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残月記 〜人喰い熊に転生した男の残酷な復讐劇〜  作者: 卯月 幾哉


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第15話 復讐

 ――――リィィィン…………


 玲瓏(れいろう)な鈴の音に導かれるようにして、俺は森の中を静かに移動していた。

 熊鈴――あるいは、熊よけ鈴と呼ばれる道具の音だ。


 ときどき誤解されることだが、熊鈴そのものに熊を追い払う効果はない。

 熊はふつう、()えて音の主である人間に接触しようとは思わない――ただ、それだけのことだ。


 俺のような人を襲う熊にとっては、愚かな獲物(えもの)が自ら位置を教えてくれる便利な道具だ。



 ――ただし、元人間である俺は、決して見境なく人を襲うことを良しとはしているわけではない。


 まず、前途ある若者は殺さないと決めている。

 俺にとって、主な標的は老人だ。


 また、熊を減らしてくれる猟師も、なるべく殺したくない。

 ――が、こちらについては、状況がそれを許さないこともあるだろう。

 殺しに来る奴は、殺される覚悟もある……と信じたい。



 ――――リィィィン…………



 鈴の音は、もうすぐそこだ。


 足音は……4名か。


 人間らの進行方向で待ち構えていた俺は、木陰からそっと獲物の顔色を(うかが)う。


 ――その瞬間、俺はカッと目を見開いた。


(――――アイツは…………!)


 当時より若いが、間違いない。


 忘れもしない、前世で見た顔がそこにあった。




    †††




 200X年10月。

 凌雲平(りょううんだい)一帯の立入禁止が解除されて、早1か月が経過していた。


 〝「人喰い残月」は駆除された〟――報道によって多くの人がそう信じたものの、山を訪問する者の数は例年より大きく落ち込んでいた。


 そんなある日のこと――



「――なかなか、見頃じゃないか」


 紅葉に彩られた登山道を上りながら、熟年の男性が感心して言った。彼は、他の3名の仲間を率いる一行のリーダーだ。


「……確かに、そうですね」


 すぐ後ろに続いていた青年男性はそう応えつつも、視線をきょろきょろと動かし落ち着かない様子だ。

 後方の残り2名が追いつくまで、もう少しかかりそうだ。


 熟年男性が青年に近づき、その肩を叩く。熟年男性のリュックから、リィンと熊鈴の音が響いた。


赤地(あかじ)君、ビクビクし過ぎだよ」

青馬(あおま)さん。……こ、ここ人喰い熊が出た場所ですよ! 怖いですって!」


 そう、熟年男性の名は青馬真二(しんじ)

 自然保護団体「熊との共生を考える会」――通称「熊共会(くまきょうかい)」の代表者だ。

 一行の他の3名も、同団体の会員である。


 「人喰い熊」――その言葉を聞いても、青馬にはまるで動じた様子がない。

 むしろ、青馬が赤地を見る目に(あざけ)りの色が浮かんだ。


「馬鹿だなぁ。あの気狂いの熊は、もう駆除されたじゃないか。熊鈴だって着けてるんだ。ボクらが襲われることなんてないよ」

「そ、それはそうかもしれませんが――」


 赤地は、青馬の言葉を聞いても安心できなかった。

 心配性の彼は、まだ他にも人喰い熊はいるのでは……と悲観的な想像をしていた。


 青馬の語りは続く。


「あのたった1頭の異常個体のせいで、他の罪もない熊が何頭も殺されてしまったんだよ? だからこそ我々がこうして実地調査をして、熊が人々にとってよき隣人であるということを――――」


