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残月記 〜人喰い熊に転生した男の残酷な復讐劇〜  作者: 卯月 幾哉


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第20話 泡沫の日々

 ――200Y年、5月。


 ここ盛岡市内のある公立大学のキャンパスにも、新緑が芽吹く暖かな春の陽気が訪れていた。


 そんな春の陽射しとは対照的に、浮かない顔をして講義棟の間を移動している女子学生がいた。

 山脇(やまわき)由美(ゆみ)――不動蓮華(れんか)の友人であり、来年にはこの(まな)()から巣立ちを迎える4年生だ。


 そんな由美の表情を(くも)らせる出来事は1つ。


(蓮華――大学、どうするつもりなのかしら……?)


 同じ学科に属していた友人、蓮華のことだった。


 蓮華は昨年――200X年の暮れに突然、休学した。

 由美はそれを、年末休みに入る直前に、研究室の教授から聞いた。


『――聞いてなかったのか。不動は、身内に不幸があったそうだ』


 教授の口からその話を聞いたとき、由美はややショックを受けた。


(――どうして、私に教えてくれなかったの……?)


 蓮華はドライな性格だが、それでも由美は気心の知れた仲だと信じていた。

 このとき由美は、その信頼が裏切られたように感じた。


 それでも、報道で蓮華の父――不動修悟が熊に殺されたという事実を知り、由美は純粋に心配した。


 由美は毎日蓮華に電話を掛け、やっと連絡が取れたのは大晦日(おおみそか)の夜だった。


『――私は、父さんの仇を討つ』


 電話越しに蓮華の冷たい殺意が込められた宣言を聞き、由美はぞくりと背筋を震わせた。


 ――蓮華は、復讐に取り()かれてしまった……


 由美はそれを、頭でなく心で理解した。


『やめなよ、そんなこと……』


 気づけば、言葉が由美の口を突いて出ていた。


 ――そんな無謀な試みは、絶対に辞めさせなければならない。


 口にした後で、その思いが確信に変わった。


 由美は、怖かったのだ。


 蓮華が――大事な友人が、自分の手の届かない場所へ行ってしまいそうで……。


 いくら猟師の資格を持っているからといって、一介の女子大生が恐ろしい人喰い熊に立ち向かうなんて馬鹿げている。

 そんなことは、警察にでも任せておけばいいのだ。


 ――しかし、由美がどんなに言葉を尽くしても、涙まじりに訴えても、(かたく)なな蓮華の心を動かすことはできなかった……。



    †



「――サークル決めた?」

「――まだ。……お前は?」


 すれ違う新入生たちの無邪気な会話を他所(よそ)に、由美は思考を巡らせる。


(――もう、こっちに戻って来てもいいはずなのに……)


 由美がそう思うのには、根拠があった。


 ――この5月の今、蓮華が凌雲平(りょううんだい)留まる理由はない(・・・・・・・・)はずなのだ。


 ……なのに、彼女はあの出来事(・・・・・)から2週間が経った今も、相変わらず由美に連絡ひとつ寄越(よこ)さなかった。


 そんな風に思い悩みながら、由美がキャンパス内の遊歩道に差しかかった頃――――


「――見た、さっきの……?」

「ヤバいよね、あの人……」


 前方から歩いて来た女子2名が、ヒソヒソと話をしていた。

 見れば、ベンチがある辺りで道行く人の視線を集めている者がいるようだ。


 そのまま歩き続けた由美は、吸い寄せられるようにそのベンチを見て――――目を疑った。


蓮華(れんか)っ!?」


 ベンチに腰掛けていたのは、今まさに由美の頭を悩ませていた人物――不動蓮華その人だった。


 このとき由美の大声は、確かに蓮華の耳朶(じだ)に響いたはずだった。


「…………」


 しかし蓮華は、その声に何の反応も見せなかった。

 そこで由美は、彼女の様子がおかしいことに気づく。


「――蓮華……?」


 蓮華はまるで夢遊病患者のように、焦点の合わない目で虚空を見上げていた。



    †



「――蓮華! 蓮華っ! ……しっかりしてよぉ!」


 由美は蓮華の両肩に手を掛け、前後に揺すって何度も懸命に声を掛けた。


「……あ……? ゆ、み……?」


 その甲斐(かい)あって、蓮華はやっと由美に反応を返した。


「良かった……」


 若干の安堵(あんど)とは裏腹に、由美は内心で愕然(がくぜん)としていた。


 ――誰だ、これ(・・)は……?


