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10.バニラの忠告

※ガールズラブものではありませんが、一瞬それに近い表現があります。苦手な方はご注意ください。

 セントクリフ修道院に戻った私は、ベッドに入るも一睡も出来なかった。

 バニラも半刻後に戻って来ている。耳を澄ませていたから、彼女の部屋のドアの開閉音でわかった。


 何だったのだろう。ホテルで目撃したことは。夢だったかと思うくらい、現実味がなかった。

 あの後、ウェイターに扮したテディさんに己の正体について問いただしたが、はぐらかされるばかりでまともな答えは得られなかった。ただ「俺はバニーの相棒だよ」とニヤつきながら繰り返されるばかりだった。

 終いに彼は、「困ったことがあったら酒場『ああ、無情』に来なよ。俺はいつでもいるからさ」とヒラヒラと手を振って去っていった。


 メアリイはバニラを「悪女令嬢」ではないと言っていたが、ミリヤード・セントクリフ子爵令息が評したバニラは「悪女令嬢」だった。

 つまり、王都の寄宿学校にいた頃のバニラ・ルーセント嬢は悪女令嬢で、セントクリフ修道院にいるシスター・バニラは悪女令嬢ではない。バニラは改心したというのか?


「そうでないもの」を証明するなど、まさに「悪魔の証明」である。私は神様の膝下ひざもとでなんてことを考えているのだろう。


 そもそも「悪女」の概念とは。

 バニラはテディともセントクリフ子爵令息とも親しく見えたが、二股などをしているようには感じなかった。


【青い薔薇】についてバニラを問いただすつもりだったのに、新たな疑問が増えただけ。

 私は何十回目かの寝返りを打つ。シーツにシワがよるのみで考えはまとまらない。


 ミリヤード・セントクリフがあの「坊っちゃま」なのか否かも、確信が持てなかった。



 ✳︎✳︎✳︎



 翌朝、その知らせは修道院長様から皆へ告げられた。


 現セントクリフ子爵様が逝去されたとのこと。老衰で、有意義なその天寿を全うされたようだ。

 弔いはセントクリフ修道院に近い場所にある教会で行われる。子爵様は人望があって領民たちに慕われていたため、多くの人々が参列することになる。


「第三王子殿下……がいらっしゃる……?」


 いつも落ち着き払っている年配の修道女すら、息をのみながら言った。

 修道院長様は頷く。


「ええ、セントクリフ子爵様の葬儀の日、子爵令息様の他に、第三王子殿下もこの修道院を訪問されたいとのご希望です。子爵令息様は状況が落ち着き次第、子爵位を継がれると聞いています。セントクリフ修道院としても名誉なことです」


 背後ではメアリイがヒソヒソ声でバニラに尋ねる。


「ねえ、子爵様とはいえ、こんなところの弔い関連に王族が直接来られるなんて珍しいのでは?」

「そうね。ただ、個人的に関係があったりしたのであれば、あり得ないことではないわ」


 バニラは何でもないことのように答える。私はつい、バニラの顔をうかがい見てしまった。

 ミリヤード・セントクリフは昨夜、バニラに「自分が子爵になり次第、セントクリフ修道院の自治権を失くす」と宣言していた。そのことと、今回の第三王子殿下の訪問は、関係あるのだろうか。


