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残月記 〜人喰い熊に転生した男の残酷な復讐劇〜  作者: 卯月 幾哉


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第17話 熊撃ち vs 残月(下)

 ――それは、全くの偶然だった。


 ミカヅキが雪道を闊歩(かっぽ)するのに任せ、俺は一面の雪景色をぼんやりと眺めていた。

 降り続いていた雪は小休止し、雲間から薄っすらと日が差していた。


〈……うん?〉


 ――きらりと、視界の中で何かが光ったような気がした。


 刹那(せつな)、俺は強烈な悪寒(おかん)を感じた。


《マサミ、何ガ――》

〈――ミカヅキ、危ねぇっ!!〉


 ミカヅキの言葉に応じている暇はなかった。


 俺はミカヅキから強制的に肉体の制御を奪い、即座に四肢を脱力させて地面に伏せた。


(――アレが銃だとしたら、射線を外れないとヤバい!)


 無我夢中だった。



 ――――バァァンッッ



 発砲音が響いたのは、俺の動きとほぼ同時だった。


 音よりも速く飛来した高速の弾丸が、頭のすぐ上をかすめて行った。


 俺は、心中でほっと胸をなで下ろす。


 ……九死に一生を得た。


《マサミッ! 敵カッ!!》


 直後、攻撃に気づいたミカヅキの精神も臨戦態勢になった。


〈ああ、猟師だ! 待ち伏せしていたらしい!〉


 ――それも、おそらく手練(てだ)れの猟師だ。


 俺はそう見当をつけた。


 狙われた部位は頭だ。

 胴体を狙われていたら、避けられなかった可能性が高い。

 きっと、それだけ腕に自信があったのだ。


 ――チッ、と内心で舌打ちした。


 失敗した。

 風上から歩いていたから、ニオイで気づくことができなかった。


 だが、反省会は後回しだ。

 ……ともあれ、この場を切り抜けなければ――――


 俺は姿勢を低く保ちながら、速やかに手近な木立の陰に移動する。


 銃声が響いた場所から、ガシャンッと機械的な音が聴こえてきた。

 ――前世で聴き覚えのある音だ。


(ボルトアクション式のライフル銃か。……本格派だな)


 俺は、敵手が狙撃を得意とする熟練のハンターであると推察した。



 ――再び、雪原に銃火の音が轟く。



 移動が功を奏し、猟師の第2射は俺の目前の木の幹に(はば)まれた。

 ラッキーだったが、まだまだ安心はできない。

 木の幹は意外に細く、俺の体を隠すには心許(こころもと)なかった。


 あの猟師の腕なら、次は直撃を食らうだろう。


 そんな、奇妙な確信があった。



(――――やるしか、ないか…………)



 残念ながら、背後はほぼ平地に近い坂道だ。遮蔽物(しゃへいぶつ)はない。


 日本の法律上、ライフル銃の装弾数は最大で6。

 つまり、残弾は最大4発。

 ――背を向けても、逃げ切れる保証はない。


 ミカヅキも野生の勘で、同じ結論に至ったようだ。


《……マサミ、行コウ》

〈ああ……俺に任せろ。あの武器のことは、よく知ってる〉


 ――――熊の中ではな。


 ……と、心の中で付け加えた。



 カーキ色の帽子とベストを着けた猟師は、白い雪山の中でくっきりと浮かび上がっていた。

 撃たれる前にあそこに辿(たど)り着ければ、俺たちの勝ちだ。


 距離は、目算で100メートル弱。


 この距離なら、こちらにも()がある。

 熊の脚力であれば、アイツが弾を撃ち切る前に近づくことも可能だ。


 ……猟師はなるべく殺さない方針だったが、この状況では仕方がない。



 俺の〝計画〟のために、犠牲になってもらおうか。




    †††




 『人喰い残月』の可能性があるツキノワグマと会敵した修悟は、驚愕(きょうがく)していた。


 ライフルの第1射は、必殺のタイミングだった。

 愛用の銃――レミントンM700――の弾速は、秒速700メートルを超える。音速の倍以上だ。

 即ち、音を聴いてから(かわ)すことは不可能だ。


 ――にも関わらず、あの熊はまるで撃たれる瞬間を読んでいたかのように、神憑(かみがか)り的なタイミングで頭を下げた。


 修悟は思った。


 ――やはり、アレが『残月』なのか……?


