から、ふと折れた足を(かば)ってバランスを崩し、雪面に倒れ込んだ。




    ††




 ――ほんの数分前。


 蓮華は、見知らぬ少年が姿を見せるより早く、熊に放り投げられた猟銃を求めて片足を引きずりながら移動していた。


 どうせ間に合わない――そう理解していた。


 あの熊はもう、蓮華に興味を失ったのだ。

 ……きっと、あっという間に遠くへ走り去ってしまうだろう。


 ――それでも、ようやく手に入れたこの機会をみすみす逃してなるものか……


 その一念で、蓮華は痛みをこらえて動き続けた。



 ……なんとか無事に、銃が放り出された場所まで辿り着いた。

 壊れていないことに安堵(あんど)し、すぐに弾丸を装填(そうてん)して振り返り――目を疑った。



 驚くほど近くに、熊がいた。


 無防備な背中を蓮華に向け、そして――今にも子供に襲い掛かろうとしていた。



 ……考えるより先に、体が動いていた。



 蓮華は2発目の銃弾を弾倉に入れ、折れた左足を下にして膝立ちの姿勢で銃を構えた。



 距離は――約20メートル。



 外さない。


 ……外しようがない。



 無心で撃った1射目は、雄熊の左胸に吸い込まれた。



 ――心臓は外してしまった。……が、問題はなかった。



 残弾は、あと1発あった。




 手負いの熊がこちらを振り返ったとき、蓮華は心が揺らぐのを感じた。


 ――ほんのわずかに前の記憶が、蓮華の脳裏を(かす)めた。


 蓮華が折れた足で立ち上がり、熊に対して激しく啖呵(たんか)を切ったときのことだ。


『――ガウッ』


 熊はまるで、人間のように(・・・・・・)応答を返したのだ。




(あなたは、いったい――――)



 …………尽きせぬ疑問に蓋をして――――



 蓮華は、愛銃の引き金を引いた。





    ††





 そのまま、どのくらいの時が経っただろうか――――



「……お姉さん、大丈夫?」



 蓮華の頭上から、甲高い少年の声が降って来た。

 他でもない。先ほど熊に襲われそうになっていた少年だ。


 蓮華は、腹筋の力でむくりと上体を起こす。


「……ええ、大丈夫よ」


「――なら、良かった……」


 蓮華の頬には、彼女の心を襲った様々な感情の跡がありありと残っていた。……が、少年にはそれを指摘しないだけの分別はあった。


 2人はそれから、(いく)ばくかの会話を交わした。


 ――なぜ、ここにいるのか。

 ――これからどうするのか。


 蓮華は少年が遭難しかかっていたことを知り、自分の携帯電話で救助を呼ぶことを提案した。

 なにせ蓮華自身、救助が必要な身の上だ。


 加えて、射殺した熊の死体もある。

 負傷した蓮華と少年の手では、処分のしようもなかった。


 電話を掛ける前、蓮華は少年に1つ質問をした。



「――警察に証言してもらうかもしれないけど、いいかしら?」


「……へっ?」



 少年の目が点になった。





    †††





『執念の一発! 若き女猟師、熊に復讐を果たす』

『殺人熊を討ち、亡き父の無念晴らした娘』


 全国区の新聞やスポーツ紙にそのような見出しが踊るようになったのは、事件から2〜3週間後のことだった。


 事件の後、蓮華は警察に逮捕された。


 ――鳥獣保護法違反に、銃刀法違反。

 ……蓮華が犯した行為は、立派な違法行為だ。


 狩猟免許を永久に剥奪(はくだつ)された上で、刑事裁判によって実刑判決を受けていてもおかしくはなかった。


 ――しかし、そうはならなかった。


 その理由は、主に2つ。


 1つは、蓮華に助けられた少年――望月将未(まさみ)の証言によるもの。

 もう1つは、事件を聞きつけたマスコミが世論を動かしたためである。――そこには、蓮華の弁護を担当した弁護士による働きもあった。


「……とっつぁん1人、娘1人だったからなぁ。不動さんが亡くなったときには、『私が仇を討つ』っつって、なんぼ止めても聞かねがったんだわ」


 マスメディアのカメラの前で証言したのは、蓮華に銃猟の技術を教えることになった凌雲平(りょううんだい)の猟師、剣持(けんもち)だ。


 そして、蓮華が仕留めた熊に対して実施されたDNA鑑定が決定打となった。

 その遺伝子情報は、1年前に凌雲平で採取された『人喰い残月』のDNAと完璧に一致したのだ。


 ――その一事を()って、2年近くに渡って東北を襲った全ての熊害事件が『人喰い残月』の仕業と決定づけられた、というわけではない。


 それでも、マスコミが蓮華を悲劇の英雄に見立てて報じる上で、何物にも勝る証拠となった。



 結果的に蓮華に下された「罰」は、犯した罪と日本の司法の厳正さに照らし合わせると、驚くほど軽い内容に収まった。


 まず行政処分としては、狩猟免許の取り消し及び3年間の再取得禁止の措置が取られた。

 そして刑事処分としては、情状酌量が認められ――不起訴処分となった。


 そのニュースが報じられたとき、我が事のように喜んだのは、岩手に住む蓮華の友人知人たちだけではなかった。



 それから、1年――――




    †††




「卒業おめでとう、蓮華」

「ありがとう、由美」


 2度目の休学から復帰した蓮華は、由美から1年遅れて大学を卒業した。


 2人は蓮華の卒業祝いのため、盛岡市内の焼肉店を訪れていた。もちろん、今夜の支払いは社会人である由美の奢りだ。


「――それにしても、まさか蓮華が大学院に行くなんてね」


 網の上の肉を裏返しつつ、由美がしみじみと言った。

 ――そう。復学した蓮華は、大学院への進学を決めていた。


「しばらくハンターはできないし……。熊の生態について、もっと学びたくて」


 蓮華がそう言うと、由美は口端で笑みを浮かべる。


「さっすが〝熊殺し〟」

「もう、やめてよ」


 この1年、大学で事あるたびにそう呼ばれることに蓮華は辟易(へきえき)していた。


 ――そう呼ばれると、思い出してしまうのだ。


 あの、恐ろしくも不思議な存在だった熊のことを。


 1年が経った今、蓮華はときどき想像する。


 ……あの熊の目的は、もしかしたら――――



「――ねえ。卒業旅行、私もついて行っていい?」


 物思いに囚われそうになった蓮華に対して、由美が唐突に提案した。


 蓮華は、目をぱちくりとさせる。


 卒業旅行の予定地は沖縄――野生の熊が生息していない地域だ。


「……え? 由美、仕事は……?」

「――有給もぎとる」


 力強い宣言だった。……が、蓮華は逆に不安を感じた。


「……大丈夫なの、それ?」


 なんとかなるって、と軽口を叩く由美に対し、蓮華は何度か首をひねった。



 2人の友情は、その後も長く、長く続いた。





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