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残月記 〜人喰い熊に転生した男の残酷な復讐劇〜  作者: 卯月 幾哉


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第18話 新たな復讐者

【お知らせ】

終盤のプロットを見直し、予定より大きくボリュームアップすることにしました。

本話を含めて完結まであと約10話の見込みです。

最後までお付き合いいただければ幸いです。

 ――翌日の夕刻。


 凌雲平(りょううんだい)市の西の外れ、凌雲平の山地に近い山間(やまあい)の集落にて。


 雪に覆われた田舎道を必死で走る、年頃の娘の姿があった。

 『人喰い残月』に敗れた不動修悟の娘――不動蓮華(れんか)だ。


 盛岡市の大学に通っていた蓮華は、年末休みを目前にして急遽(きゅうきょ)、予定外の帰省をすることになった。


 蓮華はバス停から実家までの約3キロの道のりを、全力で走っていた。

 呼吸は荒く、表情は苦しげだった。――ふだん表情の乏しい彼女にしては、極めて珍しいことだ。

 すれ違う人の中で、里帰りして来た蓮華に気づいた者もいたが、その余りの必死さゆえに声を掛けることは躊躇(ためら)われた。


 古い木造の生家に到着した蓮華は、そのままの勢いで玄関の扉を開く。

 鍵は掛かっていなかった。


 蓮華は「ただいま」も言わずに荷物を玄関に放り出し、人の気配がする仏間の方へと向かう。


「――父さん!」


 (ふすま)を開いた彼女が対面したものは――――



 ――――物言わぬ遺体となった最愛の父、修悟が仰向けに安置された姿だった。



「そ、んな…………」



 蓮華は糸の切れた人形のように、カクンと畳に膝を落とした。



 ――――真っ黒な闇が、彼女の瞳を覆い尽くした。




    †




「――きっと、『残月』の仕業(しわざ)だべ……」


 剣持(けんもち)という、修悟と同年代の猟師の言葉を聞き、蓮華は目を見張った。


 9月初旬に修悟が蓮華に語った予言は、的中した。

 復活した『人喰い残月』の動向については、蓮華も気にかけていた。

 猟期に入ってから被害が()んでいたので、てっきりもう冬眠したのかと思っていたが……。


 剣持が言うには、『人喰い残月』は「穴持たず」になったという話だ。

 そう――この剣持こそ、修悟に煉獄沼(れんごくぬま)における『人喰い残月』の目撃情報をもたらした人物である。


 そして、修悟の遺体を発見し、警察に通報したのも剣持だった。


 剣持は語る。

 その表情は、苦虫を噛み潰したかのようだった。


「不動さんのライフルにゃあ、弾が2発だけ残ってた。……ってことは、4発撃ったってことだ」


 修悟のライフル銃は警察に回収された。蓮華は後で、そちらにも足を運ばなければならなかった。


「――んだども、現場には撃たれた獲物の痕跡(こんせき)はねがった。……不動さんの肉ば喰った熊の痕跡以外はな。獲物が死ぬか大怪我でもしてたら、何がしか跡が残るはずだから」


 撃たれた獲物はいない、ということだ。

 しかし、修悟が何もない的を撃ったはずがない。


 よって、次の事実が導かれる――。


「……無駄弾ば嫌う不動さんが4発も撃って仕留められねぇなんて――おらには、とても信じられねぇ……」


 蓮華は息を呑んだ。

 ぶるり、と背筋に戦慄(せんりつ)が走った。


 ――『人喰い残月』とは、そこまで恐ろしい熊なのか……



 剣持の胸には、苦い悔恨(かいこん)があった。


「……まさか、不動さんが1人で行くなんて……。せめて、おらたちの誰かを連れて行ってくれたら良かったのによぉ……」


 それを聞き、蓮華は思いを巡らせる。

 当時の修悟は、何を考えていたのか……


「――父は、元々1人で猟に出ることが多かったんです。……本当に居るかもわからない『残月』のために人手をかけるのが正しいか、確信がなかったんでしょう」


 蓮華の言葉は、ほぼ正解を言い当てていた。



 今さら悔やんでも、後の祭りであった。




    †




 暗い沈黙の中、父の死に顔を確かめた蓮華がポツリと言う。


「――顔、きれいなままですね」

「んだ……『〝残月〟にしちゃあ珍しい』って言う(もん)もいたな」


 修悟以前に出た9名の犠牲者は、例外なく顔面を激しく損壊されていた。

 しかし修悟の顔は、――発見された当時は血で真っ赤に染まっていたが――無傷のままだった。


 それでも『人喰い残月』の仕業だと断じられたのは、腹の肉が食害によってごっそりと失われていたことと、剣持の証言による。


「……ただの熊に、〝熊撃ち不動〟が負けるわけがねぇんだ……」


 その言葉に、蓮華もこくりと頷いた。




 ――とはいえ、疑問は残る。


(なぜ、父さんだけが……)


 ……顔面を、傷つけられずに済んだのか?


