13.いなくなったバニラ
メアリイの話によれば、午前三時の朝課に現れないバニラを部屋に迎えに行ったところ、バニラは忽然といなくなっていたのだと言う。そして、未だに姿を見せていない。
就寝前の祈りでは、バニラに変わった様子はなかったらしい。
私の知る限り、バニラは今までに二回修道院を抜け出しているが、皆に知られたり、ここまでの騒ぎになったことはなかった。
修道女たちのざわめきに呼ばれてやって来た修道院長様は、冷静だった。
「さあさ、皆、落ち着きましょう。慌てても何の解決にもなりませんよ。急ぎ、わたくしがルーセント伯爵家に手紙を送ります。彼女が頼るとしたら、まずは実家に違いないのだから」
メアリイは口を開いた。
「院長様、シスター・バニラが自分から出て行ったとしてーー」
「当たり前です! それ以外にないでしょう」
修道院長様のきつい口調にびくりとするメアリイ。修道院長様が人の話を遮ったのは、本当にこれが初めてだったから。
メアリイは戸惑いながら、しかし余程気になるのか続きを言った。
「……シスター・バニラは戻って来るのでしょうか。第三王子殿下とセントクリフ子爵令息様の訪問時には、貴族様のマナーに詳しい彼女の力が必要かと。協力してくれると約束していたのに」
修道院長様は目を伏せた。
「それはシスター・バニラと神のみぞ知ることです。わたくしたちはいつも通りに出来ることをするのみ」
それから、修道院長様は皆に予定通り活動するよう促した。
「シスター・アリサ」
移動する修道女たちの最後尾に着いて行こうとしたが、修道院長様に呼び止められた。私たちが立ち止まったことに気づいたものはいない。
「シスター・アリサ、悪いのだけど、貴女にはセントクリフ子爵令息様たちがいらっしゃる日、その時間、町まで『お使い』を頼みたいと思っています。心算をしておくように」
「え」
私は一瞬驚いたものの、反射的に承知の意の返事をした。
驚いてしまった理由は、バニラの言葉を思い出したからだ。
『セントクリフ子爵令息様と第三王子殿下がいらっしゃる日、アリサはいない方がいいわ』
『修道院長様にはもう進言してあるわ。殿下たちがいらっしゃる日、その時間帯、アリサは町まで「お使い」を頼まれるはずよ』
ーー修道院長様が「私に」「その日お使いを依頼する理由」は何。
歩き出しながら私の疑念は強まった。
バニラがセントクリフ修道院からいなくなったのならば、例えルーセント伯爵家からの寄付金があろうとも、「マナーがなっていない町娘の私をセントクリフ子爵令息様たちに会わせたくない」というバニラの意向を汲む必要など、もうないのではないか?
修道院長様はバニラが戻ってくると信じている? そうでないのならば……修道院長様自身が、私をセントクリフ子爵令息様たちに会わせたくないことになる。
だとしたら、何故。
最後の日に聞いたバニラの声が頭の中でぐるぐると反芻される。
『本当は薄々気付いているのでしょう、ミュリエル修道院長。私がやろうとしていることを。
ミリヤード・セントクリフ子爵令息にアリサを会わせたくない。本来なら、貴女もです』
あれこそどういう意味だろう。
修道院長様の後ろ姿を眺めながら、私は考え続けた。
✳︎✳︎✳︎
消灯時間。
気づいたら、私はバニラの部屋に来ていた。がらんとした静かな室内を見ながら、私は無力さを感じていた。
結局のところ、私はバニラが自分の思いを語れるほど、彼女の心を開けなかったのだ。
喉が詰まったような思いで、修道女見習い服の黒いスカートを握り締める。
情けなく、惨めな気持ちだった。
私がもっと、バニラの信頼を得られていたら。もっと、修道院長様の助けになれるような聡明な修道女だったら。
ここで、違和感に気づく。
掴んでいたスカートのポケットに何か、固いものが入っていたから。
「んん?」
取り出してみれば、それは金属の棒だった。長さは人差し指くらい、幅はおそらく1センチもなくて厚みは5ミリくらいだ。
棒の下半分にかけて、傷がいくつも刻まれている。
修道院の「メダイユ」づくりで使う銅板ではない。少なくとも、私は見たことがない代物だった。修道女服は毎日洗濯するものでないから、洗濯時に紛れ込んだわけでもない。勿論、自分で入れた記憶もない。
誰かがイタズラで仕込んだ? だとしても、そんなことが出来るくらい至近距離に近づかれたら、さすがの私も気づくはずだ。
最近、私に近づいた人物といえば……
「……バニラ?」
私が倒れた日、あの回廊で。
バニラが私を「修道院にいられないようにする」と脅かした時に。
あの時のバニラになら、私の服のポケットに金属棒を入れることは可能だ。
……何のために?
