9.子爵令息ミリヤード・セントクリフ
テディさんに連れられ、歩いてたどり着いたのはレンガ造りの町一番のホテル……の裏口だった。
テディさんは何の迷いもなく扉を開け、手で私に入るよう促した。躊躇した私をテディさんは笑う。
「大丈夫だよ、俺がアリサちゃんをホテルへ酷いこと目的で連れ込むわけないって。バニーに殺されたくないしね」
それから私を試すような目で見る。
「それにさ、君に何かをするならさっき馬車に連れ込んじまえば良かったじゃない。俺が誘えば乗ったでしょ。君、急いでいたから。ここまで二人でわざわざ歩いて来たのは、アリサちゃんを怖がらせないためだったって、分かってよ」
一理ある。
この裏口はおそらく従業員専用口で、男女問わずホテルで働く人々が行き交っていた。
修道女の私にしたら今はもう就寝時間だが、ホテルではディナータイムの掻き入れ時らしく、こちらに構うほど余裕のある者はいない。
どうして「テディさんがここから勝手知ったるように出入り出来るのか」気になったが、まずはそれよりも強い疑問を口にした。
「本当にバニラはここにいるんでしょうか。だとしたら、セントクリフ修道院からこのホテルまでは問題なく歩いて来れる距離なのに……どうしてバニラはわざわざ馬車に乗ったんでしょうか」
「そんなの、簡単だよ」
テディさんはすぐさま返事した。それからいつになく真剣な目をする。
「馬車で迎えにきた『待ち合わせのお相手』が、人に顔を見られたくなかったからさ」
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赤絨毯に、彫刻が彫り込まれた白い壁。
ホテルのレストラン中央に飾られたクリスタルの花瓶には、豪華な花が生けられている。
円形のホールを囲むように、壁際に幾つかの個室が備えられている。
そのうちの一つにバニラはいた。
ルーセント伯爵家から持ち込んでいたのか、光を弾く耳飾りをして、真紅の布がたっぷりしたドレスに身を包んでいる。いつもに増して艶めかしい雰囲気だ。
バニラの向かい側に座っているのは、とてつもなく整った容姿の青年。「眉目秀麗」という言葉は、まさにこういう人のためにあるのではないか。
金縁に紺色の、一眼見ただけで上質だとわかるテールコートを着ている。
バニラはツンと顎を上げ、これ以上なく偉そうに言った。
「久しぶりね、ミリヤード。いや、もうセントクリフ様、と呼ぶ方がよろしいかしら」
青年は黒髪の頭を揺らしながら爽やかに笑った。
「ふはっ、他人行儀はよしてくれないか。バニラ・ルーセント嬢」
ーーミリヤード・セントクリフ。
ということは、この人はセントクリフ子爵の嫡男様!
私は驚愕した。メアリーの言葉を思い出す。
『ご子息のミリヤード・セントクリフ様って方は、とんでもなく美しいって噂! さらには寄宿学校を飛び級してご卒業された、格別優秀な方とか』
『ねえ、そういえば……ミリヤード様も黒髪碧眼だって聞いたことがあるけれど』
確かに、曇りなく滑らかな肌に、ランプに負けないくらい輝いている瞳。
そんな彼の瞳の色は「青色」だった。
だけど……だけど、と私は思う。
急激に波打ちだした心臓付近をぎゅっと握る。
私にそれ以上の感情は湧かなかった。彼は色白の瓜実顔で、どちらかというと「エレガント」な雰囲気を纏っていた。
「坊っちゃま」の顔にはもっと、張り詰めたようなクールさがあったような。
しかし、もう10年以上昔の記憶だ。成長とともに顔付きが変わることなんていくらでもある。しかも、今の私は想定外の人物の登場に混乱しているし、正常な判断が出来ていなくてもおかしくない。
ミリヤード・セントクリフはおそらく完璧なマナーで、皿の上のローストビーフを切りながら言った。
「寄宿学校以来か。僕としては会えて嬉しいよ。だけど、未だに信じられないんだ。あれだけ社交界で『悪女令嬢』の名を思うがままにした天下のバニラ・ルーセント嬢が、あっさりこんなところの修道院送りになるなんて」
ーーゴッ。
バニラとミリヤード・セントクリフは同時にこちらへ振り向く。理由は、脇に控えていたウェイターの配膳ワゴンから異音がしたからだ。
「大変失礼いたしました。下段に積んだ銀食器が倒れたようで」
「いや……構わん。許す」
怪訝そうなミリヤードが目にしたのは謝罪するウェイター……の格好をしている……テディさんである。一方私は、ギャザーが寄った白布で囲まれている「ワゴンの下段」に、身体を丸めて乗り込んでいた。
驚きのあまり音を立ててぶつかったのは、私の頭だ。
痛い。どうしてこんなことに。
修道女見習い服のままでは目立ち過ぎると、テディさんに言われるがままワゴンに押し込まれ、バニラたちを布の隙間からそっと伺い見ていたのだ。
テディさんは本当に何者なのか。どうしてこんなことがスムーズに出来るのか。
それに。
「悪女令嬢」に「修道院送り」? ……バニラが?