 蓮華の脳裏に、生前の修悟の言葉が(よみがえ)る。


『――「残月」のヤツは、恐ろしく頭の回る熊かもしれねぇ』


 もしかして……と、蓮華は思う。


 ……『人喰い残月』は、ただ本能に任せて暴れるだけの猛獣ではない?



 その問いに答えられる者は、誰もいなかった。




    †




「…………」


 剣持から話の一部始終を聞き終えた後、蓮華はある決心をする。


「――お願いがあります」

「何だ?」


 剣持が片眉を上げた。

 その次に蓮華が発した言葉は、常識の範囲を外れていた。


「私を、凌雲平の山に連れて行ってください」

「なぬっ!?」


 剣持は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

 蓮華が猟師を目指していることは知っていた。

 しかし剣持が知る限り、蓮華はまともな指導を受けた経験がないはずだった。


「今月やっと猟銃が手に入ったんです。この冬から父に教わるつもりでした」

「それは……」


 剣持は返す言葉を失う。

 あまりにも残酷な話だ。


 修悟は厳格な父親だったが、娘である蓮華を何よりも大切に想っていた。

 剣持は、それを知っていた。


 蓮華の双眸(そうぼう)が黒い炎を宿す。


「――『残月』は許せません。私がこの手で仇を取ります」

「無茶だ! 死に行くようなもんだ!」


 剣持は叫んだ。


 ――不動さんに代わって、絶対に彼女を止めなければならない。


 そんな使命感が、彼を突き動かした。


「お願いします! 足手まといだったら、山で見捨ててもらっても構いません!」

「できるかぁ、そんなこと!」

「お願いです! 何でもしますから……」


 頑なに拒む剣持に対し、蓮華は土下座をして頼み込んだ。


 剣持は苦汁を飲んだような顔をしつつ、決して首を縦には振らなかった。




    ††




 翌日、盛岡市に戻った蓮華は、大学に休学届を出した。

 アパートを解約し、夜にはまた故郷の町に帰って来た。


 丸一日が経っても、蓮華の考えは変わらなかった。


(――『残月』は、私が討つ。……たとえ、誰の手を借りられなくても)


 蓮華は、狩猟に関しては素人のままだった。


 伝統を重んじるマタギだった修悟は、女人禁制のしきたりを破ることに長らく難色を示していた。娘にもっと楽な生き方をしてほしいという思いもあっただろう。

 ――蓮華はこの冬やっと修悟を説得し、猟銃の扱いを教わる約束を取り付けたところだった……。


 故郷に戻った蓮華は、猟師の技術を教わるため、剣持以外の猟師の元にも足を運んだ。

 しかし……


(おり)ゃあ、もうこの冬の狩りには出ねぇぞ。……不動さんまで()られたんだ。俺らに手に負える相手じゃねぇ……」

「熊と戦う? ――馬鹿言っちゃいけねぇよ。熊に()ったら、まず逃げるもんだ。命あっての物種だべ」


 ――誰一人、蓮華の頼みに応える者はいなかった。


 猟師たちが薄情だから……ではない。

 彼らは鬼気迫る蓮華の様子に気圧(けお)され、つい保身に走ってしまったのだ。


 猟師たちにも、それぞれの生活がある。

 誰も、進んで死地に飛び込みたいとは思わない。

 ――そういうことだった。



 仕方なく、蓮華は独りで銃猟に挑むことにした。

 狩猟免許の受験時に勉強したから、基礎的な知識は持っていた。


 冬山は厳しい環境だ。

 蓮華は図書館で、登山についても調べた。

 その後、通販やホームセンターで装備を整え、万全の準備をして山に向かった。



 いざ――と、山道に踏み込もうとしたところで、蓮華に声を掛けるものがいた。


「――おい、どこさ行く?」

「えっ?」


 蓮華の背後に、ライフル銃を背負った剣持が立っていた。


「……銃猟を始めようと」


 蓮華は心細い声で答えた。


 剣持は首を左右に振り、溜め息を吐く。


「――装備が重たすぎる。そんなんじゃ、熊の餌食(えじき)になるぞ」

「あ……」


 冬山登山の情報に思考が引きずられた蓮華は、狩りをするには大荷物すぎた。

 それに気づいた剣持は、見るに見かねて声を掛けたのだ。


「……だいたい、獲物を仕留めた後、どうやって持って帰るつもりなんだ?」

「…………」


 蓮華は答えに窮した。

 『残月』を討つことばかりに囚われていて、そこまで考えが及んでいなかった。


「――おらが教えてやる」


 蓮華はハッとした。

 数日前、頑として譲らなかった剣持から、その言葉が出るとは思わなかった。

 剣持からすれば、亡き友の娘の無謀な行為を前にして、見るに見かねてのことだったが……。


「とにかく、今日は帰れ。おらが帰ったら、装備を見てやる」

「は、はい!」


 蓮華は返事をすると、素直に山を下りて行く。

 重い荷物を背負った割に、足取りは先ほどより軽くなっていた。


 そんな彼女を見送り、剣持は登山道を通って今日の狩場へ向かう。


(――何も、最初から獣道を通る必要はねぇのに……。その辺もちゃんと教えねぇとな)


