17.未来
テオディール殿下は淀みない声で言い渡した。
「ミリヤード・セントクリフ子爵令息、ミュリエル修道院長、シスター・アリサ。今日見聞きさせてもらったことは全て記録に残す。何か相違があれば、遠慮なく申し立てよ。必要あれば裁判で争うといい」
「は、こんな結末になるとは……」
ミリヤードは片手で顔を覆い、ふらふらとたたらを踏んだ。
ハッとする息の音と共に、メアリイの叫び声が響いた。私は目を見開く。
蝋燭のカケラが白く飛び散る。
ミリヤードの右手を見れば、修道院長室を飾っていた燭台が握られーー蝋燭部分を椅子の背に叩きつけたことで剥き出しになったその先は、鋭利な凶器になっていた。
ミリヤードは唸った。
「私は認めない……! お前たち諸共、道連れにしてやる……!!」
その澱んだ目を私に向ける。
「!」
「いやっ……アリサっ!! 殿下!!」
メアリイがテオディール殿下たちへ助けを求めたのが目の端に入った。
怯える間すらなかった。
ミリヤードが握った燭台の描く軌道は、私に真っ直ぐ向かって。
誰も動かず、誰も何も言葉を発しなかった。
衝撃はなかった。
ーーヒューがミリヤードの動きを許さなかったから。
燭台の先端はヒューのみぞおちに刺さっていた。身を挺したヒューが私を庇ったのだ。
「な……!?」
ヒュッと喉が閉まって声が出ない。
頭にドクター・ストーンの言葉が駆け巡った。
『シスター・バニラが出した麻雀の役「九蓮宝燈」は出現率0.0005%の代物だ。成立させたことで人生で持ちうる「全ての運」を使い果たしたとも言われる。それ故に「出したものは命を落とす」という迷信に繋がっているんだ』
ヒューはミリヤードの手首を燭台ごと捻るように掴んでいたが、その表情は完全に「無」だった。
むしろそのことが、ヒューの心からの怒りを感じさせたのは何故だろう。
やがて……ヒューはミリヤードの手ごと燭台を自分の身体から引き抜いた。
「! バニっ……!? ど、どうして。貴方身体はーー」
我に返って、焦って確かめる。確かにヒューの服に「刺された穴」は空いているが、出血している様子はない。
テオディール殿下はそのことを最初から分かっていたのか、慌てている気配はない。
ヒューはミリヤードの首に素早く一撃して膝をつかせると、ごそごそと自分の服から何かを取り出した。
「あっ!」
それは、分厚い「聖書」だった。
表紙に燭台の刺さった跡があったが、厚さのあまり貫通していなかったのだ!
ヒューは肩をすくめながら、しかし感心したように言った。
「さすが、アリサたちシスターが尽くしているだけのことはあるな。神の力は偉大だったということか」
「ヒュー……!」
私は安堵のあまりへたり込みそうになるが、ヒューが力強く支えてくれた。
「いや、この場合『神』ではなく『紙』に助けられたのでは……」
「ん、殿下?」
「この流れでそれ言います?」とでも言いたげなメアリイは、殿下相手であろうとも反射的に突っ込んでしまっている。
テオディール殿下もさすがに場違いな呟きと思ったのか、誤魔化すように咳払いしていた。
✳︎✳︎✳︎
それからの話をしよう。
ミリヤード・セントクリフ子爵令息とその部下は修道院の外に出るなり、テオディール殿下の関係者たち(いつの間にいたのか)に連行されて行った。
懺悔室でミリヤードが「坊っちゃま」のフリをしたのは、会話の流れから私の話に乗った方が、私を利用しやすいと判断したからだそうだ。
セントクリフ子爵位はしばらく欠番になるだろうと、ヒューは言う。新たなお貴族様がやって来て、セントクリフ領を統治するはずだから、領民たちへの影響はほぼないに等しい、と。
【青い薔薇】について。
修道院長様とセントクリフ修道院は、作ったその軟膏によって「対価」を得ていなかった。しかし、違法植物を隠し育てていた点は事実だ。院長様と修道院への沙汰は、王城の判断を待つことになる。
修道院長様はセントクリフ修道院を離れることになった。最後の日、院長様は穏やかな表情を浮かべていた。
あの花火の夜の出来事は、長年修道院長様にとってかなりの重さの枷になっていたに違いない。私にも少しならわかる。バニラについて修道院長様に黙っていただけでも、相当なものだったから。
修道女たちへの真実の説明はもう少しだけ先になる。実際、ヒューとテオディール殿下の意見により、修道院長様は「表向き」は「遠く離れた場所にある修道院の手伝いに行くことになった」とされた。
ヒューは他の修道女たちへの手前、セントクリフ修道院での後処理が終わって彼が修道院を離れる日まで、シスター・バニラとして過ごした。
私が頼んだので、ヒューは使っていたあのカツラをよく見せてくれた。ああ、だから出会った日、バニラは私に髪を触られることを拒んだのね、と一人納得する。
「それで結局、ヒューは任務のために女装していたということでいいの?」
「まあね。父上が身体を壊したこともあって、俺は他の公安貴族より、幼い頃からこの役割をしていたから。今はともかくまだ身体に力がなかった頃は、少女の姿をしていた方が色々と動きやすかった。相手の不意をついて反撃も出来るからな。これから先はさすがに、男のままでやっていくだろうけど」
なるほど。
そういえば、バニラとしての令嬢姿で着ていたドレスはいつも布が多い、腕やデコルテがしっかり覆われたものだった。バニラのあの女性的なスタイルは、詰め物で作っていたのだろう。
