5.アリサとバニラ
カラン。
ドアに吊り下げられたベルが鳴る。
外は風が強かったから、室内に入れてほっとする。しかし、風音から離れられたと思えば、ガヤガヤとした話し声と食器の音がうるさいくらいに響いている。
シスター・バニラが向かったのは、私が予想した「流しの馬車乗り場」ではなく、修道院から500メートルくらい離れた通りにある「店」だった。
最近、この町も治安が悪くなったと聞いている。少し前までは、坊っちゃまたちが静養に来るくらいのどかだった。しかしこの頃は、夜なのに目的もないような人々がふらふら彷徨うようになった。
入り口の木彫りの看板には「ああ、無情」と書かれていた。この店の名前だ。
提供されている食事、客のほぼ全てが男性であることからすぐにわかる。
ここは酒場だ。
丸太の壁には分厚いソーダガラスの窓がはめられ、頭上にはオレンジ色のランプの灯が揺れていた。
近くに座っていた男性が私に気づいて目を丸くする。
私は修道女見習い服のままだったから場違いにもほどがある。シスター・バニラをこっそり探したいのに、目立つ目立つ。
雑音に存在がかき消されるように願いながら精一杯身を縮こめ、シスター・バニラを懸命に探す。
……シスター・バニラは最奥端のカウンター席に座っていた。
彼女を見つけられたのは、ちょうどシスター・バニラが外套のフードを降ろしたから。シスター・バニラの隣には熊を彷彿とさせる大柄な、多分30代くらいの男性が腰掛けた。
彼らの背後に手頃な柱があったので、私は身を隠す。
「よお、バニー。どうだい、修道院暮らしは? さすがのお前さんもはじめてだろう」
……バニー?
この二人は知り合いなの?
シスター・バニラはあからさまに嫌そうな顔をした。見たことがない、きっと令嬢には相応しくないようなふてくされた表情だ。
「テディ、面白がっていない?」
「テディ」と呼ばれた男はくくっ、と笑った。そのまま二人は顔を突き合わせてーーテディは思い出したかのようにバニラの肩を抱き、バニラは微かに眉根を寄せるも抵抗はしないで……
なにやら熱心に話をしている。5分はたったろうか。シスター・バニラは相当集中しているみたいだ。
やがて考え込んだようなバニラは、ぼんやりとカウンターに置かれた酒のグラスを手にする。セントクリフ修道院では修道女は禁酒しなければならない。
「っ……!」
つい、私は身を乗り出してしまう。
「さて、バニー。お前さんに迎えが来ているようみたいだぜ?」
「え……? !」
いきなり、テディが親指で私を指しながら振り返った。
バニラが見たことがないくらい目を見開く。
「シスター・アリサ!? なんでここに!」
「シスター・バニラ、あ、貴女こそ」
バニラはまさかの舌打ちした。
似つかわしくない汚い言葉を口にする。
「くそっ、尾行の気配は感じていたけど……あの風のせいでアリサとわからなかった」
「今更言い訳なさんな。バニーもまだまだだな」
テディはカラカラと笑う。
やっとの思いでバニラに駆け寄った私は、彼女の腕を掴んだ。
「こんな、こんな場所でお酒なんかを飲むなんて」
「酒『なんか』とはなんだ、酒はいいぞぉ! やなことを忘れさせてくれるからなぁ!」
「全くだ、世間知らずの尼さんに俺たちの味を教えてやろうか、口移しでな。なーんつって、ギャハハ」
やり取りを聞いてたのか、周囲の酔っ払いから野次が飛んだ。
私は顔が真っ赤になるのを感じる。
「修道院長様に報告するわ」
私は視線をバニラに向けたまま言った。
震える声を抑えながら続ける。
「こんなこと……戒律違反よ。貴女を信じている修道院長様が知ったらどう思われるか」
バニラは額に手を当てため息をついた。テディは興味深そうに私とバニラの様子を見比べている。
しばらくして、バニラは思い直したように顔を上げ、足を深く組みながら言った。口元には乾いた笑みを浮かべている。
