第27話 一蓮托生
深く、深く、沈んでゆく…………
どこまでも深い、泥沼のような闇の底へと…………
†
――――あのときも、こんな感じだっただろうか…………?
無限に広がる闇の中を真っ逆さまに落下しながら、俺は前回の死のことを思い出そうとした。
…………だが、どうにも上手く頭が働かない。
人間だったときの記憶は、霞が掛かったみたいにぼやけていた。
――――確かに、俺は人間だった。
それだけは、はっきりと覚えているのに…………。
〈――――ミカヅキ…………?〉
返事はなかった。
いつも傍にいたアイツの気配は、どこにも感じられなかった。
――――死んで、離れ離れになってしまったのか。
ロクにお別れもできなかったな…………
俺は、情けなさと申し訳なさでいっぱいになった。
――――あのとき、俺が〝アイツ〟を見て動揺さえしなければ、
…………あんな間抜けな形で、命を失うことはなかったのに…………
この2年近く、ミカヅキと片時も離れることがなかったせいだろう。
俺の心には、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
――――だが、ここがどんな場所かを理解するにつれ……
俺は「アイツがいなくて良かった」と心から思うようになった。
††
いったい、どこまで落ちるのか――――
どこまで堕ちれば、終わりを迎えられるのか――――
†
さっきから、ときどき何かが俺の体を掠める。
俺の落ちる先に、何かがいるのだ。
――まるで、俺が落下するのを妨害するかのように。
…………止めるのなら、もっとしっかり止めてほしいんだが…………
一時はそう思ったが、俺はすぐにこの言葉を撤回することになる。
…………ソイツは近づくのも悍ましい、身の毛もよだつ存在だった。
――――しばらくして、この真っ暗な闇に少し目が慣れたとき、俺はソレの正体を知った。
手だ。
何十という青白い手が、虚空から俺の進行方向に向かって伸びていた。
…………まるで生者にしがみつこうとする、亡者の群れのように。
――――俺はすぐに、それらの手の持ち主が誰なのかを理解した…………
†
…………なるほどな。
これほど俺にぴったりな地獄は、他にないだろう。
――――うっすらと、亡者たちの顔が暗闇に浮かび上がる。
どいつもこいつも、恐怖で塗り固められたデスマスクのような表情をしている。
…………無理もない話だ。
――――なにせコイツらは、世にも恐ろしい人喰い熊に殺されたんだからな。
そう。
この亡者どもの正体は――――今まで俺が殺してきた39人の人間たちだ。
よく見れば、あの「熊█会」の青█らしき亡者や、俺を殺した女猟師の父親らしい亡者もいる。
――――ここへ来て、俺は自分の運命を理解した。
これから気が遠くなるほど下へ下へと落ち続け、その過程で俺が殺した人間たちに魂を四方八方から引きちぎられて、八つ裂きにされるのだ。
どれだけ下へ落ちても、ヤツらを振り切ることなどできない。
ここは、そういう無間地獄なんだ。
――――ハハッ…………
これぞ、「因果応報」ってやつか…………
――――ここにミカヅキがいなくて、本当に良かった。
あいつの純粋な魂は、この場に似つかわしくない。
地獄の果てまで堕ちるのは、俺独りで十分だ…………
神様もそれを理解していたから、死後、俺とミカヅキの魂を分けたのだろう。
この世界の神様は性根が腐りきってるに違いないと思っていたが、満更捨てたもんじゃないかもな。
――――と、そこまで理解したところで、俺は亡者どもの手を避けようとすることを止めた。
進行方向の青白い手にぶつかるたび、魂で出来た俺の体が少しずつ削られる。
「うぐっ……!」
それは生身であれば肉を直接抉り取られるような、耐え難い苦痛だった。
「……あぐっ……! ぐあぁっ……!」
何度も何度も、俺はその責め苦を味わった。
――――これは俺が被るべき、当然の報いだ。
何の罪もない人々を、散々この手で殺めてきたのだから…………
――――だが、もしも1つだけ願うことが許されるならば、
できるだけ早く、この苦しみを終わらせてくれ…………
†††
それから、どれだけの時が経ったのかはわからない。
何十キロ、何万キロ落ち続けたのかもわからない。
おそらく俺の魂は、すり切れてボロボロになっていただろうと思う。
亡者の手はだんだんと数を増やし、今や俺の視界を覆い尽くさんばかりだった。
そんな、あるときのことだった。
――――がくん、
……と、体が急停止した。
そのときにはもう、すっかり落ち続けることに魂が慣れきっていたから、急に宙吊りにされて目まいを感じた。
見れば、鬼のような形相をした1人の亡者の手が、しっかりと俺の魂を握り締めていた。
…………俺はもう、そいつが誰だったかも思い出せなくなっていた…………
だが、その亡者の猛々しい姿を見て、俺はホッと安心した。
――――ああ、やっと終われる…………
それを確信できたからだ。
鬼の顔をした亡者たちが1人、また1人と俺の周りに集まって来る。
…………大盤振る舞いだな。
――――いいぜ。
どうか、ひと思いにやってくれよ。
そして亡者たちは、俺の両手両足をがっちりと掴んだ。
いよいよだ…………
――――そう思ったときのことだ。
(――――――うん………………?)
