11.ガラスビーズの思い出
私は夢を見ていた。
その日の空は、燃えるような夕焼けだった。
「そんなところで何をしているの」
私は風に吹き飛ばされそうな帽子を押さえながら言う。
母さんがセントクリフ修道院の慈善事業のお手伝いに行っていて、まだ5歳と幼かった私は「そのあたりの草っ原で遊んでおいで」と言われていたのだ。
花を摘んだりしていると、ふと草の谷間にキラリと光るものを見つけた。透明と金色と銀色が混ざったような、小さなガラスビーズだった。
こんなに綺麗なものは見たことがない。
母さんに見せようーー飛びつくと、そのビーズは地面に点々といくつも連なって落ちている。
これだけ拾えたら、ネックレスは無理でもブレスレットくらい作れるかもしれない!
ハンカチに包みながら夢中でビーズ収集をしていたら、いつの間にやら岬の崖っぷちにたどり着いていた。
緑の草はいきなり途切れていて、白亜石の崖は真っ白い。まるで、緑のカラメルソースを乗せた大きな白いプリンがあって、それが巨人にさっくりと切られてしまったかのような断崖絶壁だ。
足がすくむ高さの崖下には、すぐに紺碧の海が広がっている。仮に落ちたとして……地面に届くまでには数秒じゃ足らないだろう。父さんいわく、この岬は、波に途方もなく長い年月削られてできた岬らしい。
岬の端っこには、申し訳程度のごく低い木の柵が設置されていたが、その柵の手前に男の子が一人立っていた。
私の声にその子はゆっくり振り返る。
この町では見たことがない子だ。同い年くらいで黒髪、瞳の色は研ぎ澄まされたような青。
ガラスビーズより繊細に作られた綺麗な顔をしていて、断崖より潔い真っ直ぐな視線をした男の子だった。
「誰だ、お前」
「! お前じゃないわ、アリサよ。アリサ・コーエン」
よく見れば、彼の濃色のブレザーの縁飾りはガラスビーズで出来ていた。ここに来るまでの間に、木の枝にでも引っかかったのかもしれない。ほとんどの町人よりもずっと良い身なりをしている。
集めたビーズは彼に返すしかなさそうだと悟る。
さよなら、私のブレスレットーー遠い目をする私の気持ちを知ってか知らずか、彼は鼻を鳴らして顔を背けた。
「父様は精一杯やったんだ」
「え?」
男の子は崖を向いて言った。
忌々しそうに、海へ呪いの言葉でも吐くように。
「馬鹿馬鹿しい、使えるだけこき使って置いて、父様が毒を盛られて身体が動かなくなったらこんな田舎にポイだ。周りの貴族たちの手のひら返しを見たか? こんなんじゃ、こんなんじゃ父様は誰のために頑張ったのか、わからない」
「?? えっと、誰のためだったの?」
「国」
男の子は間髪いれずに答えた。
国? なんだか壮大な話だ。
彼の家族はこの王国に仕えているのだろうか。
「俺の家は、代々ーーだから」
「っ、わ!?」
ーーのところで彼は何と言ったか。
私はそれどころではなくなってしまった。その瞬間、私の帽子が柵の向こうの側に飛ばされてしまったから。今にも海に落ちそうだ。
野に咲く花でぐるりと飾った麦わら帽子。赤茶毛のおさげ髪に似合うと母さんに褒められたばかり。
男の子は帽子を見とめるやいなや、面倒臭そうに息を吐いて、躊躇なく柵を跨いだ。
「あ、あなた危ないわ、戻って来て。大人を呼びに行こう?」
名前を知らないから「あなた」としか呼べない。
彼は私を無視してしゃがみ込み、帽子を拾う。それから矢継ぎ早に口にする。やけっぱちの独り言みたいに。
彼が座っている場所からほんの少しでも身体を傾ければ、崖下に真っ逆さまだというのに。
「俺は嫌だね。父様を継ぎたくない。こんな国も……貴族もいっそ平民もだ、いつ終わったっていい。『守りたいもの』なんてない。そもそもこんな家に生まれた以上、俺に『先』なんてない。アリサだってそれを知っていたらーー
俺がここでいなくなったって当たり前で、悲しみもしない」
「そんなことないよ!」
ハラハラが最大値になり、つい大きな声になってしまった。
彼の言っている言葉の全部は理解出来なかったけど、緊急事態だ。引っ込みがつかなくなった私は必死に言った。
「そんなことないよ。私は自分が知っている人がいなくなったらびっくりするよ。それが優しくしてくれたあなたなら当たり前に、悲しいよ」
男の子はきょとんと目を瞬いた。
「帽子を拾ってくれてありがとう。それすごく大切にしてた」
煌びやかな彼の手の内にあると、ただの年季が入ったくたびれた帽子に見えてくる。だけど、本当に気に入っていたのだ。
私は彼に向かって手を差し出す。
「服を壊しちゃってお家の人に怒られるんだったら、大丈夫。ガラスビーズなら私が集めといたよ。一緒に謝りに行こう?」
「ビーズ?」
男の子は言われて初めて、自分の服がほつれていることに気づいたようだ。袖口と私が掲げたハンカチの包みを怪訝そうに見比べている。
「だから嫌になったなんて言わないで。早く、私のところへ戻って来て。帰ろう」
男の子は何かを考えるように目線を彷徨わせていたが、やがて一点だけを、私の目を見つめた。まるで、心内まで探るように深く。
誰かにそんなことをされたのは初めてで、不思議な気持ちになった。だけど、何故だか嫌ではなかった。
彼はすごい力の持ち主で、頭の中を見透かされていてもおかしくないーーなんて思ってしまうくらい、そのくらい強い視線だった。
言ったことに嘘はないから後ろめたさもない。私はそのまま見つめ返す。
「って、きゃ!?」
さっきよりも強い潮風が吹いた。今日の海の機嫌は荒ぶっているようだ。
私のスカートの正面がぶわりと膨らんでーー
「ちょっ」
男の子は反射的に私のスカートを押さえようとした。立ち上がったものの焦ったのか、膝下に柵が引っかかってそのままこちらへ倒れて来る。
受け止めようとした私は、背後の柔らかい草に男の子ごと倒れこんだ。勢いでせっかく集めたビーズがハンカチから空中へパラパラ散らばってしまう。
二人してびっくりしながらそれを眺めて。
夕焼け空にガラスビーズが光って、なんだか世界がスローモーションに見えた。
「お、おい、痛くはないか……」
倒れている私の身体を挟むように両手を地面につけた男の子は、上手くやってくれたのか、私にのしかかりはしなかった。だからどこも痛くはない。
見れば、私の麦わら帽子が男の子の頭に斜めにかぶさっている。倒れた時に彼の手を離れ、偶然そうなったに違いない。
「ぶっ、ふふ……あははっ」
唖然としている男の子があんまり間抜け面で、花輪の帽子も意外とあんまり似合わなくて。
我慢できずに私は笑い出した。
彼のおかげでスカートの中は見えなかったはずだが、男の子の顔は夕陽に照らされてか、見る見る赤く染まっていく。
しばらくして男の子も面白くなったのか、声を出して笑い出した。
まるで、さっきまでの真剣さが馬鹿らしくなってしまったとばかりに。
それが、私と「坊っちゃま」との出会いで、私が彼を好きになった瞬間だった。




