第13話 熊狩り
――乾いた銃声が、真夏の凌雲平に木霊した。
遠距離から眉間に風穴を開けられた巨獣が、物言わぬ骸となって地面に倒れる。
ライフル銃のスコープ越しにそれを見届けた狙撃手――不動修悟は、にこりともしなかった。
仲間の猟師たちから感嘆の溜め息が漏れる。
「すっげえ……。眉間に一発かよ」
「あの距離で仕留めるたぁ、さすがは〝熊撃ち〟不動だ」
修悟と同じ作戦に従事することになった、猟友会のメンバーたちだ。
修悟は速やかに空薬莢を回収し、ライフル銃をベルトで背負って移動の準備を整える。
「ぼけっとすな! ……とっとと解体さ行ぐぞ」
「お、おう……!」
「……んだばな」
修悟の号令を受け、仲間たちも後に従う。
伝統的なマタギの修悟にとって、たとえ自治体の要請による出動であっても、ただ命を奪って終わりということはあり得ない。
――獲物は、山の神からの授かり物なのだから。
「……おし、引っ張れ!」
「うっ……! 重でぇな、こいつ……」
息絶えた熊の首筋に1人が山刀を差し込み、動脈を切り裂いた。
ロープで両足を固定し、近くの木の枝に吊るす。
熟練の猟師たちにとっても、それはひとつの大仕事になった。
修悟が仕留めたこの雄熊は体長160cm、体重100kgを超えていた。
ツキノワグマの雄としては、稀に見る大物だ。
「――呆気なかったなぁ、『人喰い残月』も」
死体を間近で見たある猟師が、そう言った。
「んだ。〝熊撃ち不動〟には敵わなかったべなぁ」
別の猟師が、頷きながら追従した。
その熊は胸の三日月模様を含め、これまで何度か人里で目撃された『人喰い残月』とほとんど同じ特徴を持っていた。
「…………」
盛り上がる他の猟師たちを他所に、ただ独り修悟は熊が死の直前に食べていたと思われるミズキの実を調べていた。
そんな修悟の様子に気づいた1人の猟師が問いかける。
「――不動さん、どうだ?」
修悟は頭を振った。
「わからん。……が、人喰いの熊にしちゃあ、普通のモン食っでるな」
「そら、山には食べる人間がいねぇがらなぁ」
そんな猟師のツッコミに、他の仲間たちがどっと笑う。
「この大物が普通だとよ」
「『人喰い残月』よか、〝熊撃ち不動〟の方が恐ろしいんじゃねぇか?」
猟師らは、みな浮かれ気分だった。
――7月末から山狩りを始めて、ようやく『人喰い残月』を仕留めることができた。
そう信じ、湧き上がる達成感に酔いしれていたのだ。
「…………」
その中で、修悟だけは言葉にできない違和感を感じ、眉をしかめていた。
凌雲平市の要請に応じた修悟は、猟友会の仲間たちと共に8月まで1か月余りの山狩りを実行した。
彼らが捕殺したツキノワグマの数は10頭以上に上る。
……その中には『人喰い残月』と思われる個体もいた、と公式に記録された。
†††
――季節は巡り、10月。
不動蓮華の通う大学でも、長い夏季休暇が明けたところだ。
盛岡市内のキャンパスには、若い学生たちの活気が戻っていた。
そんな、ある日の正午ごろのことだ。
「――お父さん、大活躍だったみたいね」
「うん……」
学生食堂の一角にて。
蓮華は友人の由美とテーブルをはさみ、昼食がてらに会話をしていた。
話題は1か月前、猟友会の活躍によって『人喰い残月』が捕殺されたというニュースのことだ。
「凶暴な人喰い熊が退治されて良かったわ〜。ありがとう、蓮華」
「私は別に何も……」
満面の笑みで礼を言う由美に対し、蓮華は居心地が悪そうに体を揺すった。
日本の熊害史上でも稀に見る惨劇となった7月中旬の事件以降、凌雲平周辺の町で熊が出没する事件はぴたりと止んでいた。
修悟たちハンター達の活動によって、危険な熊は駆除されたのだ。――誰もが、そう信じた。
9月に入ってすぐ、凌雲平市は事態の収束を宣言した。