 登山道での銃猟は禁じられているが、通行禁止というわけではない。

 猟区外では弾薬を抜いておく必要はあるが、どのみち猟区に入ってから装弾するのだ。手間は変わらない。


(……おら1人じゃ、面倒見切れねぇべ)


 剣持は猟友会の仲間に声を掛け、協力を頼むことを決めた。

 自分の目が届かないところで、蓮華がまた無茶をやらかすことを恐れたのだ。


 ――危なっかしいが、若手の育成だと思ってもらおう。


(……なぁに、若い美人の頼みだ。誰も嫌とは言うめぇ)


 剣持は、そんな風に仲間を説得する算段を立てた。




    ††




 最悪の人喰い熊が誕生した200X年が、幕を下ろす――。


 この年、日本の熊害(ゆうがい)による人身被害は過去最悪を更新し、死者12人を記録した。

 12人中10人が凌雲平周辺に集中しており、凌雲平は俗に「魔の山」と呼ばれるようになった。


 ただし、その10人を殺害したのが『人喰い残月』と呼ばれるたった1頭の個体だという〝噂〟に対し、専門家は否定的な見解を示した。



 明けて、200Y年――。


 蓮華はこの年の猟期が終わる2月中旬まで、来る日も来る日も山に通った。



 ――しかしこの間、蓮華が『人喰い残月』の影を見ることは遂になかった……。






    †††






〈――ミカヅキ、止まれ〉

《マタ猟師カ……》


 雪に埋もれた森の中で。


 俺はミカヅキに指示を出し、2人組の猟師が通り過ぎるのを待つ。


 この前のベテランハンターとの死闘から2〜3週間が経っていた。

 世間では新年を迎えた頃だろう。今年は……200Y年か。


 熊となった俺は特に新年を祝うわけでもなく、わずかな食料を求めて相変わらずひもじい毎日を送っていた。



 あの戦いの後、山で猟師の姿を見る機会が増えた気がする。


 ――仇討(かたきう)ちのつもりだろうか? 俺があの猟師を殺したから……


 俺を警戒しているのだろう。

 あれ以来、1人で行動している猟師を見ることはなかった。


 猟師の顔ぶれは、いつも同じではなかった。

 ただし、あるとき俺は、猟師たちの間に毎回のように猟銃を担いだ若い女が混ざっていることに気づいた。

 女猟師は珍しい。……が、俺が特に気になったのはその服装だ。


 彼女はあのハンターと同じ、カーキ色の帽子とベストを身に着けていたのだ。


 ――きっと、あのハンターの関係者だろう。

 年齢差を推し量るに……実の娘なのかもしれない。


 よく見れば、顔立ちも似ている気がした。



 ……申し訳ないが、仇討ちだとしてもまだ()られるわけには行かない。


 〝計画〟は、まだまだこれからなのだ。


 ――そして、いたずらに彼らと争うのも自ら定めたルールに反する。


 ゆえに、俺はただじっと身を潜めて、彼らをやり過ごした。


 幸い、あのハンターほどの腕利きはいなかったようで、あれ以降は不意を打たれるようなことはなかった。



《腹、ヘッタ……》

〈――すまん。猟師は減らしたくないんだ〉


 肉の味を覚えたせいか、空腹を訴えるミカヅキに申し訳ない気持ちになった。


《ダイジョウブ……》


 明らかに()せ我慢だった。悪いな……



 人里を襲うのもアリだが、猟期の間はリスクが高いと判断した。

 この最後の手段は、できれば使わずに乗り切りたい。


 はあ……

 冬眠さえできれば、こんな苦労はしないで済んだんだが……


 ミカヅキにも負担を掛けてしまったな。



 ……とはいえ、そんな苦労もいつまでも続くわけではない。


 この時期の岩手の正確な猟期はさすがに覚えていないが、せいぜい2月いっぱいだろう。

 その後は、こちらが自由に動ける範囲が増える。


『――昔は春先まで狩りをしていたもんだが……今は法律で禁止されてるし……』


 生前、上津野(かづの)市の猟師に聞きかじった話を思い出した。



 熊に生まれ変わってからずっと思考を続けていた俺は、あるとき次の結論に至った。


 ――この国の法制度は、熊のような害獣を駆除する上であまりにも窮屈(きゅうくつ)である。


 ……だから、俺がそれを変える――いや、そのためのきっかけを作る。



〈ミカヅキ。春が近づいたら、今までよりもっと派手に動くぞ〉

《ウン、ワカッタ》



 ――思い知るがいい。


 ……お前らが頼りにする、〝法〟の脆弱(ぜいじゃく)さを。






【改稿履歴】

(2026-05-23)200X年の熊害記録について加筆

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