セレナーデ 4譜 楽園の果実
「ちが…………もん」
声が掠れ、反論が音になってくれない。
「今の生活、凄く侘びしいですもんね」
「違……もん、そんなんじゃ、ない、もん────」
同情めいた顔で更に付け上がってくるから、声を張って怒鳴ったつもりだったのに。何故かか細い響きだけで、鼻を啜るみっともない音の方が余程大きい。
確かに、先程来次から次へと涙が零れて落ちていて、全然止まってくれない。その事実だけは、確かに認めざるを得ない。
だけどこれは、私が彼の言葉をちゃんと否定出来ず、情けなくなってしまっただけ。もうそんな言い訳すら胸が痛むから、絶対にしないと心に決める。
淡く滲んだ視界の中、コツンと、帽子の上から何かを強めに何かを当ててくる。
「無駄に肩肘張らないの。それじゃあ、これでも食べて元気出してください。この前初めて食べた時、びっくりする程美味しくて、ホント感動しましたから。絶対驚きますよ?」
不敵に笑い、悪戯っぽく差し出してきたのは、楽園の杏。しかもその中でも薄桃じみた超高級品種。この四宝宮の敷地内でしか栽培出来ない、特別な代物。
「それ…………一体どうしたの?」
ようやくまともに声が出てくれる。最近二日に一回は食べていた気がするけど、確かに掛け値無く美味しい。
私が必死になって目元を拭っている隙に、無遠慮に隣へと座ってくるから、態とお尻をズラし少し距離を置く。
見ると人差し指を口に当て、下手なウィンクをしている。ちょっと吹き出しそうになってしまった。
「あの騒ぎ、やっぱり貴方だったんだ……」
少し前、敷地内の果樹園に魔獣が出たかもしれないと話題になった。
ただ魔獣の類にしては比較的綺麗なもぎり方で、ハウスメイドらが疑われた事もあったけど、犯人が誰なのかは結局分からず仕舞い。
「や、やっぱりって何!? 違いますって! あの時はテオドアさん! ただ知らずに貰っちゃっただけ! ……今回のは確かに、まあ、僕、ですけど……」
(素の時は、僕って言うんだ──)
いつもは軍人さんぽく堅苦しい接し方だったから、ほんの少し打ち解けられた気がして、快い柔らかさに包まれる。
彼は短いナイフを取り出し、中央の大きな種に沿って切れ目を一回転させ、器用に二等分している。更に種も切っ先で器用に刳り抜き、両方とも私の方に差し出して来る。
「あ、もう少し小さく切った方が良かったです?」
「う、ううん……全然大丈夫。でも、食べるなら一緒に食べたい。私だけが罪を着せられちゃう」
「え? それは、ええっと…………」
少し意地悪を言ってみたら、案の定慌てた様子で口籠もっている。
瞳が魚のように緩く泳ぎ、その中で遠い火と月明かりだけが揺れる。
〝一つの楽園の杏を恋仲にある男女が分け合うと、永遠に結ばれる〟。
公国外でもしばしば耳にする有名な逸話で、私も内心、少しだけ憧れていた。
「──ひょっとして、あんな年頃の女の子が好きそうな噂、信じてるの? 全然そんな感じでもないのに」
敢えて興味無さそうな振りをして、一旦鎌を掛けてみる。
「そもそも私達って恋人同士じゃないし。もし本当に恋人同士だったとしても、私となんかじゃ、ご不満?」
自分でそう言っておきながら、全力で走って来た時よりもずっと、早鐘が耳にうるさく、今にも心臓が口から飛び出してしまいそうになっている。
「────そんなの……凄く嬉しい。嬉しいに決まっています」
真っ直ぐにこちらを見据え、社交辞令や冗談といった雰囲気は一切なく、正に真剣そのものといった面差し。
一瞬で耳まで熱くなったのが分かったけど、煌々とした月明かりの下だったとはいえ、泣き腫らして散々顔を擦っていたから、きっとバレてはいない。いや、そうでなくちゃ困る。