人々は安心し、市民の生活は元の平和を取り戻した。
……『人喰い残月』は、既に過去の事件になりつつあった。
「――なんか歯切れ悪いわね? ……何かあったの?」
蓮華の対応に不審を感じた由美が、なにげなく訊ねた。
「いえ……」
蓮華は由美から目を逸らし、答えを保留した。
彼女は夏季休暇中に会った父、修悟との会話を思い出していた。
†
『――まだ、終わってない……?』
『……かもしれねえって話だ』
――9月初旬。
実家で山狩りを終えた修悟を労った蓮華は、彼から意外な言葉を聞いた。
このとき、修悟は仕事を終えたライフル銃の手入れをしていた。
『どういうこと? 「残月」は父さんが倒したんじゃ……』
『証拠はねぇ』
蓮華の言葉を遮り、修悟は言った。
胃の内容物などからも、倒した熊から普通のツキノワグマと異なる点はなかったという話だった。
『あれが「残月」かどうか、誰にもはっきりとはわがらねぇ。……もし、「残月」じゃながったとしたら――』
そこで修悟は銃身を拭く手を休め、目線を険しくした。
『「残月」のヤツは、恐ろしく頭の回る熊かもしれねぇ』
†
……そんな会話を思い出した蓮華だが、修悟の話はあくまで推測だ。
――不確かな話をして、目の前の友人を怖がらせる必要はないだろう。
蓮華は、そう判断した。
「……なんでもない」
ゆえに、蓮華はそう答えた。
「……そっか」
由美は、蓮華が何かしらの言葉を呑み込んだことを察した。
――が、蓮華との付き合いに慣れた彼女は、あえてそれを追求しようとはしなかった。
(――もし、『残月』がまだ生きているとしたら……)
ふと、蓮華は胸の内で思う。
(……私にも、仕留めるチャンスがあるかしら?)
†††
――見渡す限りの樹海が赤や黄色の粧いを始め、俺は秋の訪れを知った。
……なんとなく、前世の最期を思い出した。
あの時も、こんな季節だったような気がする。
この山地で最後に猟銃の音を聴いてから、もう1か月は過ぎた。
俺が人里を離れて山奥に引き込もってから、2か月以上経ったことになる。
――そろそろ、頃合いだろう。
《――行クノカ……?》
〈ああ〉
ブナの実を頬張っていたミカヅキの問いに、心の中で答えた。
2か月と少し前、凌雲平の麓の町を登ってくるハンター達の姿を遠目に捉え、俺は山奥へ退散することを決めた。
……〝計画〟の進行に、手応えを感じて。
そして、その後の山狩りの動向によって、〝計画〟の一部が上手く行ったことを知った。
どうやら俺を討伐しに来たハンター達が、まんまと他のツキノワグマどもを間引いてくれたようだ。
ハンター達の放つ銃声に怯えて、この山奥に逃げ帰って来た熊もいる。
……ヤツらは理解したことだろう。
武器を持った人間は恐ろしい、ということを……。
――そうだ。
これが俺の望んだことだ。
人と熊の間には、適度な距離感と緊張感が必要なんだよ。
だから俺は、敢えて残虐に振る舞った。
心を鬼にして人をむごたらしく殺し、貪り食ってみせた。
――人々が熊を恐れ、憎むように。
――その怒りが熊を殺し、怯えさせるように。
……人々は、俺のことをどう認識しただろうか?
せいぜい、恐ろしい人喰い熊だと思っていてくれれば良いが……
――だが、喉元過ぎれば熱さを忘れるのが人間社会というものだ。
この2か月余り俺が活動を控えたことで、彼らはもうすっかり油断している頃だろう。
……ひょっとしたら、「あんな熊は二度と現れない」とさえ思っているかもしれないな。
《――マサミ、次ハドコヘ行ク……?》
〈そうだな……。次は、少し南の方へ行ってみるか〉
ミカヅキに答えつつ、俺は胸の奥の黒い炎をたぎらせる。
――だから、もう一度、知らしめてやらなければならない。
熊という生き物の、恐ろしさを……。