 ――こんな人は、私の知っている不動蓮華じゃない。


 そんな内心の動揺を必死で押し殺しつつ、由美は蓮華から話を聞き出そうとする。


「……戻って来てたのね。――もう、今まで何してたのよ?」


 由美に問われ、蓮華は乾いた笑みを浮かべた。



「――終わったのよ、何もかも……」



 蓮華はそう言った後、がっくりと項垂(うなだ)れた。


 ……それはまるで、真っ白に燃え尽きた灰のようだった。




〝何もかも終わった〟


 その言葉には、多くの意味が込められているようだった。

 由美にも1つ、心当たりがあった。


 ――でも、それっていいこと(・・・・)じゃないのかな……?


 そんな素朴な疑問もあった。


(わからない……)


 由美は蓮華と3年以上の付き合いになるが、このときの蓮華の心境については理解に苦しむところがあった。


 ――ただ、手放しで喜んでいいわけではないらしい。


 由美は彼女が座るベンチに、至近距離で腰を下ろす。


「……話してくれる? 何があったのか。――それを、あなたがどう感じたのか……」


 横から顔を(のぞ)き込まれ、蓮華は小さく(うなず)いた。


 それからポツリ、ポツリと語りだす。


「……2週間前のあのとき、私も凌雲平にいたのよ……。でも――――」





    †††





 2人の再会から(さかのぼ)ること、約2週間前。

 凌雲平の山間部にて――。


 けたたましいローター音が、上空の大気を震動させていた。


 迷彩柄のヘリコプターが2機、凌雲平の一帯に高所から(にら)みを()かせていた。

 陸上自衛隊の保有する観測用のヘリだ。


 このとき投入されていたのは、この2機のヘリだけではない。



「――いたぞ、熊だ!」

「構え! ――撃てぇっ!!」


 ――ズドンッ!

 ――ズドンッ! ズドンッ!


 全身を重装備で固めた機動隊員のライフル銃が、次々と火を噴いた。



「グオォォォ……」

「アオォォ……」


 屈強な黒いツキノワグマたちが、断末魔(だんまつま)の声を発して倒れていく。



 国家権力という名の暴力が、自然に生きる獣たちの命を蹂躙(じゅうりん)していた。




    †




 ――200Y年、3月。


 度重なる熊の人身被害に頭を悩ませた凌雲平市、並びに岩手県の代表者たちは、国に災害派遣を申請した。


 それが受理されてから1か月後。警察の機動隊と陸上自衛隊のメンバー総勢200名による、合同作戦が展開されることになった。


 目的は、危険な熊の排除――そして、間引きだ。




    †




「あ、あぁ…………」


 不動蓮華は、次々と熊が銃殺されていく様子を()(すべ)なく眺めていた。


 学生であり猟師としても未熟な蓮華に、作戦への参加が認められることはなかった。

 蓮華にできたことと言えば、後方支援の部隊に混じって殺された熊の死体を見届けることぐらいだった。


(――こんな、こんな形で終わるなんて……)


 蓮華の中で、父の死以来、ずっと張り詰めていた何かが今にも切れそうになっていた。


 自衛隊のヘリと装甲車による包囲網。

 そして、機動隊員による情け容赦のない銃撃の雨。


 それらの威力を()の当たりにしたとき、蓮華は悟った。


 ――自分の復讐は、これで終わる……と。


 ――そして、自らの手がそれに関与することはない、と……。




「――おーい、大物だ! 手を貸してくれ!」


 あるとき、森の中で仕留められたひと際大きな熊が蓮華のいる後方まで運ばれてきた。

 蓮華は胸から血を流すその雄熊の死体を見て、びくりと反応した。


「……でけぇな。こいつが『残月』か?」

「さあな……。まあ、何でもいいだろ」


 迷彩服を着た自衛隊員たちが、ブルーシートの上にどさりと死体を落とした。


(――違う)


 その熊は、『人喰い残月』とは別の個体だった。

 蓮華はそれを一目で理解し、我知らずホッと胸を()で下ろしていた。



「……蓮華ちゃん、大丈夫?」


 深刻な蓮華の表情を見て、佐々木という若い警察官が声を掛けた。

 佐々木は蓮華だけでなく、蓮華の父の修悟とも昔から交流があった人物だ。


「はい……」


 蓮華はそう応えながらも、胸中には焦りがあった。

 ――『人喰い残月』が、今にもその場に死体として運び込まれて来るのではないか、という……。


(……私が、やらなくちゃいけないのに……)