 メアリイはバニラに「貴族を迎えるマナー」を自分たちへ教えてくれるよう願い、バニラは承諾していた。

 私のぶしつけな視線はいつ気づかれてもおかしくなかったが、バニラはメアリイへ向いたまま、顔色一つ変えなかった。



「……どうしたのよ、アリサ。全然スプーンが進んでないじゃない。そういえば朝食もよ。あんなに貴女が気にかけていた、じゃがいも畑での作業もぼんやりとして」


 心配そうなメアリイの声にハッと顔を上げる。

 もうお昼の時間だった。

 皿の上にはまだ食べ物が残っているが、どうにも喉を通らない。

 いつものように修道女たちが集まっている食堂には、ピカピカに磨かれたガラス窓から日差しが入り、いつも通りの穏やかな時間が流れている。

 私だけが一人違う世界に囚われているような感覚だった。


「あ、ごめんなさい。少し考えごとをしちゃって……そういえば、シスター・バニラは?」

「あら、もう食べ終わったのかしらね。彼女、私と皿洗い当番だからまだ居てくれないと困るのに」


 メアリイは思い出したように追加した。


「シスター・バニラといえば、さっき不思議なことを聞かれたわ」

「不思議なこと?」

「修道院長様がどのくらい昔からここにいたのかとか……まあ、修道院長様について色々ね。いきなりどうしたのかしら」


 ミリヤード・セントクリフとの間にも出ていた話題だ。


「メアリイ。私、バニラの居場所がわかるかもしれない。呼んでくる」


 昼食の後には、長くはないが自由行動できる時間がある。いずれにしろ、私にはそのタイミングで行きたいところがあった。


 ミリヤードの言葉。

 頭にこびりついて離れなかったのだ。


『セントクリフ修道院の回廊には、秘密の扉があって、そこは「地獄の入り口」に通じていると言われている』



 ✳︎✳︎✳︎



 たどり着いた回廊には、バニラ一人だけがいた。

 しゃがみながら、床のタイルの一部を指でなぞっている。


 ハッ、と素早くバニラは振り返る。

 背後にいたのが私だと気づくなり、安心したように息を吐いた。彼女が口を開くより前に私は言った。


「……シスター・バニラ。あなたはセントクリフ修道院で何をしているの?」


 ぬるい湿った風が吹き込み、バニラの頭巾と黒髪が揺れる。


 太陽が頭のてっぺんに上がり光が強まった分、暗い部分とのコントラストが激しくもなった。バニラが持つ黒の色彩が、影に溶けていきそうな気がした。

 礼拝堂からは讃美歌の練習が響いて来る。


 嵐の予感がした。



 ✳︎✳︎✳︎



 立ち上がるなり、バニラは意外なことを言いだした。


「セントクリフ子爵令息様と第三王子殿下がいらっしゃる日、アリサはいない方がいいわ」

「え、なんで」


 私は素で目を見開いてしまう。

 バニラはそんな私を鼻で笑った。


「だって、貴女はただの町娘じゃない」


 いきなりそんな分かりきったこと、何だと言うのだ。バニラは続けた。


「貴族を相手にするほどマナーがなってない。今から学んだって付け焼き刃だわ。シスター・メアリイのように元々それなりのお嬢様育ちだったら別だけど」


 そういうことか。

 しかし、そんなことをいきなりバニラに言われ、思いがけず傷ついている自分に驚いてもいた。無意識にどこかで、バニラと私の距離が、少しは縮まっているとでも思っていたのかもしれない。

 私は出来るだけ、落ち着いた口調になるよう注意しながら反論した。これから話すことは個人の見解というより、シスターとしての心構えになるからだ。


「生まれ育ちについて言われるのは心外だわ。自分では変えられないもの。そもそもここはバニラも知っての通り修道院よ。俗世とは違う」

「修道院長様にはもう進言してあるわ。王子殿下たちがいらっしゃる日、その時間帯、アリサは町まで『お使い』を頼まれるはずよ」


 いつだったか、バニラはルーセント伯爵家から多額の寄付金が流れていると言っていた。だからと言って、バニラが修道院長様を意のままにするなんて。


「……修道院長様はそんなことはしない。そんな理不尽なことを修道院長様にさせないで。バニラなら出来るはずよ」


 ここまで私が粘るとは思っていなかったのか、バニラは眉を上げた。


「じゃあ、こうする? いっそアリサをこの修道院にいられないようにする?」

「ーーえ」


 バニラはいきなり私の腕を掴むと、私の唇に自分の唇を近づけた。


「な……!」


 修道院内では、色恋沙汰は当然禁忌だ。

 神様に捧げるこの身なのだから。勿論、それが女性同士であっても。

 バニラはすんでのところで動きを止めると、妖艶に微笑んだ。驚きのあまり口も聞けない私を嘲笑い、顔を離しながら言った。


「昨日、テディと私をつけて来たこと、知ってるから」

「!」

「全部忘れなさい。ドクター・ストーンの受け売りよ。貴女の、アリサの身体は一つしかないのだから……せいぜい大切にすることね」


 私の目を覗き込み、そこから萎縮の色を嗅ぎ取ったのだろう。私がバニラに従うと確信したに違いない彼女は、背を向け去っていく。


 あまりの事態に頭がぐらぐらして来た。

 立っていられない。


 膝から崩れそうになった私に、バニラが振り返ったように見えた。


「え、ちょっとアリサ……!?」


 かすみゆく意識の中、これ以上の緊張状態を保てなかった。


「ーーちょ、アリサ!? しっかり!!」


 ひどく慌てたように私の名前を呼び、私を抱き止めるバニラ。彼女はやはり、その見た目よりずっと力があるようなーー


 全身から力が抜けて、私は意識を手放した。



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