16.守りたいもの②
その昔、セントクリフ修道院が作られるよりも昔、修道院が位置するこの岬には野生の【青い薔薇】が群生していたのだと言う。
より正確に言うなら、【青い薔薇】は薔薇ではない。薔薇に似たような花を咲かせる、麻薬の原料になる植物の一種だった。
「最初はヤギなどの家畜が偶然口にし……まるで泥酔したかのような状態になったことから、この花の効果が知られたと聞いています」
静かにバニラは言い、院長様は頷いた。
「【青い薔薇】の普通の植物ではない効果に目を付けたこの地の人々は、それから長い年月をかけて【青い薔薇】から中毒成分を取り除き、『痛みを和らげる薬』として作り上げたのです」
それが【青い薔薇】軟骨の始まりだった。
「どう言い繕っても【青い薔薇】は麻薬になります。故に、後の時代に野生のそれは、岬からすっかり焼き払われました。だけど、この修道院の『秘密の部屋』の中だけには残った。それは……神に縋るような、もはや薬が効かないような病や怪我をした人々への最後の希望、救いとして、必要とされたからです」
修道院長様は目を閉じながらとつとつと語る。
「だけど、ミリヤード・セントクリフ子爵令息様のお父上、セントクリフ子爵様の代になって……彼はその存在を許容してはくださらなかった。
あの恐ろしい花火の夜、彼は植木バサミとマッチを持って、地下室に火を放とうとしたのです。そうして、わたくしと揉み合いになって、あの忌々しい植木バサミが彼の腹部にーー」
顔を両手で覆った修道院長様の細い肩はひどく震えていた。しかし、話すことは止めない。
「その時、子爵様はミリヤード子爵令息様も、この修道院へ連れて来ていたのですね。きっとあの回廊の、貴方のいた場所からは全てが見えていた。シスター・アリサたちのことも」
バニラは片眉を上げる。
私は我慢できず身を乗り出した。
「修道院長様は、私と坊っちゃまに気づいていたのですか?」
「ええ、光の加減で、子爵令息様以外に目撃者の子供が二人、いたことには。だから翌朝、シスター・アリサを用具入れから見つけた時、わたくしは自分が犯した罪を償う覚悟をしました。でも貴女は、わたくしが『その人』である事実に気づいていなかった。ありのままに、自分が見聞きしたことを、無防備にもわたくしに打ち明けてくれた。
それから7年経ってーー修道女見習いを志願しに来た貴女にも、結局わたくしは何も言えなかった」
「院長様……」
「シスター・バニラがバニラ・ルーセント嬢としてこの修道院へいらっしゃった時、あの夜、幼ないシスター・アリサを守って逃げ切った少年の関係者でないかとは思いました。面影がありましたから。
だから、セントクリフ修道院は高位貴族の受け入れ実績にこそ乏しいですが、改心したい者たちへ門戸を開いていたことを理由に貴方を受け入れ、シスター・アリサを教育係に付けたのです」
「シスター・アリサの教育係としての資質を認めていたのは、本当ですよ」と、修道院長様は、私の心情を読んだかのように付け足した。
修道院長様はバニラを地下室に閉じ込めたことも認めた。
理由は、シスター・バニラにセントクリフ子爵令息に【青い薔薇】を横流していることを勘付かれたと思い、「セントクリフ子爵様の弔い」だけは、ただただ安らかに行いたいと願ったから。
済み次第、全てを告白するために一連の経緯が記した「手紙」が用意されていた。
「後のことは、子爵令息様がご存じの通りです。セントクリフ子爵様は怪我をした後すぐにお屋敷に戻られました。傷は何日も大層痛んだと聞き、わたくしは拒絶覚悟で、例の軟骨をお届けしました。セントクリフ子爵様はそれにより身をもって軟膏の効果を知ってくださったようです。
後日、【青い薔薇】の件には『目をつぶる』との便りを下さった」
「ーーそれで? どう落とし前をつけるつもりですか、修道院長殿」
しばらく存在感がなかったミリヤード・セントクリフだったが、修道院長様へ厳しい視線を向けた。
「貴女がこの修道院で違法植物を栽培し、僕の父に危害を加えたことは変わらない事実だ。しかも、こんな大勢の前でそれを自白した。先日から通達している通り、そんな貴女のいるセントクリフ修道院に自治権は持たせられない」
「分かっています、ミリヤード・セントクリフ子爵令息様。全てはわたくしの責任で、この先のわたくしへの沙汰はいかようにもお任せいたします。ただ、【青い薔薇】の存続だけはーー」
「図々しいぞ! 立場を弁えろ!!」
ミリヤードがもう聞きたくないとばかりに声を荒げ、手で制した時。
バニラはゆっくりと口を挟んだ。
「ミリヤードはセントクリフ修道院から自治権を取り上げてからその先、どうするつもりだった?」
ミリヤードは一瞬ピタリと静止したが、振り返り、バニラへ厳しい視線を向けた。
部屋中の注目がバニラに集まる。バニラはミリヤードから目を逸らさずに言った。
「貴方はセントクリフ修道院を手に入れたら【青い薔薇】を全て、自分の思うままに闇ルートへ流したかったんだろう? 子爵家を拡大させるという、自分の野心のために。だからセントクリフ子爵が病に倒れたのを機に、あの夜の子爵への『傷害』を理由にミュリエル修道院長を脅迫し、【青い薔薇】の横流しを強要していたんだ」
修道院長様はハッとしたように顔を上げた。
バニラに言い当てられて驚いているようだ。
私とメアリイは「何故バニラがそんなことを知っていたのか」訳が分からず、顔を見合わせる。
バニラはより目を細めた。
「最初は手近な社交界の貴族たちの間に。だが、貴方には『より広いマーケット』が必要だった。王都で最近流行しているという『神の祝福』……こちらの出元は既に辿らせてもらったよ。証拠も固めている。それこそがミリヤードの野望であり【青い薔薇】そのものなんだ。
そんなことのために、日々を大切に生きていたシスターたちーー特に、シスター・アリサを利用しようと巻き込むなど、論外だ」
淡々と言うバニラからは、冷静な口調に反して燃えるような怒りが感じられた。
ミリヤード・セントクリフは面食らったような、いわゆる「鳩に豆鉄砲を当てたかのような」表情になった。
しかし、やがて高らかに笑い出した。それはまるで自虐しているかのような笑いだった。
バニラ以外の、唖然としている私たちを横目にミリヤードは涙を拭った。
「まさか……それを『調べるために』わざわざ僕へ近づいたというのか?」
バニラは沈黙を持ってそれを肯定した。
ミリヤードはサッと真顔に戻る。
「ーーいつから計画していた? バニラ・ルーセント伯爵令嬢になりすまし、寄宿学校にまで通って」
…………?
