第19話 凌雲平の悪魔
「――きゃああぁぁぁっっ!!」
「く、熊だぁーーっっ!」
「嫌だっ! 死にたくないっ!!」
200Y年の3月頃――。
ある日の俺は、凌雲平市の郊外にあるショッピングセンターに来ていた。
買い物? ……馬鹿言え。
――誰が人喰い熊に物を売るって言うんだ。
広々とした店内に侵入した俺は、人間どもの大歓迎を受けているところだ。
その中で1人、腰を抜かして足を止めた標的に目をつけた。
「グガアァァッッ!!」
「ひ、ひいぃぃぃっっ!!」
おもちゃ売場にいたその老婆は、心底怯えていた。
……運がなかったな。
――見れば、老婆は家族連れだったらしい。
「おばあちゃんっ!」
「良太! 向こうに行っちゃダメよ!」
今にも飛び出そうという姿勢の男の子を、母親らしき人物が後ろから羽交い締めにしていた。
……良太君って言うのか。
きっと、お祖母ちゃん想いのいい子なんだろうな……
――だが、すまん。
グチャッ
「ああああ゛あ゛あ゛ぁぁぁっっ!! おばあちゃあぁぁんっっ!!」
「うぷっ……ひ、ひどい……」
泣き叫ぶ良太の背後で、母親が顔を青ざめさせていた。
……せいぜい、俺を――熊を恨んでくれ。
顔面が抉れた死体の腹を裂き、腸を引きずり出す。より一層の悲鳴が上がった。
さしずめ、公開スプラッタショーってところか。
悲鳴、怒号……人々に恐怖の視線を向けられ、怨嗟の声を一身に浴びる。
――これが、俺の選んだ道だ。
間もなく、バタバタと駆け寄って来る複数人の足音が聴こえた。
その内の1人――警備員らしき人物が手にしている物を見て、俺はギョッとした。
……アイツ、スプレーを持って来やがった!
それは、いわゆる熊撃退スプレーというヤツだ。
仕組みは単純。高圧ガスでカプサイシン――唐辛子の辛味成分を噴射する。それだけだ。
――だが、その威力は中々のものだ。
一度、アレを至近距離で食らったときには、しばらく目鼻口がひどいことになった。
顔面にさえ食らわなければ大丈夫だと思うが――、できればアレは二度と食らいたくない……
〈――帰るぞ、ミカヅキ〉
《エッ、モウ……?》
滞在時間は、20分ぐらいだったか。
戦果としては、1人殺れたから十分だ。
〈長居は無用だ〉
《……ワカッタ》
どうもミカヅキは人間の文化に興味があるようだが……俺たちはゆっくりと社会科見学をしていられる身分じゃないからな。
俺は老婆の死体を置き去りにして、ショッピングセンターの入口へと走る。
「逃げたぞっ!」
「警察は何してんだよ!」
「クソッ! 『残月』めっ!!」
――ザンゲツ?
何度かその単語を聞いたが、やっぱり俺のことなのか?
……どっかのアニメのキャラみたいな名前だな……
駐車場に出て、すれ違う買い物客を驚かせながら山の方へ逃げる。
その道中、こちらに向かっていた若手の警察官と出くわした。
警察官は、俺を恐れて腰が引けていた。
「ひっ! ざ、『残月』……!」
――死神でも見たような顔しやがって。
俺がゆっくりと足を進めると、警官は後退りしながら腰に手を伸ばす。
「く、来るなぁっ!」
警官が拳銃を構えた。
俺は、山に帰りたいだけなんだが……
――バスンッと音がして、弾丸が腹に当たる。
……痛てぇな。
「ガアァッッ!」
「ひいぃぃっ! ごめんなさい、ごめんなさい!」
――ごめんで済んだら、警察は要らねぇんだよ!
俺はその警官を裏拳でぶん殴り、タックルで吹き飛ばしてから山へ帰った。
軽傷で済んで良かったな。
†
……こんな具合で、最近の俺は積極的に人里に下りていた。
ただし、長時間の滞在は避け、毎回場所を変えながらヒットアンドアウェイを繰り返している。
――捕殺されるんじゃないかって?
