メヌエット 1譜 半狼なメイドさん
「あら? いつもと少し、癖の付き方が違うような……」
朝の身支度の際、うら若き半狼のシンシアさんにブラシで髪を梳いて貰いつつ、素朴な問い掛けに内心ドキリとしてしまう。
メイド服を優雅に纏った彼女の外観は、人のそれと何ら変わりはない。
そういえば昨晩は、昨晩はナイトキャップを被る前、適当に結い上げて、彼の貸してくれた帽子の中に仕舞ってたっけ。
そこまで長い時間では無かった筈なのに。
「また粗雑な扱いをされましたね? そんな風では早々に傷んでしまいますと、何度も申し上げましたのに……折角こんなにも艶やかで美しい御髪でいらっしゃるのですから」
後ろで私の髪の束を両の手でそっと挟み込み、我が子を撫でるが如く丁寧に整えてくれるのが分かる。
「ごめんなさい、昨日は少し疲れてて。久しぶりにアロマオイルを焚いてみたの。そうしたらぐっすりと眠れて……その時に乱れちゃったのかも」
実の所、昨晩彼と一緒に居た時の〝緑と土の匂い〟を誤魔化すためだったのだけれど。言い訳が上手く繋がってくれた。どうやら人の姿で居る間は、嗅覚が獣のそれに劣り、普通の純人レベルでしかないらしい。
真横からシンシアの整った顔が静かに覗く。まるで透き通った氷の彫刻のような頬の上を、うっすらと銀糸のような髪の毛が撓垂れ落ちる。
「あら、目の下に少しだけ隈が……まだしっかりと疲れが取れていらっしゃらないのですね?」
優しくこちらの頬に近付き、下手をしたらそのまま唇の端にキスでもされてしまうのでは、と一瞬身構える。
「今の仕草……絶対、態とですよね??」
ほんの少し中性的で、端正な顔立ちの彼女を見上げると、惚けた振りをして嫋やかに笑んでいる。
「……ふふ、何の事でしたでしょう?」
私からの返事を待つ事無く、微笑みながら目の前に来て屈み込む。
「何だかマシュマロみたいなほっぺで、とっても美味しそうに見えて、つい……でも、我が国の大切な大切なお姫様に、そんな畏れ多い事は誓って致しません」
伏せた眼差しで、薬指に薄く掬ったクリームイエローのコンシーラを目元に引いてくれる。
鏡の中の、煌びやかなドレッサーの前に佇んだ私が、急にぱっと華やいだように見える。
彼女は獣人族ではあったけれど、それ特有の粗暴さや不器用さは全く感じられず、特に見た目は純人そのもの。それどころか普通の純人族よりも遥かに繊細で、お淑やかな振る舞い。
半狼を含め、獣人族は一般的に人と獣の姿を行き来するけれど、耳や尻尾など完全に擬態し切れないケースも多い。
獣人族にとってその残った特徴は誇りであり、周囲からはチャームポイントとして愛でられる。
しかし〝人〟としては不完全であり、野蛮、不潔、欲情を煽るなど、忌み嫌う者も少なからずある。だから、恥ずべき生まれとして必死に隠し通そうとする者だって居る。
特に貴族社会では、基本的に蔑視の対象となっており、もしその中で見掛けると、他人には決して明かせない、特殊な奉仕をさせているのではと邪推されてしまったり、良からぬ噂の種となってしまう。
だから、この国の最高位たる私の付き人に抜擢され、堂々と単独で働いている彼女の存在は、余りに稀有で、如何に優秀な人材であるかを雄弁に物語っている。
特に服装選びの感覚やメイクの手技などは卓越しており、物腰も柔らかく、機知に富んで話し易い事から、私なんかは今日みたいに彼女が当番の日を秘かに心待ちにしてしまう程。
女性にしては少し背が高めで、優雅にロングスカートを翻し、肩口のフリルを揺らすその姿は、まるで地上に舞い降りた天使のよう。尋常ならざるその見目麗しさは、エルフの血がほんの少し入っているのも要因一つだという。
「先程からどうなさいましたか? 何だか少し、茫っとしていらっしゃいますけど……」
「あ、いえ、ごめんなさい。シンシアさんってとっても美人で、凄く羨ましいなって……それに、半狼だなんて、やっぱりまだ全然信じられなくて」
少し気が抜けていたため、凄く失礼な事を言ってしまう。
鏡に映る私は睡眠不足の筈なのに、瞳はキラキラと輝き、何だか昨晩から夢見心地のまま。そして隣に立つ彼女も、今日はどこか浮ついているような気がする。
「私めに謝る必要などございません。あ、そうそう、実は昨晩、うっかり準備をせずベッドに入ってしまいまして。今朝起きたら、お布団の中がもう毛塗れで……! 髪も先程の皇女殿下とは比べ物にならない程、ぼさぼさだったんです」
そう零して、また淡く微笑んでいる。
「お片付けをしながら、何だか無性に可笑しくなって来てしまい……きっとあの惨状をご覧いただけたら、今直ぐにでも信じていただけましたのに。ふふ」
きっと昨晩は月が満ちていたから、ベッドの中で人の姿を保てなかったという事なのだろう。
それにしても、普段こんなに手際が良く、几帳面な彼女が、うっかりして慌てふためくだなんて。レアケース過ぎて、確かにちょっと見てみたかった気もする。
「私の場合、皆さんのように器用にお耳や尻尾だけを残す事が出来ませんので。だからと言ってこんな所で獣の姿になってしまったら、戻る時あられもない格好になってしまいます……ですから今日は、この位でご容赦いただけませんか?」
そう言って両手をホワイトブリムの端に添え、耳を象っている。
いつも容姿端麗で楚々としているのに、不意にこんなにもお茶目な一面を垣間見せて来るなんて。果たして彼女に弱点はあるのだろうか。何だか凄く不公平に感じられてしまう。
────数日後。
あれからしばらくの間、例の優しい衛兵さんは日勤続きのようで、時々姿は見掛けるのに、言葉どころか視線すら交わせていない。
私の少し前を警護している時や、遠く警邏しているのを見掛けた時。
その一挙手一投足を、つい目で追ってしまっている自分に気付く。
そしてとうとう、〝それ〟を目撃してしまった。
中庭で、シンシアさんと凄く楽しそうに立ち話をしている、彼の姿を────。
そうか。
すっかり、忘れていた。
私は誰かと自由にお話する事さえ、許されていなかったんだ。
改めてその現実を、目の前に突き付けられる。
でも、そんなのは初めから、来る前から分かっていた事。あまつさえあの仲が良さそうな二人組を見掛けた所で、私がこんなにがっかり落ち込む理由なんて無い。
彼女は私よりも背が高く、凜としており、彼の隣に並んで立つと丁度絵になる。
身分だって、以前の話では彼は準々貴族の家系で、シンシアさんも私の従者なのだから、きっとそれ相応のものだろう。きちんと釣り合いは取れている。
本当なら……本当なら私だって、この身体に流れるヌアザの血を除けば、平民に程近い、準貴族の末端なのだけれど────。
果たして、二人の趣味や性格は合うのだろうか。
ほんの一瞬。見張り塔の影に垣間見えただけとはいえ、かなり親しげな様子だったから、きっと何も問題は無い筈。
シンシアさんは……彼にはちょっと、いや、凄く勿体無い位の逸材ではあるけど。
そうして私は、何故か今にもグズグズと泣き出してしまいそうな幼稚さから、目を背けられずに居た。