一転、真面目な表情をしたヒュー。
彼は低く頭を下げた。
「シスター・バニラとしてアリサにキツいことを言ったり振り回してしまったこと、心から謝罪したい」
「大丈夫よ、もう分かったから。皆を騙すためには近い距離の人たちにこそ、正体を隠す必要があったんでしょう?」
だから頭を上げて、と私は言う。
それでもヒューは苦しそうな顔をしたままだ。
「ずっと……ずっとアリサに謝りたかった。後悔してた。俺があの花火の日、アリサをセントクリフ修道院の回廊に連れて行かなければ、そもそも俺と出会っていなければ、アリサは修道女になることもなく、もっと自由にやりたいことをやりたいように出来ていたんじゃないかって」
私は瞬きをし、一拍置いてから笑った。
「それは違うわ! 私が修道院に入ったのは、最初こそあの夜のことがきっかけだったけれど……おかげで修道女という生き方を知ることが出来たんだもの。私はずっと幸せだった」
ヒューはハッとしたように目を見開き、それからじっと探るように私の瞳の奥を覗き込んだ。
思えば、幼い頃からのヒューの癖だ。
相手の心内を読もうとする、この深い視線が好きだ。もしかしたら公安貴族として生きるために身につけていた、彼の技なのかもしれない。
彼が10年間姿を現さなかったのは、あの夜自分を犯人に目撃されていた可能性を考えて、私に無計画に近づけば、却って危険が及ぶと考えたから。
逃げ切ったヒューはあの日守備兵に助けを求めに行ったそうだ。しかし、修道院に自治権があったこと、セントクリフ子爵自身が傷害事件を隠蔽したかったことから、守備兵は動かなかった。これらもヒューが強い警戒心を持った理由だ。
彼が【青い薔薇】という言葉を知っていたのは、公安貴族であったヒューの父親から漏れ聞いていたらしい。
私の言ったことに偽りなしと判断したのか、ヒューは安心したように息を吐いた。
「これからも見習い修道女を続けるのか?」
「当分はね。私に終生の誓いを立てられる覚悟があるか、それだけの思し召しがあるのか、まだわからない。でもまずは、修道院長様不在のセントクリフ修道院を守っていかないと。私も責任感が強いヒューに負けていられないもの」
ふんす、と鼻息荒く気合いを入れる。
私はセントクリフ修道院が存続すると信じている。少なくとも、修道院の行く末が決まり安定するまでは、ここにいて見届けるつもりだ。
ふと思いつき、私はイタズラっぽく付け足した。
「でも、先のことなんて神様を除いて誰にも分からないわね。いつまた『シスター・バニラ』みたいな予想だに出来ない人に出会うか、分からないし」
「おいおい、あんなの何人もいてたまるか」
ヒューはあからさまに眉間に皺を寄せた。
二人して吹き出してしまう。
「ヒューもやっぱりもう行ってしまうのね? せっかくまた会えたのに」
ヒューは笑うのを止める。真剣な顔をして言った。
「今回の【青い薔薇】の件がまとまって、他に抱えている件をすっかり片付けたら、必ずアリサに会いにくるよ。考える時間は沢山あるさ」
私は目をパチパチした。
「何を考える時間?」
「未来……アリサの隣に俺がいる未来、というのも選択肢の一つに入れておいてくれたら嬉しい」
ヒューがあんまりさりげなく言ったから、危うく聞き流すところだった。
「あーあ、アリサがセントクリフ修道院にいてくれたから、悪い虫がつく心配はなかったのに。よりにもよって相手が神様だとは、世界中探してもいないくらい強力過ぎる好敵手だな」
「ヒュー……!」
ヒューは楽しそうに笑った。
テオディール殿下が別れ際、耳打ちするようにこっそりと教えてくれたのだ。
公安貴族というものは、その特性や置かれた事情から一生出来るものではなく、どこかの年齢で線引きして引退することがある。
その暁には平民として、心穏やかに暮らせるよう国が全力を尽くしているのだと。
若くしてこの任務を始めたヒューには、本人が望めば、若くして引退する機会もきっとあるだろうと。
さわやかに晴れた高い空の下、ヒューは旅立って行った。
私はヒューが乗る小さな船の甲板まで見送りに行くことが出来た。
セントクリフの岬を見上げる船着場から船に乗ったのは生まれて初めてだ。海面から見上げる白い岬は、想像していたよりもずっと壮大で、圧巻されてしまう景色だった。
ヒューはいつだって私に新しい世界の可能性を見せてくれる。だから、私も彼にとってそうでありたいと願ってしまう。
汽笛が鳴り、間もなく出港の時間だ。
寂しくはない、きっとまた会えると分かっていたから。
「!」
ふいに、ヒューは甲板から私を抱き上げる。足が浮いた私ごとくるりと一回回ってから船着場に降ろしてくれた。茶目っ気たっぷりに、それはダンスのワンシーンみたいに素敵で。
周りの乗客たちから冷やかされたが、ヒューは平然としていた。彼がずっと微笑んでいたので、私も最後まで笑顔のまま見送りすることができた。
岬を吹き抜ける風に、今日も思う。
今日という日が全ての人にとって良き一日になりますように。
完
これにて完結です。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました! お付き合いいただいたこと、心より感謝申し上げます。
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10/23 誤字報告ありがとうございます!