想像もつかなかったが、あのバニラが無意味にそんなことをするなんて、どうしても思えなかった。
ふいに、修道院長様の言葉が頭をよぎった。
『これからは小さなことでも一人で抱え込まないことです』
あれは、自分に相談しろという意味だったのかもしれない。それ以外の意味だったのかもしれない。
私は顔を上げた。いずれにせよ、私が「今」出来ることをやるしかないと思った。
✳︎✳︎✳︎
「アリサちゃん!? 来てくれて良かった、俺も一度アリサちゃんに聞きたいことがあったんだ」
私が入り口のドアを開くなり、テディさんはほっとしたような表情で立ち上がり、すぐさま駆けてきた。
私は酒場「ああ、無情」に来ていた。
こちらこそ良かった、彼が今日ここに居てくれて。この薄暗くて騒がしい、酒とタバコの匂いがする場所でこんな安心した気持ちになる日が来るなんて、思いもしなかった。
バニラについて相談出来る人は、この人を差し置いて他に知らない。
テディさんは私をエスコートし、人目につきにくいであろう席に座らせた。
「バニラのことですか?」
「ああ。こっちからバニーに連絡がつかなくなっちまったもんで。男の俺がセントクリフ修道院に乗り込むわけにもいかないからな……バニーに何かあったのか?」
「それがーー」
私はバニラが失踪したことを話した。
卓上に置かれたランプ、気泡の入ったガラスカバー越しの炎がジリジリと鳴る。
テディさんは驚いたように顔色を変えたが、口元に手を当て、冷静に考えようと努力しているように見えた。
少なくともこの件について、彼は信用できると思った。
「ーーだから、私はテディさんに会いに来たんです。それにこれが何か、ヒントになるんじゃないかって」
私は柔らかい布に包んで持ってきたあの金属棒を差し出した。見るなり、テディさんは目を光らせた。
「アリサちゃん、これは」
「どういうわけか分からないのですが、おそらくバニラが意志を持って、私に渡したものです」
「こいつは……おそらくブランクキーだ」
首を傾げた私に、テディさんは説明してくれた。
「このブランクキーはな、鍵穴から鍵を作る時に使うものなんだ。柔らかい金属……つまりブランクキーを鍵穴に入れて、鍵の形の傷跡を付けさせる。その傷跡を頼りに掘りを入れて、鍵を再現するんだ」
なるほど。
つまり、ブランクキーなる金属棒は最終的には鍵そのものになるのだ。そんな技術があるなんて知らなかった。
「この状態からなら、一日あれば鍵を再現出来るはずだ。俺のツテを使って明日には用意してみせるさ。そしたら、バニーがアリサちゃんにブランクキーを託したっていう、その回廊に行ってみるんだ」
私は思い出した。
「明日は第三王子殿下とセントクリフ子爵令息様が修道院にいらっしゃる日です」
「ーーああ、そうだったな。じゃあ、その時間よりも前に、アリサちゃんの部屋の窓にでも合図をするよ。俺はパチンコ(ゴムで球を飛ばすおもちゃ)が得意なんだ。君の部屋の位置を教えてくれ。小石を三回ぶつけるから、そうしたら修道院の門まで来てくれないか?」
「あ、念のため、男性のテディさんが修道院の中に入ることは」
「いいかい、アリサちゃん、これにはおそらくバニーの命運が懸かっているんだ。バニー絡み以外の不必要な場所には踏み込まない、頼む」
待ち合わせ場所は、修道院の門ではなく、礼拝堂に設けられた懺悔室にした。
懺悔室なら中に入ってしまえば姿は見えず、男子禁制でもないからだ。
テディさんの提案で、念のため二人だけに通じる「合言葉」も決めといた。
テディさんは「なんだそりゃ」というような顔をしたが、メアリイがしょっちゅう言っていて、私の中でバニラといえば「この言葉」というくらい、インパクトがあったものに決めた。
この日、私に迷いはなかった。