茫漠と広がる闇の中で、
――――ふと、頭上に光を感じた。
最初それは、夜空に瞬く星のような、1つの光点に過ぎなかった。
それは、みるみる内に大きくなった。
(…………ああ、お迎えでも来たのかな…………)
俺は鈍い頭で、なんとなくそう感じた。
――――だが、よく考えればおかしな話だった。
…………既に地獄に堕ちた俺に、迎えなど来るはずがないのだから。
どうやら亡者たちはその光の主と敵対しているようで、一部がその進行方向に立ちはだかっては、呆気なく蹴散らされていた。
――俺を苦しめてきた亡者たちが手も足も出ない様子を見て、どこか痛快に感じたのは否めない。
「――――か、はっ…………」
そんな状況下でも、俺の魂を掴んだ亡者たちが手を緩めることはない。
めりめりと、魂が引き裂かれる音が響いた。
…………そろそろ、潮時だな…………
あの光の主が何だったのかは気になるが――――さしずめ、地獄に仏とでも言ったところか…………
俺が終わりを覚悟した、
そのときだった。
†
《――――――マサミイィィ――――――ッ!!》
声が、聴こえた。
――――忘れもしない、
この2年近く、心の最も近い位置で聞き続けた、あの声が…………
†
〈――――ミカヅキッ!?〉
俺は愕然とした。
天上から現れた光の正体は、ミカヅキだったのだ。
…………もう二度と、会うことはないと思っていた。
地獄に堕ちた俺の代わりに、アイツは天国へ行き、幸福な来世を歩むだろう――――そう、勝手に想像していた。
――――だが、違った。
あいつはわざわざ、俺を追いかけて来たんだ。
…………おそらくは、天国に相当する場所へ行っただろうに、
――――そこに、後ろ足で砂をかけてまで、俺を追って落ちて来たんだ。
この途方もない距離を、一緒に下り続けて…………
†
――――すり切れたはずの俺の魂が、一気に熱を持った。
感情がぐちゃぐちゃになって、制御不能になった。
ただ、一番に思ったことは――――
〈――――やめろ、ミカヅキっ!!〉
この優しすぎるバカな熊を、今すぐ追い返さなければならない。
その一心だった。
だがミカヅキは、聞く耳なんか持っちゃいなかった。
《――マサミッ! イマ助ケルッ!》
ミカヅキは纏わりつく亡者の群れをちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返し、少しずつ俺に近づいていた。
〈やめろ、ミカヅキ! ……もう終わったんだ! ――もう全部、終わったんだよっ!〉
俺は必死に訴えた。
生身だったら、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていたと思う。
……そのぐらい必死だった。
――――だが、ミカヅキは止まらない。
こんな俺の言葉なんかじゃ、アイツを止める力にはならなかったんだ…………
間近で見たミカヅキの魂は、俺に勝るとも劣らないほどボロボロだった。
ああ、なんでだ…………
なんで、俺なんかのために、ここまでできる…………?
《…………マサミハ、オレガ守ル…………》
なんだよ、それ…………
保護者かよ…………
††
気づけば俺は、ミカヅキの胸に抱えられていた。
すり切れて小さくなった俺の魂は、ミカヅキの手にすっぽりと収まるサイズになっていた。
《…………マサミ、良カッタ…………》
今度こそ俺を守れた安心からか、ミカヅキはホッとした様子だった。
――そのミカヅキの魂が、端の方から崩れかかっていることに、俺は気づいていた。
本当にバカだな、こいつは…………
2人共、こんな奈落の底まで落ちて来ちゃったじゃねぇか。
…………ここから一体、どうするって言うんだよ?
――――脱出手段なんか、どこにもないんだろ?
そう思った俺だが、子供のようにミカヅキに抱えられたまま、苦笑することしかできなかった。
俺自身がミカヅキの存在に、どうしようもなく救われてしまっていた。
――――1人と1頭で、何もない闇の中をさまよう。
それから、間もなくして――――
――――ピシリッ
俺の魂の内側から、不吉な音が鳴り響いた。
――――その瞬間、俺は今度こそ自分の行く末を悟った。
あーあ…………
…………結局、こうなったか…………
――――悪い、ミカヅキ…………
せっかく助けてもらったんだが……俺はもう、ここで終わりらしい…………
《――――マサ、ミ…………》
ミカヅキの声が、途切れ途切れとなって聞こえる。
…………なんだよ。
…………お願いならもう、聞いてやらないぞ。
《――――――ミライニ、生キロ………………》
…………なんだ、それ…………
――――そう思った、瞬間だった。
ミカヅキのぼろぼろの魂が、暖かく、柔らかな光を放ち始めた。
――――ああ…………
…………暖ったけぇ…………
こんな最期なら――――案外、俺の人生も悪くなかったかもな…………
その光は、同じくぼろぼろの俺の魂を包み込み、傷という傷、痛みという痛みを今だけ忘れさせてくれた。
ミカヅキ――――
――――ありがとう………………
お前と、出逢えて…………良か……った………………
――――俺は、ミカヅキの言葉と行為の意味に、
最後まで、気づかなかったんだ…………