「確かに、院長様は慈悲深い方かもしれないわね。でもそれ以前に、修道院の『経営者』でもある。私がセントクリフ修道院に入るにあたり、ルーセント伯爵家から修道院にいくら寄付金が流れたと思う? 院長様には、私を追い出すことは絶対に出来ない。アリサが報告したところで、お優しい院長様を悩ませるだけよ?」
「なっ、」
「おいおい、バニー。言い過ぎだ。修道女さんをいじめるなよ。なあ?」
テディが半笑いでこちらを見てくる。
なんなの。
何故私はこんなところで、こんな言い合いをしなければならないの。
「だいたい、こんな時間に女一人で出歩くなんてどうかしてる。もう二度と人をつけるなんて真似しないことね」
バニラは他人事のように言うが、自分だって女である。
「そういうわけだから……シスター・アリサ、私に指図するのは諦めてくれない? 貴女に私の教育係は務まらない」
バニラは人差し指を自身のフェイスラインに当てながら言った。その仕草はなんだかやたら、艶かしくて。
こうやって沢山の男性たちを手玉にしてきたと言うのか。
「……諦めない」
「え?」
「私は諦めないわ。私は……思し召しによって、セントクリフ修道院に尽くすと決めているのだもの。それが……『あの子』への祈りになると信じているから」
何かを堪えるように、あるいは自分に言い聞かせるように、私は噛み締めるように言った。
バニラは少しだけ目を瞬く。
しかし、すぐに鼻で笑った。
「あの人って……いやだ、まさかそれって男? 貴女だって結局、俗な人間なんじゃない」
「違う! 『坊っちゃま』を侮辱しないで」
しん、と静まる酒場。
それもそうだ、酒場で修道女見習いが半泣きで声を荒げてしまったのだから。
今度こそバニラは固まった。
テディが慌てたように手をぱちんと合わせる。
「ま、まあ! 俺たちはもうお開きにしようぜ、バニー。やあみんな、俺が一杯おごるからさ、この子らのことは忘れてやってくれ」
わあっ、と再び活気付く酒場。
テディは私にも励ますように言った。
「ほらほら、修道女さんも。アリサちゃんと呼べばいいのか? ラストオーダーの時間だ、ジュースなら飲める?」
黙りこくったままの私に、テディは困ったようにバニラを肘で小突いた。
「っおい、お前のせいだぞ。俺は悲しんでいる女性に弱いんだ。お詫びに土産の卵焼きでも買ってやったらどうだ、ここのは絶品だぜ? アリサちゃんもよく知っている、セントクリフ修道院名物のバターがきいているんだ。それとも女の子ならアクセサリーの方がいいか? ならほら、この店オリジナルのコルク製のキーホルダーがあっただろう!」
バニラは息を吐き、立ち上がったのを見て私は言った。
後から思えば、この時の私はもはや意地になっていたのかもしれない。
「何もいらない。私たちには信仰がある」
「信仰?」
バニラは振り向いた。
私は誰に何を言っているのだろう。
身体の先から冷えていく。それでも口は止まらなかった。
目を細めたバニラから、心の内側まで見透かすような、見定めるような視線を感じる。
「そう、信仰はどこにでも持っていけるわ、人生最後の瞬間まで。それがあるだけで私たちは生きていける」
「……なら、思い出だって」
ふいに、バニラが口を挟んだ。
「え?」
私と目が合うのを確認し、バニラは少しだけ間を空けてから呟いた。
「思い出だって同じ。それがあるだけで……それだけで生きていける」
バニラは再び背を向け、彼女が行こうとしていた道ーー会計へ向かって行った。
それからすぐ、本当にお開きになった。
断ってもテディは修道院の門まで送ると言って引かなかった。
私たちはひっそりと自室に戻る。誰にも気づかれていなかったようで、奇跡的に抜け出していたことはバレていなかった。
この間、バニラと私は一言も交わさなかった。
ここまでお読みくださり、大変ありがとうございます! ガールズラブものではないです、念の為。
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10/23 誤字脱字報告ありがとうございます!