バニラに対して消え切れなかった疑惑が次々と他人の口から言葉にされる。ミリヤード・セントクリフは、迷いなく言っていた。
彼の中でのバニラの認識は、間違いなく「悪女令嬢」で固まっている口ぶりだ。
私が知らない名を連ねながら、ミリヤードの話は続く。
「バニラ嬢が夜会のたび粉を振りかけといて袖にした男たちーー
レノックス・スミスーーちょっと調子に乗っていた新興貴族だったか、彼は、未だにバニラ嬢が忘れられなくて仕事にならないらしいよ。王宮に姿を出さなくなったようだ。
ああ、バーガンディ商会の息子ライル・バーガンディーーも、バニラ嬢の盲目的な信者だったね。せっかく由緒ある家柄の婚約者がいたのに、結局破断に至ったと聞いているよ。さすがの君も、神の御前では反省したかい?」
「ふん、あの二人は元々黒い噂が尽きなかったじゃない。私がいなくとも同じ道を辿っていたはずよ。自業自得だわ」
バニラは鼻で笑った。
ミリヤードは目ざとく指摘する。
「赤ワインに手をつけないのか? 君のために用意させたのに。あんなに好きだったろう」
「……修道院の戒律なのよ。うるさいの、私についた教育係は」
ドキリとする。バニラの言う教育係とは私のことだ。
あの日酒場「ああ、無情」で、私がお酒について物申したことは一応響いていたようだ。
「分厚い聖書だって肌身離さず持ち歩いているわ」と、さらなる同情を買いたいのか、バニラはテーブルに出して見せる。
ミリヤード・セントクリフはやれやれとばかりに肩をすくめた。
「しばらくの辛抱だな。今に出してあげられる。セントクリフ修道院の自治権は、僕がセントクリフ子爵になった暁には奪還するよ」
「あの修道院は相当前の時代から自治扱いを認められているわ。いくら貴方が新しい子爵になっても不可能なんじゃないかしら」
間髪入れずに突っ込むバニラ。
ミリヤード・セントクリフはいきなり話を変えた。
「バニラ嬢は何故セントクリフ修道院が自治扱いになったのか聞いている?」
「……え?」
「この地を初めて任された初代セントクリフ子爵はオカルトに取り憑かれていてね。あの修道院で『悪魔召喚』の儀式をしたらしいよ。セントクリフ修道院の回廊には、秘密の扉があって、そこは『地獄の入り口』に通じていると言われている。
そんなことまでやっておいて……最終的に自分らの手に負えなくなったんだね、セントクリフ子爵の二代目か三代目かになって怖くなり、修道院における一切合切を手離したらしい。まあ、無責任にもほどがあるよね」
「馬鹿馬鹿しい。世にも奇妙な都市伝説に興味はないわ」
バニラは半目になった。ミリヤード・セントクリフは気にも止めない。
「現修道院長はもう長いよね。彼女は頭が固いけど……でも、僕には切り札がある」
一瞬の沈黙の後、バニラは上目遣いでミリヤード・セントクリフを見た。
「ねえ、ミリヤード……貴方は知ってる? ある情報筋から聞いたの。王都近郊で『悪いもの』が流行っているって。あれは社交界の、限られた不良貴族とその周辺だけの『局地的なもの』だと思っていたけれど。この町にもーー」
「僕の気持ちは分かっている? バニラ・ルーセント嬢。じきに、君にプロポーズ出来るよ」
ミリヤード・セントクリフはテーブルに肘をついて組んだ手に顎を乗せる。
それは自分の考えが正しいと信じて疑いのないような、澄み切った瞳だった。
「見ていて。
今までが宝の持ち腐れだったんだ。これからのセントクリフ子爵領は子爵なんてものに収まらない……僕は、この国でも有数の貴族になるよ」