 修悟は動揺を押し殺しながら、最速のボルトアクションで次弾を薬室に装填(そうてん)する。


(……次こそ、当てる!)


 熊の動きを先読みして、放った第2射――――

 それは、熊がちょうど陰に隠れた立木の幹に、深い穴を開けるだけに終わった……。


(――とぼげっ!!)


 修悟は自分で自分に腹を立てた。


 ……貴重な1発を無駄にしてしまった。


 ――だが、偶然にしては絶妙なタイミングだった。


(気味が(わり)ぃ熊だ…………)


 まるで、こちらの動きを全て見透かしているかのような――――


 修悟は、久しく山で味わっていなかった緊張を感じていた。

 肌がひりつくような――胃袋を手でキュッと握り締められるような、あの感覚。



 …………それは、死の恐怖だ。



 無論、修悟に死ぬ気などない。


 たとえ『人喰い残月』だろうと、得体の知れない熊だろうと、討ち取った上で生きて帰るつもりだった。


 見れば、熊の大きな胴体は木の幹からはみ出していた。


(……そのままそこにいるんなら、俺の勝ちだ)


 ――横っ腹に風穴を開けてやる。


 修悟は装弾を終え、三度(みたび)熊に狙いをつける。


 熊は……動かない。


(……もらった!)


 修悟が引き金を引く。


 ――その瞬間、まるで測ったようなタイミングで、熊が木陰から飛び出した。


「なにぃっ!?」


 銃口から飛び出た弾丸は、真っ白な雪原に吸い込まれていく。


「――グオオォォッ!」


 黒い獣がけたたましい咆哮(ほうこう)を放ち、猛然と修悟の方へ駆け寄って来る。


(まずい……ッ!)


 修悟は、形勢が自身の不利へと一気に傾いたことを悟る。


 ツキノワグマの最高速度は時速40km以上。

 100メートルを9秒以内で走る計算だ。


 連射の効かないボルトアクション式の銃で撃てる弾数は、よくて2発。


 修悟の背筋が震えたのは、冬の寒さのせいだけではなかった。



    †



 修悟と熊の間の地形は、完全にまっさらな平原というわけではなかった。


 先ほど熊が盾にした立木以外にも、ちょうど二者の中間に近い位置にもう1本の木があった。

 秋に葉を落としきった、裸のブナの木だ。


 熊からすれば、先ほどの細木よりは頼りがいがありそうな太い大木だった。


 ――あの木の陰に隠れられたら面倒だ。


 修悟は、無意識にそう思った。


 ただの猛獣なら、真っ直ぐ修悟に向かって来ただろう。

 ……だが、今日の修悟の獲物はそうではなかった。


 その大柄なツキノワグマは、ブナの木を盾にすべく斜めに軌道を変えた。


 ――させるかっ!


「ぬぅっ!」


 修悟は、()えて前に出た。


 この間にも、修悟の手は高速でボルトを動かしている。

 空薬莢(からやっきょう)を排出し、ボルトを押し出してロックする。


 熊はまだ、ブナの木より手前にいた。


(――あの大きさに胸の模様……! 間違いない!)


 修悟は、ここまで接近して初めて確信を得た。


(――ヤツが『人喰い残月』だ!)


 修悟はすっと呼吸を落ち着け、殺意を冷たく研ぎ澄ませる。


(お()ぇに殺された(もん)たちの恨み、今ここで晴らす……!)


 彼我(ひが)の距離は、もう50メートルを切った。


 高速で動く的に狙いをつけるのは、並大抵のことではない。

 だが、修悟はスコープのみに頼らず、熊の動く先へ銃口を正確に向けた。



 ――――ダァンッッ



(――()った!!)