 蓮華の心中では、復讐心と使命感が複雑に混ざり合っていた。

 ――客観的に見れば、それは独りよがりな〝エゴ〟と言えたかもしれない。



 再び森の奥から銃声と熊の叫び声が聴こえたとき、蓮華は弾かれたように走り出していた。


「――駄目だ! 蓮華ちゃん!」


 佐々木が止める間もなかった。



「止まれ!」


 立ち塞がる機動隊員の脇をすり抜けようとした蓮華だが、足を掛けられて前のめりに転んだ。

 あっという間に取り押さえられ、猟銃も取り上げられてしまう。


 蓮華は、悔しさで顔を歪めた。



「……知人のしたことで、申し訳ありません」


 後ろから追いついた佐々木が、蓮華に代わって関係者に頭を下げていた。


「――作戦の邪魔だ。厳重に拘束しておけ」

「……了解しました」


 上官に指示され、佐々木は従わざるを得なかった。



 その後、佐々木が上手くフォローしたおかげで、このときの蓮華の行動が罪に問われることはなかった。


 ――しかし、翌日以降の作戦において、蓮華は現場に立ち会うことさえ禁止された。




    ††




「……蓮華はいるか?」


 4日間に及んだ合同作戦が終わった後――。

 猟師の剣持が、蓮華の住む家を訪ねてきた。


 剣持は現地のベテラン猟師という立場で、機動隊の銃器対策部隊に混ざって熊の捕殺にも参加していた。


「――剣持さん……」


 家の奥から、陰鬱(いんうつ)な雰囲気を(まと)った蓮華が姿を見せた。

 ろくに食事も()っていないようで、顔色が悪かった。


「どうぞ、上がって――」

「いや、ここでいい」


 剣持は蓮華の言葉を(さえぎ)った。

 長居をする気はなかった。――それでも、顔を見て声を掛けておきたかった。


「――これで全部、終わったべな」


 剣持は、努めてさっぱりとした口調で言った。


「……『残月』は、いましたか……?」


 蓮華は真っ先にそれを聞いた。


 剣持は、ゆっくりと首を横に振った。


「おらは見てねぇ。……んだども、あの包囲網だ。まず生きちゃあいねぇべ」

「やっぱり……」


 蓮華は顔を伏せた。


 ――『人喰い残月』はもう、どこにもいないのだ。


 蓮華は、その事実を受け止めなければならなかった。


「――ま、もう猟期でもねぇしな。学校さでも行って、ゆっくり羽伸ばせや」

「はい……」


 消え入るような返事だった。


「……熊は『残月』だけじゃねぇべ。山には熊以外の獲物もいるからよ。銃の感覚、忘れんなよ」


 ――蓮華が小さく頷くのを確かめて、剣持は(きびす)を返した。




 独りになった蓮華は、家の仏間に足を運んだ。

 仏壇には、蓮華の両親が揃っていた。


「父さん……」


 蓮華は(かす)れた声と共に、修悟の遺影を手に取った。


「……私、何にもできなかった……」


 ぽたり、と大粒の涙が遺影に落ちた。


「やっと、猟師になれたのに……。頑張ったのに……」


 後から後から、濁流のように込み上げる感情が、涙となって蓮華の頬を濡らした。


「――全部、何にもならなかったよ……」


 蓮華は遺影を胸に抱え、子供のように泣きじゃくった。





    †††





「――そうだったの……」


 盛岡市内の大学構内にて。


 蓮華の話をひと通り聞き終えた由美は、そっと彼女の肩に腕を回した。


「つらかったんだね……」

「…………」


 蓮華はこのとき、能面のような表情をしていた。

 それが深い悲しみの表れだということを、今の由美は理解していた。


「――とりあえず、卒業頑張ろ? 私もできるだけ協力するよ」

「ありがとう……」


 蓮華はまた、由美に力のない笑みを見せる。


 ――しかしその笑顔は、先刻よりも生気を感じさせるものだった。




    ††




 200Y年、4月。


 警察と自衛隊の合同での山狩り作戦によって、凌雲平一帯で50頭以上のツキノワグマが捕殺された。


『みなさんの安全を(おびや)かす、危険な熊は排除されました』


 作戦の終了後、公的機関はそのように結果を公表した。

 地域住民の多くは、この結果によって心の平穏を得た。


 事実として、これ以降『人喰い残月』のような残虐な食害を行う熊が凌雲平に再び現れることはなかった…………








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