拳銃で撃たれたぐらいじゃ、致命傷にならないのはご覧の通りだ。
熊の分厚い毛皮と筋肉、脂肪で出来たこの鎧は伊達じゃない。
俺を仕留めるなら、ライフル銃かスラッグ弾でも持ってきてくれ。
そして、それを持った猟師が近くにいたとして、俺を見つけてもすぐに発砲できるわけじゃない。
町に下りた俺は、人間が作った法律によって幾重にも守られている。
特に、俺のように町中で暴れる熊にとって有利に働くのが、鳥獣保護法と銃刀法だ。
……しかもこの200Y年だと、まだ鳥獣保護管理法に変わってすらいない。
猟師が俺を撃つには、自治体から「有害鳥獣捕獲許可」を得る必要がある。
また、そもそも人家がある町中では発砲は禁止されている。
――つまり、俺が多少暴れたところで、そうそう撃たれることはないのだ。
他にも、夜間発砲の禁止や、学校や寺社仏閣での発砲禁止など、色んなルールがある。
……そのおかげで俺が安心して暴れられるんだから、皮肉なもんだよなぁ。
猟師が自治体に捕獲の申請を上げても、許可されるまで数日はかかる。
だから、こうして転々とヒットアンドアウェイに徹している限り、人間側の対策に追いつかれることはないはずだ。……たぶん。
唯一恐るべきは、猟師と警察が揃っているケースだろう。この場合、確か警察が緊急避難を適用して、猟師に発砲を許可できたと思う。
――とはいえ、いつまでも慢心していいわけではない。
被害が止まないと見れば、彼らもいつまでも無策のままとは行かないだろう。
むしろ、そうでなくては困る。
†††
『凌雲平の悪魔』――それは、『人喰い残月』につけられたもう1つの異名だ。
「別個体だ」と主張する者もいたが、不動蓮華や剣持のような猟師はそうは思っていなかった。
――しかし、これは文字通り悪魔の所業だ。
蓮華はそう思わざるを得なかった。
†
「――撃つなよ、蓮華。……撃ったら、銃を取り上げられるぞ」
「……わかってます」
狩猟の師となった剣持に念を押され、蓮華は唇を噛んだ。
――3月も半ばを過ぎた、ある日のことだ。
蓮華と剣持の2人は、猟師仲間から連絡を受け、集落の外れに急行した。
猟銃を持ってある民家の前で集合し、裏手に移動してそっと畑を覗く。
黒い、大きな熊がいた。
「――『残月』……!」
「……んだな」
今年の猟期の間、蓮華が毎日のように山で探し回った因縁の相手がそこにいた。
その熊が『人喰い残月』だということは、蓮華にはひと目でわかった。
これまで撮影・公開された映像を、蓮華は何度も繰り返し見続けていたのだ。
――しかし、直に見るのはこれが初めてだった。
(あんなに大きいんだ……)
体重が自分の倍以上ある捕食者の体躯を見て、蓮華は薄ら寒いものを感じた。
『人喰い残月』の足下では、農作業をしていた老人が畑を血で染めていた。
蓮華たちが来るより早く、彼は熊に襲われて命を絶たれた。
蓮華と剣持は眉を八の字に歪めた。
2人にとっても、全く知らない仲ではない老人だ。
蓮華たちが見つめる先で、熊が老人の腕にかじりつく。
「アイツ――ッ!」
その瞬間、蓮華は激しい憤りを感じた。
『人喰い残月』に喰い殺され、腹の肉をごっそりと失った父の姿が脳裏にフラッシュバックした。
「――シッ! ……静かにしろっ!」
剣持が押し殺した声で窘めた。
剣持は、蓮華が早まって銃を撃たないように強く注意した。
発砲の許可はまだ下りていない。
今、別の猟師が警察を呼びに行っている最中だ。
(――父さんの仇が、いま目の前にいるのに……!)
ぎりっと、蓮華は歯ぎしりをした。
――その後、通報を受けた警察が駆けつけたときには、『人喰い残月』はもう姿を消していた。
†
「……ありゃあ、とんでもねぇヤツだな。まるで、おらたちの法律をよく勉強してるみてぇだ」
「ええ……」
剣持の言葉に、蓮華は短く同意を返した。
(――なんて、狡猾なやつ……!)
蓮華の脳内には、激しい怒りと憎しみが渦巻いていた。
猟期が終わって3月に入ると、『人喰い残月』はそれを待っていたかのように活動を再開した。
ツキノワグマの冬眠明けには、まだ早い。
――やはり、「穴持たず」になって潜伏していたようだ。
『人喰い残月』は、凌雲平近郊のあちこちの町に出没し、人身被害を広げていた。
通報を受けて警察や自治体が対策に乗り出したときには、煙のようにその場から消えてしまう。
まるで、人間たちを嘲笑っているかのようだった。
(熊の癖に、どうしてここまで人間社会のルールを逆手に取れるのかしら……)
――『凌雲平の悪魔』とは、よく言ったものだ。
蓮華は、熊の悪知恵に戦慄を感じていた。
一方で蓮華は、融通の効かない法律の制限に苛立ちも感じていた。
(人が死んでるっていうのに……違反したら銃を取り上げられるなんて、理不尽よ)
蓮華が内心で毒吐いていたところ――
「――もし、また『残月』が来たときには、おらの銃ば使え」
ふと、傍らの剣持がそう言った。
「えっ……?」
勝手な銃の貸し借りは、銃刀法で禁じられている。
それは、剣持も知っているはずだが――――
「――おらが撃ったことにすればいい」
「剣持さん……」
蓮華はまじまじと剣持を見た。
〝――蓮華の代わりに、自分が違反の罰を受ける〟
剣持は、そう言っているのだ。
「お前ぇは不動さんに似て、銃の腕は確かだ。――だから、撃つならきっちり仕留めてくれよ」
そう言って、剣持は鼻の頭を指で掻いた。
「…………」
蓮華は、言葉を返せなかった。
彼女の心中では、迷いと葛藤がないまぜになっていた。
――自分の復讐のために、剣持が罰せられることがあっていいのか……
かといって、自らの銃を使って仕留め損なえば、復讐の手段を失ってしまう――
そんな蓮華の思いを他所に、日々は過ぎる。
幸か不幸か、
――『人喰い残月』が、再び蓮華の住む集落を襲うことはなかった。