 今度こそ、自分の勝ちだ。――修悟は、撃った瞬間に確信した。


 その直後――――


 上体で銃の反動に耐えながら、修悟はくわと目を見開いた。




 熊の巨体が、宙を舞っていた。




 ……それも、ただ真っ直ぐ前に跳んだわけではない。


 あたかも棒高跳びをベリーロールで跳び越えるような、ひねりを加えた跳躍だった。


 ――――三日月が、空中で真円を描いた。


 それはまるで、銃撃戦に慣れた凄腕の兵士のような動きだった。



 雪面に血飛沫(ちしぶき)が舞い落ちる。



 ……どうやら、完全には避けきれなかったようだ。


 しかし、重傷とは言えず、命を奪うには程遠かった。



    †



 修悟は銃を構えたまま、あんぐりと大口を開けていた。



(……なんだ、コイツは……? ――俺はいったい、〝何〟と戦ってるんだ……?)



 ――――こんな熊を、俺は知らない(・・・・・・)…………!



 生涯で何十頭もの熊を葬ってきた熊撃ちは、理解の及ばない出来事に恐怖を感じた。



 ……それは、ほんの一瞬の出来事だった。



 だが、その間に熊――『人喰い残月』は、忍者さながらの動きで着地を決め、修悟の方へと雪原に縫い目のような軌跡を描く。



 修悟が我に返ったとき、『残月』と修悟の距離は30メートルを割っていた。


 ――――もう、間に合わん…………


 次にボルトアクションを行えば、銃を構えている間に『残月』の餌食(えじき)になる――――


 一瞬の内にそれを理解した修悟は、2発の残弾を抱えたライフルを積雪の上に放り投げた。


 そして、腰から愛用の山刀(ナガサ)を引き抜く。

 その切れ味は、決して熊の爪牙に劣るものではない。


 だが…………



(――――蓮華(れんか)…………!)



 絶体絶命の窮地(きゅうち)で、修悟はたった1人の娘のことを強く想った。



「――――ウオオオォォォォッッッ!!」



 熊撃ちは、熊に負けないほどの雄叫びを上げた。








    †††








 ――――しんしんと、雪が降り続いていた。



 真っ白な雪原の上に、真っ赤な鮮血のカーペットが敷かれていた。



《――ヨクヤッタナ、マサミ》


〈ああ……〉



 俺の足下には、事切れた猟師の死体があった。

 俺の爪撃によって頸動脈(けいどうみゃく)を深々と切り裂かれ、首筋から(おびただ)しい量の血を流していた。


 その死に顔は、まるでこの世ならざるものに出くわしたかのような形相(ぎょうそう)だった。



 ――――危なかった。


 あの第1射を(かわ)せたことと言い、幸運に助けられたところもあったのは事実だ。

 正直、ずっと細いロープの上を走り続けているような感覚だった。


 ……でも、ただのまぐれってわけでもない。


《――マサミノサッキノ動キ、スゴカッタ》

〈お前が補助してくれたおかげだ〉


 さっきは4発目の銃弾を回避するため、ぶっつけ本番でバレルロールもどきをやってみた。

 あの戦闘機がくるくる回るやつな。


 すっ転ばないで済んだのは、きっとミカヅキが動きを補ってくれたからだろう。


《ニク、食ベル……?》

〈……そうだな〉


 〝計画〟のための演出もあるが、「殺した以上は(かて)にすべき」という考えもある。


 貴重な冬場の食料だ。

 ……遺族には悪いが、腹の足しにさせてほしい。


 俺はいつものように遺体の顔面を破壊しようとし――――……なんとなく、今回はやめておいた。


 殺した後で、わざわざ顔を傷つける必要もないだろう。

 ふつうの熊が、こんなときにどうするかはわからんが…………


 凄惨な演出は必要だが、この戦士の顔を傷つけることは俺には躊躇(ためら)われた。


 俺はそのまま、ビリビリと猟師の服を引き裂いた。

 彼のカーキ色のベストが、見るも無惨なぼろ切れと化した。


 そして、肉の詰まった腹の目前で――牙を()く。


(――――すまない)


 心の中で、懺悔(ざんげ)の言葉を唱えながら。








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― 新着の感想 ―
めっちゃ面白いです、スコップしててよかったなって思って作者を見たらあなたでしたか笑 最近は夏を感じさせるような暑さなのでお体にお気を付けください
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