2.アリサ、教育係に任命される
「それで!? それでアリサはどうなったの!?」
礼拝堂の床を磨くモップ片手に、シスター・メアリイが前のめりに言った。
メアリイは顔のパーツがくっきりはっきりしているから(それが彼女の魅力でもある)迫力がすごい。
私、アリサ・コーエンは16歳になっていた。
3年前からここセントクリフ修道院にて修道女見習いをしている。頭の黒い頭巾からはみ出す赤茶色のおさげ髪は、変わらず私のトレードマークだ。
セントクリフ修道院で修道女になるにはいくつか条件がある。
未婚の女性であることが大前提。修道院内に一定期間滞在して、実際に共同生活を経験する必要がある。数年間の見習い・準備期間を終え本人が自らの意思で請願し、修道院側からも認められて初めて正式な修道女になれる。
メアリイは「見習い期間」を過ぎていて、請願を決意するまでに設けられた「修練期」にいる。彼女は今20代半ばだろう。一番私に年が近い先輩シスターである。
修道院暮らしをして大変だったのは朝の早さだ。決められた起床時間はなんと午前三時。
午前九時現在、すでに夜間の祈りと朝課、じゃがいも畑での農作業も終えている。
初めは身体が慣れずキツかったけれど、今はもうすっかり馴染んでいて、やりがいしかない。
そんなある日、清掃時間になんとなくあの夜の出来事を初めてメアリイに話してみたところ……思いのほか食いつかれたのだ。
「どうって」
メアリイの勢いに目をぱちぱちしながら説明する。
「どうにもならなかった。いつの間にか眠ってしまったみたいで、次の日の朝、今の修道院長様に発見されたわ」
メアリイは期待はずれとばかりに息を吹き上げた。
「その怪しい二人連れはどうなったの?」
「勿論、その場で修道院長様に報告したわ。だけど、その日はフェスティバルと花火に人手を裂かれていて、修道院内に目撃者はいなかった。しかも、不思議なことに刺されたと思われる人の姿も、血の跡も、後から探しに行った修道院長様たちは見つけられなかったのよ」
「回廊にいなかったってこと? じゃあ何、貴女たちは幻を見たって言うの?」
怪訝そうにするメアリイ。私は眉を下げた。
「そんなことはないと信じている。まあ、実際にはそんな主張よりも、私が夜に黙って一人で家を出ていたものだから、母さんたちから大目玉をくらって……それどころではなくなっちゃった。そのまま罰としてしばらく外出を禁止されたわ」
「そう……せめて貴女がその二人の顔でもしっかり見てれば、違ったでしょうにね」
私は黙って頷いた。
「それで、『坊っちゃま』の方はどうなったの?」
「そこなのよ!」
今度は私が前のめりになった。メアリイは元から丸い目をさらに丸くする。
そう、重要なのはここからだ。
「それがこちらもわからないの。私と坊っちゃまが子供同士だったから交流できていたようなもので……本来は口を聞くこともないような身分差だったから。私の家族は坊っちゃまと深い関わりはなかった。でも、落ち込む私を見かねて、父さんが村人から情報収集してくれた。そのご貴族様は静養に来ていたそうで、それを終えて無事王都に戻られたんじゃないかって。特段騒ぎにもなっていなかったから、坊っちゃまも一緒に帰ったんじゃないかって父さんは言ってた」
「ふーん、なるほどねえ」
メアリイは同情するように言った。
「惜しかったわね。坊っちゃまの名前一つでも覚えていたら、お近づきになれたかもしれないのに」
「メアリイったら。ここは礼拝堂よ。何てこと言うの」
残念だが、私は坊っちゃまの顔をもうぼんやりとしか思い出せないのだ。仮に再会したとして、坊っちゃまだと認識出来ないかもしれない。
「やあね、別にアリサと坊っちゃまがどうにかなってって意味じゃないわ。私たち、神様に捧げる身だもの。でも、ご貴族様ならそれなりの寄付金がもらえたかもでしょう? 私利私欲じゃない、セントクリフ修道院のためよ。ましてそんなに綺麗な顔をしていた子供だもの、いまはさぞやイケメンになっているでしょうね。一目みたいと思うくらい、バチはあたらないわよ。神様はそこまで気狭ではないわ」
励ますように明るく言うメアリイについ笑ってしまう。
メアリイの、修道女としての確固たる決意とは別腹の、こういうミーハーなところも大好きだ。
「そうそう、イケメンといえばアリサも聞いた? セントクリフ子爵様が代替わりされるって話」
予想外の話題に私はきょとんとした。
しかしすぐに、メアリイが何を言いたいのか思い当たる。
「ああ、長患いをしていたセントクリフ子爵様がついにご隠居されるのよね。それで、まだ若いご子息に当主の座を譲られるとか」
「そう! そのご子息のミリヤード・セントクリフ様って方は、とんでもなく美しいって噂! さらには寄宿学校を飛び級してご卒業された、格別優秀な方とか」
うっとりとしていたメアリイだが、思い出したように補足した。
「ねえ、そういえば……ミリヤード様も黒髪碧眼だって聞いたことがあるけれど」
「え?」
「こら、手が止まっていますよ。シスター・アリサ、シスター・メアリイ」
「「修道院長様!」」
背後から声をかけて来たのは、修道院長様だ。60代くらいだろうか、いつだって清廉で慈悲深い、憧れの方。
白い頭巾が眩しく、あの用具入れから私を発見してくれた人でもある。
「全く、二人とも人を外見で見るなんてもってのほかです。肉体など、ただ魂を覆っているだけのものに過ぎないと分かっているでしょう」
「ご、誤解ですわ、院長様! 『美しい』という概念を正しく理解しようとしていたのです。正しく理解していないと、『美しくする』という作業代表である清掃が正しくできませんもの」
「まあ、シスター・メアリイ、貴女って人は! ああいえばこういう」
修道院長様は、きっと呆れているのだろうがーーそれでも我慢出来なかったようだ、メアリイの屁理屈への笑いを誤魔化すように咳払いした。
やり取りに気づいた周りの修道女たちにまで、緩やかな笑みが広がっていく。
礼拝堂のステンドグラスからは柔らかな陽が差し込んでいる。
私はこのセントクリフ修道院での優しい日常を、心から愛している。
「それはそうと、シスター・アリサ。話があります」
「私にですか?」
修道院長様は、改めて私に声をかけた。
背筋を伸ばす私を見つめながら、修道院長様はゆっくりと言った。
「ええ、シスター・アリサ。貴女を新入り修道女の教育係に任命します」




