8.神の祝福
「そうよね、他ならぬ私がシスター・バニラのことを『悪女令嬢』だとか言い出したのよね、穴があったら入りたいわ。恥ずかしい!」
礼拝堂での夜課(=讃歌)が終わり、自室への道すがらメアリイは言った。
長かった一日がようやく終わる。
昼間の出来事によりメアリイの中のバニラのイメージは、塗り変わったようだ。メアリイは自分の言葉に頷きながら、繰り返す。
「まあ、あれだけ麻雀に精通していたということは、多少、他の令嬢より『おイタ』していたのは事実だろうけど……あの子は悪い子ではないと思う。まして悪女だなんて」
ここで私は気付く。
「あれ、そのバニラはどこに?」
「彼女ならもう部屋に戻っているわよ。さすがに疲れが出たみたいで」
メアリイは心配そうに眉を下げる。
「思えば……父さんとの別れ際くらいから、彼女、心ここにあらずだったわ。シスター・バニラの顔色が変わった瞬間があったのよ」
「え?」
あの男たちが去った後、天気が幾分か回復したため、私はじゃがいも畑の様子を見に行っていたのだ。
三人して雨上がりの土にまみれる意味はなかったし、ドクター・ストーンの見送りがあったからバニラとメアリイには残ってもらっていた。
メアリイが言うにはーー
ドクター・ストーンは何度もバニラにお礼を言ったそうだ。あれだけ活躍したバニラだったが、「気が向いただけ」と実にそっけなかったらしい。
それからメアリイは父と親族の近況などの話をして。
『メアリイ、シスター・バニラ。人から「痛み」を消すものは何だと思う?』
ふと、ドクター・ストーンは思い付いたように言い出した。
メアリイは目をしぱしぱさせる。バニラが答えなかったので、そのまま頭に浮かんだことを口にした。
『いきなりなあに? 神様を信じる心、かしら』
『君たちにしたらそうだろうね。ただ、医者としての私の考えは違う。答えは麻酔だ』
目を細めるドクター・ストーン。
『そしてこの国で一番強い麻酔は「麻薬」になるね』
バニラはわずかに眉を上げた。ドクター・ストーンはほろ苦く笑う。
『「麻薬」はね、肉体だけでなく人の精神にも影響を与えてしまう』
メアリイは最初、この話は「父親が娘を案じて」言っているのだと思ったそうだ。しかし、彼の注意は明らかにバニラに向いていた。
『今、王都では「悪いもの」が流行り出している。この手のものは昔から一部の道を外した者か……暇を持て余した金持ちの道楽と決まっていたんだ。ところが、最近、私の診療所に来るような日々の暮らしに精一杯で、真面目な者たちからも中毒者が出ている。それが本人たちの意思によるものなのか何なのか、私にはわからない。この町が蝕まれるのも時間の問題だ。
シスター・バニラ、君はどうやら私たちの「知らない世界」にも片足を突っ込んでいるようだから』
メアリイは父の発言の意図が分からず、疑問を呈そうとした。だが、丁度迎えの馬車が到着し、タイミングを逸してしまったらしい。
ドクター・ストーンは馬車に足をかけながら振り返って言った。
『こんな私に言われるのは解せないかもしれないが……シスター・バニラ、君がいくら有能でも、君の身体は一つしかない。どうか気をつけて』
彼は続けた。
『さっき君が出した麻雀の役「九蓮宝燈」は出現率0.0005%の代物だ。成立させたことで人生で持ちうる「全ての運」を使い果たしたとも言われる。それ故に「出したものは命を落とす」という迷信に繋がっているんだ』
「そんな……!」
私は思わず悲鳴のような声を出してしまう。
「それから、父さんは呟くように言ったのよね」と、メアリイは続けた。
「ええと、確かこうよーー
『患者は受診時、決まって最初は「悪いもの」の使用を隠そうとする。『賭博』と同じように、違法行為かもしれないという自覚はあるんだね。しかし、最期には自分すら見失って、必ずこう言うんだ。
ーー早くもっと、もっと【神の祝福】をよこせ、と』……ってね」
私は息をのんだ。
バニラの表情が明らかに変わったのは、この時だという。メアリイは首を傾げた。
「父さんはシスター・バニラに何を言いたかったのかしら? 死が近づいた人間が神を乞うのは、ごく自然なことなのにね」
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私は絞り出すように言った。
「い、いない……っ!」
メアリイと別れ、駆け込んだバニラの部屋は空だった。
しかし、ベッドのシーツは生暖かい。つい先程まで彼女はいたはずだ。
どうしてバニラが「神の祝福」なる言葉に反応したのか。身体中嫌な汗でしめり、動悸が止まらない。
私とてこの10年、ぼんやり生きていたわけじゃない。自分なりに調べていたのだ。あの花火の夜の出来事を。
その由来は……きっと今世で見ることが不可能だから。この世にもし「それ」が存在したのなら、きっと「神の祝福」だとすら思えてしまうから。
「神の祝福」を花言葉に持つ花。
それは、【青い薔薇】。
カーテンを開いて見下ろせば、修道院の門灯に照らされた、いつかと同じ外套を羽織ったバニラが目に入った。
彼女から話を聞かなければ。
もつれる足を無理やり動かして、転げるように外へ飛び出した。
日が沈んだ通りには馬車が行き交い、人影がまばらにあった。その中でも示し合わせていたかのように、一台の四輪馬車がバニラの真横に止まる。
「バニ……っ!?」
彼女までの距離は15メートルくらいか。
声をかけようとした瞬間、背後から伸びてきた手が私の口を塞いだ。
✳︎✳︎✳︎
「ふがっ、でぃっ……!」
見上げる私の表情から、自分のことを識別したと分かったのだろう。
「なんだ、ちゃんと俺のことを覚えててくれたんだねーーアリサちゃん?」
パッと手を離して笑ったこの人は、酒場「ああ、無情」でバニラと一緒にいたーー。
「テディさん……!?」
「こんな時間に一人でそんなに急いで、どうしたんだい」
テディさんはさも何でもないことかのように軽く言う。
「っ……! すみませんが、今貴方と立ち話している余裕はないんです。バニラを追わないとーー」
「そうなの? バニーならもう馬車で行っちゃったけど」
「ああっ……!?」
テディさんが顎で示せば、まさにバニラを乗せた馬車が走り出したところだった。
「な、どうしてくれるんですか!!」
とんだ伏兵だ。いや、単なる「タイミングが悪すぎる人」なのか。
テディさんが偶然現れたのか、バニラを私から逃すために現れたのかも、わからない。
色々なことが一度に起き過ぎて、もはやパニックだ。半分涙ながらに詰め寄れば、テディさんは肩をすくめた。
「うーん、バニーが長年かけてやろうとしていることを無下には出来ないんだけどな。とはいえ、俺が女性の涙に弱いことアイツも知ってるし。そもそも……アリサちゃんだって『当事者』なのにねえ」
「……はい?」
テディさんは明後日の方向を見ながら一人ぶつぶつ言った後、私を正面から見た。
口元には笑みを浮かべているが、そこから彼の本心は読めない。
「いいよ、アリサちゃん。俺がバニーのところに連れて行ってあげる」




