3.悪女令嬢バニラ・ルーセント
マホガニーの机が鎮座する修道院長室。
窓には似つかわしくない鉄格子がはめられている。この部屋には金庫があって、中には貴重な聖物が置かれているからと聞いている。だが、そのために自然光まで制限されてしまい、濃焦茶色を基調としている室内とも相まって、物々しい。
あの花火の夜の出来事があった中庭とは違う意味で、珍しく苦手な場所だった。
私は直立したまま繰り返した。
「ご貴族様、ですか」
机を挟んで座る修道院長様は頷いた。
「そうです。今回見習い修道女として新しく受け入れるのは、バニラ・ルーセント伯爵令嬢。ルーセント伯爵の息女です。歳は貴女とそんなに違いないと聞いています」
伯爵令嬢って……
私の知識が正しければ、セントクリフ子爵様より上の身分ということ……?
想像以上の使命に固まる私。
そんな私の心を読んだかのように、修道院長様は言い切った。
「とはいえ、言うまでもなくここは神の膝下です。俗世での身分は重要ではありません」
「バニラ嬢はその性格から社交界でトラブルに見舞われていたそう。ルーセント伯爵いわく、彼女はまだ若く未熟で、上手く自分を律することが出来なかったとのこと。バニラ嬢の学びのため、このセントクリフ修道院の名前を出してくださいました。バニラ嬢も変わりたいと思ったからこそ、修道院入りに同意したのでしょう。わたくしたちには『変わりたいと思う彼女の気持ち』を迎入れる義務があると思いませんか?」
「……はい、理解します」
そうは言っても、落ち着いてくれない気持ちの如く視線は定まらない。
修道院長様はふっ、と表情を和らげた。
「わたくしはシスター・アリサの良さをよく知っています。貴女のひたむきさは、周りの修道女たちにもよい影響を与えています。だからこそ、バニラ・ルーセント嬢……いえ、シスター・バニラ・ルーセントの教育係を任せられると思ったのです」
「修道院長様……!」
そんなふうに私のことを思っていてくださったなんて、知らなかった。
「ーー貴族様といえば」
修道院長様は言葉を選ぶように慎重に言った。
「シスター・アリサには昔、貴族の小さな友人がいましたよね。『あの夜』以来、向こう様からは音沙汰ないと聞いていたけれど」
「変わらず、手紙もなにもありません。10年以上も前のことですから、もう彼も忘れてしまったのかもしれません」
「そう……」
思ったことをありのまま言う。修道院長様は慰めるように優しく言った。
「いつかきっと会えますよ。貴女が望み、神のご意向があるのならばね」
私は頷いた。
バニラ・ルーセント嬢は明日、修道院に到着するとのことだった。
✳︎✳︎✳︎
午後4時。
夕食の準備に向かうと、ともに炊事当番のシスター・メアリイが話しかけて来た。
正確には「話しかけて来た」というより「体当たり」して来た。
「ちょっと聞いたわよ、アリサ!! 私知っているわ、有名人よ、彼女!」
「わっ!? か、彼女って?」
やって来た勢いそのままに、メアリイは激しく、しかし小声で言った。
「バニラ嬢よ、バニラ・ルーセント伯爵令嬢!」
セントクリフ修道院での夕食は「三皿料理」と決まっている。一斉にサーブされ、食前の祈りを終えてから皆で食すのだ。
一皿目は野菜・豆スープなどの質素な煮込み料理、二皿目はタンパク質をとるための肉or魚の料理、あるいはオムレツなどの卵料理。三皿目がフルーツやチーズの軽いデザートである。それにパンがつくこともある。
野菜などは出来る限り修道院の敷地内で自給自足をしている。
メアリイはかまどの火を手早くかき起こしながら言った。
「私の父は王都近くで医者をやっているでしょう? そこでのバニラ嬢があまりにも有名だったから、私にも話をしてくれていたのよ」
「何の?」
「バニラ・ルーセント嬢は『悪女令嬢』として悪評高かったって話」
「あ、悪女令嬢……!?」
初めて聞くパワーワードにエプロンを巻く手が止まる。メアリイの口は止まらない。
「類まれなる美貌と伯爵位を武器に、男性たちを誑かしては捨て、お酒にタバコにギャンブル三昧! ……それが事実なら欲望の化身ね」
そんな貴族令嬢、存在する……?
私の中の貴族のイメージは、あの「坊っちゃま」だ。坊っちゃまは、私の前でこそ言葉遣いは荒かったが、聡明な子供だと大人たちに評判だった。
あの日「修道院への不法侵入」はしてしまったけれど、理由はあくまで私を喜ばせるためで、彼自身が楽しむためではなかった。
「まさか……いくらなんでも」
あからさまに顔が引き攣った私を見て、メアリイは話の方向を変えた。
「そうよね、あくまで噂だから」
彼女もさすがに全部は信じていないようだ。
「ご貴族様には、社交界でやらかした人間を始末するために、当主が家族を『修道院へ送り込む』ケースがあるらしいの。『修道院送り』というそうよ。私たちの清貧な暮らしが、彼らにとっていい罰になるんですって。バニラ嬢もそういうことなんじゃないかしら? でもだとしたらいい迷惑よ、修道院はゴミ箱じゃないわ!」
ぷりぷりしながらメアリイは言った。なるほど、彼女は教育係に任命された私を心配してくれているのだ。
私はメアリイを肯定した。
「もし、バニラ嬢が本当にそんな人で嫌々修道院へ来るのだとしたら、確かに誰も幸せにはならないわね」
「でも」と続ける。
「修道院長様は仰っていたわ、セントクリフ修道院入りに同意したということは、本人に思うところがあったに違いないって。彼女がどんな人なのかは、実際に話をしてみないことにはわからない」
メアリイはパッと目を見開いてから、力を抜いたように息を吐いた。
「さすがはアリサだわ」
それから柔らかな眼差しを向けてくれた。
「修道院長様がアリサを教育係に指名したのもよくわかる。『誰もが皆間違いをおかし、答えを探している』。そんな人々の救いを学ぶのが修道院よね。アリサのことが心配すぎて、突っ走ってしまったわ」
メアリイは微笑むと、自分も私とバニラの助けになるよう努力する、とも言ってくれた。
「それに……バニラ嬢が貴族様なら、アリサの『坊っちゃま』のことを知っているかもしれないわね。なにか聞けるかもしれないわよ?」
メアリイは茶目っ気たっぷりにウインクした。
それは思い付きもしなかった。
修道院長様にも期待されているのだ。
バニラ・ルーセント嬢がどのような人であっても、誠心誠意、教育係として頑張ろう。
午後八時の消灯時間、沢山の気合いと期待と、ほんの少しのだけの不安を胸に、私は眠りについた。
10/24 誤字報告ありがとうございます!




