メヌエット 4譜 奔放な先輩
「次期ヌアザ帝とお近づきになるチャンスと、皆様とても意気込んでいらっしゃいましたのに。こんなにも〝壁の花〟が咲き乱れるなんて、未だかつて見た事ございませんのよ?」
さっきからダンスに参加していない壁際の女性が多過ぎると思ったけれど、どうやらそういう事だったらしい。
「それは……参ったな。本当にただこっそりと立ち寄って、久しぶりに彼女に会っておこう位にしか考えていなかったんだ。それならせめて、仮面舞踏会にしておいて欲しかったな。流石に今からでは無理そうかい?」
額に指を当てて、態と表情を曇らせている。
「あらまあ、そんなご冗談を。そんなの詰まらなくってよ。殿下と分かっていてこそですもの。今一度、ご自身の立場や権能を顧みられては如何? それに、その引き締まったバレエダンサーのような立派なお体……小さな仮面なんか着けたって、きっと直ぐに知れ渡り、皆が虜になってしまいますわ」
「ありがとう。それはとても光栄な言葉だね、ミス・エマ」
社交界じみた、実に上澄みだけの会話が飛び交う。そしてどこから取り出したのか、テーブルの上には綺麗なメッセージカードが花弁のように散らされている。
「全て殿下をご所望の、飛び切りの佳人ばかりですわ。さあ色取り取り、どうぞお選びくださいまし」
「俺は家柄や肩書きではなく、為人でしか選ばないよ」
すると先代の〝偶〟たる妖女は、開いた扇の先をゆっくりと手でなぞりながら、
「一通り選別いただいてからと思っておりましたのに……それでは皆様の所に一度ご案内致しますわ。今宵は三曲限りの予定でしたけれど、もう七曲程追加させていただきたとうございます。夜は長いですものね」
「拒否権は無し、と言う事で良いのかな?」
エマは閉じた扇を軽く右頬に当て、したり顔で呟く。
「一先ず、わたくしはこの子の方をお借り致します……愛しい後輩ですもの」
まるで蕾のように結い上げた髪の下、腰の辺りまで開いた大胆で美しいオープンバックの背中に誘われつつ、〝憩いのバルコニー〟へ。恐らく百五十人程の食事会すら開けそうで、中央には噴水まで設えられている。
星明かりとホールの光が交差する場所、遠く聞こえるオーケストラのメロディはまるでささやかなオルゴールのよう。
互いの従者らに対しては、屋内で待機するよう命じてある。
「別に貴女の生き血を啜ったりなんかしないわ。そんなに硬くならないで、安心して?」
驚く程穏やかな声音。そのまま噴水の縁に腰掛け、静かに喉を伸ばして夜空を仰ぎ見ている。
撓垂れた蔦模様の上に佇んでいると、彼女はまるでそこに根を張った麗しい木精にも見えてしまう。
再び訪れた巨大な望月を背に、叙事詩のワンシーンと思しき程幽玄かつ閑雅で、溢れる色香を滲ませている。
「──ご挨拶が遅れました。お初にお目に掛かります、エマ様」
スカートの裾を軽く摘み、膝折り礼で挨拶する。
「…………あら、本当に気付いてなかったの? 私達、全然初めてましてじゃないのよ?」
赤み掛かった珊瑚色の長髪を下ろし、金の髪留めを毛先を整えてからこちらに示す。先程までの刺々しさとは本当に打って変わって、少女のように照れてはにかんでいる。
すっぽりと頭を覆うローブから転び出たその束を、これまで私は幾度となく目にしていた。三元老との謁見で。
「あ……西の元老、様……!?」
「ピンポーン♪ 大正解」
確かに、一人だけやたら線の細く小柄な方がいらっしゃるとは思っていた。年老いて背を曲げているという印象でもない。
元老は常に偶の前では顔を隠し、言葉も一切発しない。恐らく執政上の癒着を防ぐためで、これまで他の者よりもずっと厳重に私との関わりを禁じられて来ている。
「今は単なる先輩後輩というだけ。大丈夫よ?」
「でも、一体何故……」
普通なら偶は役目を終えたら公国を離れ、元居た故郷で慎ましく暮らす筈。
「……私には、もう帰る場所が無くて。まだ十年は大丈夫そうだったのに、流石にこれだけ長いと、代替わりのノウハウ継承で色々支障が出てきちゃうみたいで。だから貴女が見付かった途端、急に〝降りろ〟ですって。ホント、勝手過ぎるわよね」
帰る場所が無い、それは────。
「何とか残して貰えるよう、ずっと請願していたの。本当なら、別にどこでも良かったんだけど……ここに残りたい理由も、少しだけ有って」
儚げに呟く。
「そう、だったのですね……」
「レイモンド家……以前から西の元老を務めてきた公爵家なんだけど。次代の当主様が夭折なさって。私も魔力が衰え切っていなかったから、いざという時の〝繋ぎ手〟も兼ねて、跡取りが成人なさるまでの間、特例として仰せ付かったの。さっきまで皇女様だったのに、いきなり平民に近い待遇というのも、世間的には相当問題があったみたい」
そう言って改めて天を仰ぐ。
「本当に運が良かったわ……でも、思ったより政務って大変なのね。今までお世話になりっぱなしだったから、そのツケが一気に回ってきちゃったのかも♪」
小さく舌を出して戯けている。先程から一変した無邪気さと素朴さ。
「きっと貴女も同じ……よね? 不思議な巡り合わせ、ね」
不確かな感情が私を包む。
お母様は先日、白き車輪の女神の称号を授かり、併せて僅かな領地を下賜されている。お父様のお住まいから、馬車で僅か半日ほど。
私が偶のお役目に就く際、強く願い出た褒賞で、中身は一世代限り、お父様の管轄の極一部を割譲しただけのもの。
領地の管理など一切した事の無いお母様は、家令も置かず、日々お父様のサポートを受ける運びとなっている。
つまりはただの傀儡。即ち、第二夫人のようなもの。
お母様には最初、〝もっと自分のための何かを〟と拒絶されちゃったけど、とうとう私が強引に押し切った形。
──クラウディア。私なんかと違って、貴女には何にも囚われず、空高く、あの大きな雲のように、自由に生きて欲しかった……。
心優しいお母様の、たっての願いの篭められた、誇り高き私の名前。
──なのに、何故こんな数奇な運命に…………でも、大層なお役目を仰せ付かってしまった以上、しっかりと責務を果たしていらっしゃい。貴女なら、きっと出来る。無事に全う出来る筈だから。だからきっと大丈夫、大丈夫よ。
偶に選ばれた時、そう言って何度も励ましてくれた。
「……もう少しこっちに来て?」
気が付けば呼び掛けられていて、ふらふらと近付くや否や、彼女は立ち上がって私の頭をその厚い胸元に抱き寄せてくる。
「もし私に娘が居たら……貴女くらいか、もう少し大きかった……のかな」
抱擁したまま、まるであの日のお母様みたいに、そっと頭を撫でてくれる。フレアスリーブにくすぐられ、ドレス越しの柔らかな乳房に挟まれ、ライラックのような透き通った香りに包まれて行く。
小さな郷愁が零れ落ちてしまう前に、私は緊く瞳を閉じ、意味も分からずただ強く歯を食い縛る。
※一般的なクラウディア(Claudia、クローディアとも)の由来は雲(Cloud)ではありません。彼女の場合は後者のスペルです。




