セレナーデ 5譜 彼の過去
意図せず少し哲学的な問いになってしまったけれど、本当はずっと前からその事を聞きたかった。
私の意図はちゃんと伝わったようだけれど、答えに窮していて、一向に返事は返って来ない。
「ええっと……正直な所、〝実入り〟が良かったというだけです。僕も、皇女殿下より少し前にここに来たばかりで。元々は北西部の荘園に住んでいました。でも退っ引きならない理由でここまで逃げ出して。最初は北方教会に保護されて……それから運良く、このミュースに潜り込めたんです」
「…………ごめんなさい。私、変な事を訊いちゃった」
やはり彼にも後ろ暗い過去があった。本当に極当たり前の事だった。なのに、ずっと心に引っ掛かっていて、不用意に尋ねてしまった。グズグズと胸の奥が軋んで行く。
「いえ、大丈夫です。大袈裟に言ってますけど、要はハイドラに襲われて壊滅したってだけです。十人位の、小さな荘園でした。実は父が荘園主で、辺境伯に阿ろうと、凶作続きなのに過剰に取り立ててしまって……そうしたらまるで罰を受けるように被害に遭って。腹に据えかねた住民が報復として呼び込んだ、なんて真しやかな噂もありましたけど」
飢饉や水害、疫病、周辺との小競り合い、果てはこうした魔獣被害まで。
この平和な公国に居ると感覚が鈍って来てしまうけれど、こうした非業の死は未だ帝国の至る所に遍在している。特に辺境に行けば行く程、生きるのは途端に難しくなってしまう。
「幸か不幸か、その辺境伯が公国への受け入れを手配してくれたんです。実際は火種を……厄介そうな荘園主の血をただ排除したかっただけなのかもしれません。でも、僕にとっては本当に僥倖でした。人望も、体力も、知恵も。何一つ無かったんですから」
そう言って目を伏せ、苦笑している。
「聞いていただいて、本当にありがとうございます。何だかずっと、誰かに話したかったのかもしれない。懺悔……したかったのかな。因果応報ってやつです。噂の真相は定かではないんですけど、父が酷く憎まれていたのだけは、疑いようの無い事実なんですから」
「そんな…………貴方がお父様の責を背負う理由なんて、全然無いのに……」
無意識に彼の手を取る。小さな温もりと共に、トクン、トクンと大きな鼓動が伝わって来るような気がする。だけどきっと、それは私自身のもの。
ワンテンポ遅れ、彼は困惑した表情を露にしている。
「えっ? あっ、ちょ、直接触れてしまって、大丈夫なんですか?? 禁忌だとばかり……」
「大丈夫、気にしないで。私を着替えさせてくれるメイドさん達だって、毎日直接触ってるから」
「じゃ、じゃあ……同性と異性で神罰の重さが違う……とか!?」
おかしな理屈を捏ねながら、慌てて振り解こうとするから、深く指を搦め、どうにかして引き留める。そんな些細な心配より、こうしてお互いの事を深く知って、少しずつ心を重ねて行ってしまう方が、余程危険な行為だと思う。
でもそんなのは今更。敢えて指摘はしないし、したくなんかない。
「あっ、あの! それじゃあクラウディア様って、普段我々の見ていない所でどんな生活を送られているんです?? 前から凄く気になってて……!」
普通なら私の言いたくない過去を詮索し返す所なのに。
彼の事だから、きっと私が色々と思い出して寂しくならないよう、無意識に気を遣ってくれたのだろう。
いつもは凄く鈍感なのに、こういう時だけは妙に聡くて。そんな落差を考えていたら、また自然と口元が緩んできてしまう。
「あんまり面白い事はしてないと思う……先ず偶の儀式を毎日でしょ。それ以外だと、清く正しいお稽古事ばっかり。座学は神学、魔学、地政学や医学……実技だと声楽やバイオリン、ダンス、絵画、礼儀作法……それから剣術や体術、後は一応、経常的な政務もちょっぴり」
「えっ! そっ、そんなに────??」
目を丸くして驚かれる。
「そんなにって程? 普段の自由は殆ど無くなっちゃったけど、どちらかと言えばここに来る前の方が色んなお稽古を試してたかも。皇の血統って、大体みんなそんな同じじゃないかな。要職に就いたら、そういう時間も減っちゃうかもだけど」