微かな自己不全の中、照れ隠しに一口囓ってみる。
(…………大丈夫、ちゃんと味わえてる)
こんな大きな半球で、しかも薄皮ごと丸囓りなんて初めてだったけど、癖の無い芳醇な風味と、心まで溶かされてしまいそうな甘さは相変わらず。
それどころか、いつにも増して美味しく感じられる気がする。
あっちこっち揺れ動く思考に翻弄されつつ、全然取り乱してなんかいないぞ、と、自分への言い訳ばかりを考えていた。
話を有耶無耶にしたのには気付かれなかったようで、
「ね?? それ、びっくりする位美味しいでしょ?」
無邪気に同意を求められつつ、彼もお椀のような片割れを大きく食みながら、思い切り微笑んでいる。
「…………うん」
ついつい幸せな気持ちで満たされてしまう楽園の欠片を、二人一緒にお腹の中へと仕舞い込んで行く。
その間、言葉は一切交わしていないのに、何だかとても安心出来てしまう。
時折チラチラと彼を見遣っては、遠い篝火に曝される肌が意外と綺麗なんだな、とか、顔のパーツは平凡で、お世辞にも美形とは言い難いけど、睫毛だけは少し長くて、何だかちょっぴり羨ましいな、とか。
いつもの衛兵さんの格好でない彼が、何だか別人みたいに見えて来て。目が合うと、直ぐに笑い返してくれて。頭の中は常にそんな事ばかり。
「ずっと……ずっと見ていたいです。凄く素敵で。見飽きないですから」
先に食べ終えていた彼が、私も食べ終わりそうな頃を見計らい、夜空の低い方を見て呟く。
もしこっそりと彼を観察していなかったら、自意識過剰の勘違いで噎せてしまっていた事だろう。
アゼルさんの視線の先にあるのは、私が日々暮らす古天宮。
絹鼠色を基調とし、所々エクステリアに黒瑪瑙を組み込んだモノトーンがとても印象的で、世界一優美と言われるこの四の宮殿で、最も月下に映える外観。
唯一お城に似た構えをしており、張り出した三つの枝楼が非対称の鋭い角のように聳え、夜空を深々と突き刺している。
「私もこの四宝宮の中で、一番素敵って思う────」
薄赤く輝くような燐火宮、紺碧で紺青な湖水宮、全面大理石の白い幻想宮。
そして少し地味だけれど、力強く、唯一住居の機能を持った古天宮。
晩餐や礼拝、謁見、読書、歌劇鑑賞、偶の儀式など様々なシーンで各宮殿を往来する際、この落ち着いた佇まいを見るのが、一番好きだった。
「あっ……いえ、その、クラウディア様の事……です」
何という事だろう。予想通りきっかり噎せ込んでしまう。
そう告げた彼の顔も赤いと気付けたのは、ようやく目を向けられるようになってから。
「まっ、まさか、いきなり〝夢弾きの偶〟を口説いてくるだなんて……アゼルさんは意外と大胆で、破廉恥な方だったのね!」
私も今度こそ確実に林檎みたいだろうから、彼がこちらを向く前に急いでハンチング帽の鍔を下げる。顔を逸らし、緩みきった口元を何とか誤魔化す。
「いやいやいや、さっきいきなり〝好き〟とか言って、散々弄ってきたじゃないですか……そのお返しです! やられっぱなしは、凄く悔しいですから!」
微かに震える声。〝なんだ、さっきは貴方も強がってたのね〟とか、軽く言い返しておきたかったけど。そんな余裕は全く無かったし、そもそも、もし今思い浮かんだ言葉を一字一句そのままに伝えてしまっていたら、確実に墓穴だった。
変に浮ついた空気を払拭しようと、墨色の空を見上げて呟く。
「そう言えば、どうして……どうして、貴方はここに居るの?」
月明かりに負けじと瞬く星々を見ていると、とても綺麗で、少しだけ心が静まって来る。