 ドンッという音がして、青馬の言葉は中断させられた。


 赤地が目を見開いた先で、突き飛ばされた青馬が不格好な姿勢で空中を舞っていた。


「おわあああぁぁぁっっ――――ぐへっ!!」


 わずかな滞空時間の後、切り立った崖の足下に激突した青馬は潰れた蛙のような姿になった。


「あ、あぁ…………ッ!」


 赤地には、そんな青馬の様子を気にかける余裕がなかった。

 彼は、眼前に忽然(こつぜん)と姿を現した存在に戦慄(せんりつ)していた。



 ――体長160cmに及ぶ、大柄な雄のツキノワグマ。


 目を血走らせ、低く(うな)り声を響かせる黒い猛獣の姿がそこにあった。



「ひっ」


 熊の殺気に当てられ、赤地は一歩も動けなかった。

 後ろから追いつこうとしていた残りの熊共会のメンバーも、思わぬ熊の出現にぴたりと足を止めていた。




「――()たたた……」


 全身の激しい痛みに苦しみつつ、青馬は混乱していた。――が、顔を上げて熊の姿を目にしたとき、自分がその熊に突き飛ばされたのだと悟った。


 ――ぞくり、と恐怖を感じた。


 その熊は、見るからに気が立っていた。

 ――人喰い熊かはわからない。……が、このままだと自分がまた攻撃されるかもしれない……


 この熊とは、どう頑張っても良い隣人にはなれそうにない――青馬は直感的にそう思った。


「……た、助けてっ!」


 青馬は叫んだ。

 死にたくない――その一心だった。


 しかし熊がひと声吠えると、赤地たち3名は蜘蛛(くも)の子を散らすように走り去ってしまう。


「あ、あぁ……」


 青馬は、離れていく仲間たちの背中を()(すべ)なく見送った。


 ――ギロリ、と熊が青馬の方に向き直る。


「ひいぃぃぃっっ!!」


 恐怖を感じ、青馬は慌ててリュックを下ろす。


(――何か! 何かないか!)


 青馬はリュックからビニール袋を取り出し、その中に片手を入れる。


 一歩、また一歩と、熊が青馬の方へ近づいて来る。

 それを見て青馬は、なぜか自分が死刑台へと続く階段を上っているように錯覚した。


 青馬は自分の股間がほかほかと温かくなるのを感じたが、それを気にする余裕もなかった。


「ほ、ほら……! これをあげよう……!」


 青馬が右手で差し出したのは、ドングリだった。――熊の好物だ。


 異様な雰囲気を放つ熊がドングリに鼻面を近づけ、スンスンと匂いを()ぐ。

 一見落ち着いたような様子を見て、青馬は内心で胸をなで下ろす。


(……よ、良かった! これで助かるかも……!)


 次の瞬間――――


 ざくり


 青馬の右手は、ドングリごと熊の口中に収まっていた。


「ぎゃああああぁぁぁぁっっっ!!」


 手首を上下から鋭い牙で刺し貫かれ、青馬は大声で泣き叫んだ。

 青馬のリュックが横倒しになり、中身が地面に散乱した。


「痛いぃ……。い、いやだぁっ! 殺さないでえぇぇっっ!!」


 青馬は両目から涙を流し、少しでも熊から離れようと足をばたつかせた。……が、それは何の意味もない行為だった。



 ――青馬の悲鳴と絶叫は、その後数十分にわたって秋の山に木霊した。




    †††




 ――ぐちゃり



 青馬だった物の残骸は、そんな音を立てて崖下に落下した。


 殺害するまでに時間をかけてしまったので、遺体の損壊は人目につかない場所で済ませたのだ。

 それをまた、今度は人目につくように登山道に突き落としたというわけだ。


 ……血や臓器が散らばってひどい絵面だが、まあこれも演出だ。


 今回は、あまり罪悪感を感じなかった。


 ――なぜなら、これは俺にとっての復讐だったから。




 正直、20年前の青馬と熊として再会できるとは思いもしなかった。


《――ヨカッタ……?》

〈ああ、そうだな〉


 頭の中でミカヅキに返事をした。


 獲物が青馬だったのは全くの偶然だが、俺にとっては僥倖(ぎょうこう)だった。


 ――神に感謝してもいい、と思ったのは、転生して初めてのことかもな……


 もちろん、俺はこの世界では(・・・・・・)まだアイツに何の被害も受けていないが……。心情的にも俺の目的のためにも、生かしてはおけない存在だった。


 「熊共会」――奴らは俺の知る限り、害悪だった。


 もちろん、俺は自然保護活動そのものを否定する気はない。

 ――が、俺の知る20年後の未来において、奴らはまるでアレルギー反応のように熊の捕殺に反対し、世論を巧みに扇動しているように見えた。


 青馬がいつから熊共会の代表だったかは知らない。

 運が良ければ、今回の事件は奴らへの痛烈な打撃になるかもな。


 俺が「人喰い熊」として活動を再開する上で、最高の景気づけになったと言えるだろう。


 ――今度、新聞でも探して読むか……? ……無理か……


「くふっ」


 おっと。

 ……変な声が出てしまった。


《――マサミ、ウレシソウ》

〈……ああ、そうかもな〉


 ……機嫌がいいのが伝わったか。

 まあ、ミカヅキに隠し事をする意味はない。


 復讐を果たし、少し心が晴れたような気がするよ。



 ――冬は間近に迫っている。


 猟師らが山に戻る前に、もう少し血の雨を降らせてもいいだろう。






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