確かに貴族階級の中でも、その頂点にあるヌアザの血統の生き様は、かなり血腥い。
様々な面で素養や教養、実力や実績が全てであり、このため直系と傍系ですら幾度と無く覆っている。だから日々の鍛錬や自己研鑽は、寧ろ最重要課題と言える。
そしてそれは紳士だろうと淑女だろうと、何ら隔たりは無い。
ここでは歌劇や油彩といった心を肥やす芸事も気軽に行えるし、チェスや合奏などの相手にも困らず、その点は凄く助かっている。有り余る程裕福ではなかった実家に比べ、本当に天と地程の違い。
自由が奪われてしまった分、ただのお祈りや節操無しの読書と言った暇潰しをしなくても良くなったのは、数少ない喜ばしい事の一つ。
「そう……だったんですね。ただ先代様は、かなりの異端児で、自由奔放な方だったようです。クラウディア様はそれに比べて本当にお淑やかで、人柄も良いって評判で。加えてこんなにも可憐で、儚くて、本当に凄く凄く可愛らしく……って、痛って!」
解くタイミングを失い、深く搦めたままの指をぎゅっと抓る。
「ねぇアゼル様──それ、絶対皆さんにおっしゃってらっしゃいますよね? そんなにナチュラルに口説いてくる殿方なんて、初めてお逢いしましたもの。明らかに天然ジゴロのそれですよね」
今度こそ思い切り振り解かれる。
「いっ、痛ったた……いきなり折られたかと思った……ああもう、そんな訳無いじゃないですか!」
爪が食い込んで青ざめた箇所に態とらしく息を吹き掛けながら、小さくぼやいている。
大袈裟過ぎるリアクションな気もしたけど、自分でも気付かぬ内に魔力を篭めて握力を増強してしまっていたかもしれない。流石にやり過ぎたかも。
「あのテオドアさんじゃあるまいし……あんな台詞、生まれて初めてですよ? だって本当に凄くお綺麗で、素敵な人だなあって、ずっとずっと前から……って、もう止めて! さっきの、ホントに滅茶苦茶痛かったんですから!!」
私がそっと手を伸ばす振りをして見せたら、怯えて諸手を上げている。その格好が面白くて、つい吹き出してしまう。
「そんなにか弱いだなんて……私の護衛失格ですわ。もう少し頑張ってくださらないと、わたくし、困ってしまいますの」
敢えて気取ったお嬢様風に諫めてみる。
「ああもう、色々と、勘弁してください……」
こちらが笑むのを見て、釣られた彼も苦笑混じりに微笑み返してくれる。バターたっぷりのお菓子を目一杯頬張った時のような充足感に包まれる。
「それじゃあ、そろそろ戻ろっか? 流石に、夜更かしし過ぎちゃったかも」
立ち上がりながら、お尻に付いた砂を払う。でも、彼の方は動かない。
「……済みません。僕のせいで何も出来ず。でも、もう少しだけ良いです? 実は、その……もう一個だけ、持って来ちゃってて」
そう言って場都が悪そうに、少し小振りの楽園の杏を懐から取り出す。
「こっちが自分用のつもりだったんです。さっきは何だか言い出し辛くて……折角だし、これも一緒に食べませんか? それとも、もうお腹一杯でした?」
「ううん、大丈夫。でも、このまま二つも分けたら……永遠を二回分になっちゃうね」
永遠なんかじゃなくても。ただ夜が明けるまで、ずっと彼とお喋りをしていたい。
そんな小さな願いですら、今の私には、きっと身に余る贅沢なのだろう。
「え……ええっ!? さっき、自分は全く信じてないとか言ってた癖に……」
ぶつくさ言いながら、再び私が座り込む間に、また二つに切り分けてくれる。
そうして少し悩んだ末、咄嗟に思い切ったお願いを口にする。
「あ、あの、ね…………さっき立ち上がる時、手で砂を払って、汚れちゃったから……その。それ、私に食べさせて?」
勇気の告白。
その時見た彼の表情は、この先ずっと、思い出す度に私に笑顔をくれる、大切な記憶の一つになってしまった。
そうして何故か、二つ目もしっかりと美味しかった筈なのに。
彼との他愛ないお喋りに夢中になってしまい、いつまで経ってもその杏の味は思い出せなかった。