待って。なりすましって。
「ルーセント伯爵家の人間であることに偽りはないよ。それに、今手がけている『ヤマ』はこの件だけじゃないけどね」
私が口を開く前に、まったりと返事するバニラ。
ミリヤードは身体を傾けたままバニラを睨み返す。
「……おかしな話があったんだ。
今回プロポーズするにあたって、家のものがルーセント伯爵家を調査したよ。当主は10年前にひどく身体を壊して実質引退状態、現在家を支えている嫡男の他には一人、ヒュー・ルーセントという『次男』がいるのみだと。バニラという名の『娘』はいない。
てっきり何かの間違いかと思い、再調査させている途中だったがーー」
「大体予想通りだ、ミリヤード。相手によっては、男でいるより女の姿をしていた方が懐柔しやすかったからな」
バニラ……いや、そう呼ばれていた人は何か黒いものを頭から外した。
それは黒髪ロングヘアのカツラで。
顔はバニラのままで、わずかな無駄も間違いもない綺麗な作りをしていた。意志の強さを感じさせる瞳に、これ以上なくクールな雰囲気。しかし、その黒髪は襟足でばっつりと途切れていた。
誰もが目を見開き、息をのんだ。
「っ、貴様……!! やはりヒュー・ルーセントか!?」
気付いた時には、鬼のような形相をしたミリヤードがバニラ・ルーセント改めヒュー・ルーセントの胸ぐらを掴んでいた。
それでもヒューは動じなかった。
ミリヤードは喚いた。
「社交界で沢山の男たちに唾をつけていたのも必要な情報を得るためか……!? 諜報のために、全てが計算して仕組まれていたことで。ーーいや、悪女を演じたのは、セントクリフ修道院へ自分を送り込んでその内情を探り、シスター・アリサを保護することがそもそもの目的だったのか?
……どちらの理由が先だとしても、今更だ。僕の愛を……気持ちを誑かしたのも、全てーー!!」
「よさないか、セントクリフ子爵令息殿。場は決したんだ」
テディさんが二人の間に割って入る。
「……お前には関係のないことだ……!」
「おいおい、俺にだって名前はあるさ。テオディール・クラウス・ロードクロサイト。職業はこの国の第三王子」
ヒュー以外、その場にいた誰しもの顔に、思っていることが浮かんだ。
ーー何を言っているのだ、この男は。
しかし、テディさんが乱雑にしていた髪を撫で付けたこと、抜いてかざした指輪ーー
後から知ったことだが、それはシグネットリングという王族の証にもなる指輪で……それに対するヒュー以外の唯一の貴族、ミリヤード・セントクリフ子爵令息の驚愕の反応を見たことでーー
テディさんの言ったことは真実なのだと悟った。
驚いている皆を見渡しながら、テディさん……テオディール殿下は指輪をはめ直しながら言った。
「ヒューを責めないでくれ。この国のために仕事をしていたんだ。任務として王国が、俺たちが命じた。ヒューの家……ルーセント伯爵家は『公安貴族』なのだからね」
公安貴族。
テオディール殿下は説明してくれた。
この王国には、国家体制が脅かされるような事態に対応するために、憲兵などとは別に設けられた「貴族」がいるのだと。
表立って公安貴族と名乗りはしないが、貴族の身分を使って嘘真・愛憎蠢く社交界での他貴族の動向や信条、主義主張を探る。
必要あれば、その身分をいかようにも偽り、潜入調査をすることもある。長きに渡り培われたその情報網は無限だ。
公安貴族は目的のために手段を選ばず、なりふり構わない。全ては王国を守るため。
初めて坊っちゃまと出会った日、彼があの断崖絶壁で言ったことは。
記憶の中の、今よりずっと幼い坊っちゃまが夕焼けを背景に振り向いた。
『俺の家は、代々ーー公安貴族だから』
ヒューの意志を感じさせる瞳は、混じりっ気なしの鮮やかな「青」で……ああ、私はバニラが女性だからと考えていなかったのだ……
記憶の中の、あの「坊っちゃま」の瞳の色と全く同じだった。
「坊っちゃま……?」
ポロリと溢れ落ちた私の声に、すっかり大きくなっていた「坊っちゃま」は、少しだけ気恥ずかしそうに、微笑んだ。
次回、最終回。




