セレナーデ 3譜 迷路(メイズ)
拙い変装を終え、仕上げに軽く髪を結い上げて帽子の中に半分仕舞い込む。
人気の無い夜中なのはどうしようも無いけど、もし気ままに出歩いているのが見付かっても、これなら少しは隠し通せるかもしれない。
ほんの少し羽が伸ばせると分かっただけで、随分と心が軽くなった気がして、この上無く有り難い。
「ありがとう、それじゃあ────」
「ええっと……今日は是非、同行させてください」
壁に手を掛けつつ、爪先で床を叩いてぶかぶかの木靴を詰めていたところ、とんでもなく軽い調子で提案される。
「えっ……で、でも……」
確かに先日、一人きりの散策はとても自由で楽しかった。だけど、やっぱりほんのちょっと物寂しかったかも、と、愚痴ってしまった気がする。
ここは長きに亘り繁栄し続ける、ヌアザ帝国の発祥の地。
今は分割統治のために遷都し、帝都の半分にすら満たないような矮小な公国だけど、今尚、広大な帝国領の三分の一の資源を産出し続けている。
だから夢弾きの偶、即ち私の双肩に掛かっている責任は、想像すらし難い。
そして彼ら護衛は、私を護るのと同時に、監視し、閉じ込めておくという重大な裏の役割がある。
神々の愛するこの理想郷には、獰猛な野生動物や魔獣といった外敵の脅威も少なく、身に余る豊かさ故、夜盗ですら次第に鞍替えしていく。
だから護衛の任務は殆ど裏の方。偶を見張るためだけと言っても最早過言ではない。
「ご心配には及びません。テオドアさん……相方さんなんですけど。どうやら明日奥様の誕生日らしくて。早く帰って尽くしてあげたいとか何とか。だから今日も朝まで自分一人で……って実はこれ、今月でもう三度目なんですけどね」
そう言って少し困った顔をして、指で頬を掻いている。そう言われれば確かに、彼一人の事が凄く多い。寧ろ二人ペアなのをほぼ見た事が無い。
「──そんなに沢山の奥様がいらっしゃるの?」
無意識に身が竦み、暗澹たる気持ちが喉元まで込み上げてくる。
「ちっ……違いますよ! 我々は一人だって養うのは大変な身ですから!」
彼は両手を大きく振って否定しつつ、珍しくアンニュイな表情を浮かべている。
「単にサボる口実です! しかもあの人、あの歳で女遊びを続けてて……何回か離婚されてますし。そう言う意味では、〝沢山の奥様〟だなんて、言い得て妙ですね」
「…………そっか」
そう言えば、お母様は傍系の中でも何番目の側室だったろう。お父様とは年に数回会えるだけだったけれど、とても力強く、優しく、とびきりお茶目で、魅力的だったのを能く憶えている。
「一応、前はもっとしっかりした言い訳だったんです。ただ自分と組む時に限って、どんどん雑になって……最後は〝閉じ込めておくだけなら俺なんかは居ない方が良い〟とか、〝お前は無自覚な鳥籠だろうな〟とか。徹頭徹尾意味不明で、ホント酷くて」
私の〝護衛〟なんて、身分や性格、一定の練度は保証されるものの、何かしら脛に瑕を持つ人や、ご年配の方が殆ど。
そして皆が皆、偶とは一定の距離を置き、密な交流や接触を避けている。
そもそも〝極力他者と交わってはならない〟という口伝だったし、万が一何か起きてしまった時には、降りかかってくる量刑が常人の比ではない。
だから余りに若く、それでいて特徴の無さ過ぎる〝至って普通な〟彼の事が凄く気に掛かり、こうして時折雑談を挟んでは、それとなく事情を探っていたんだっけ。
「あ、やっぱり御一人が良かったです? それならちゃんと言ってくださいね。自分、休憩取っちゃいますから。さあ早くしないと、折角の〝パーティーナイト〟が終わっちゃいますよ? クラウディア姫」
不意に優しく呼び掛けられ、鼓動が大きく跳ね、突然頭の中が真っ白になる。
〝これ〟とか、〝あれ〟とか。
この公国にやって来る前、私の事を名前で呼んでくれていたのは、殆どお母様やお父様、それにベオウルフお義兄様とエリオットお義兄様くらい。
他には実家の侍女であるルクシラちゃんや、彼女のお母様が、うっかりして時々。
私の存在は広く知られていなかったし、時々誰かにお会いするのはお父様の伝手ばかり。落胤の生き方なんて、そんなものだとばかり思い込んでいた。
それがいきなり、誰もが道を空けるような〝本国の皇女様〟に。
駄目元でさっきはお強請りしてみたものの、まさかこんな時に不意打ちをして来るなんて。しかもあのお父様と同じ、変な呼び方で──。
首から上が一気に熱を帯び、顔が火照って来るのが自分でも分かる。
羞恥、郷愁、喜悦、どれもしっくり来ない。
遣る瀬無さ……なのだろうか。でも撚れた糸のように複雑に絡み合い、頭の中で一向に解き解れてくれない。
唯一分かったのは、彼は少し茶目っ気を出しただけで、多分、何の意図や目的も無かった、という事──。
気付けば私は、思わずその場から逃げるようにして一気に駆け出していた。
「あ、ちょ、ちょっと……! 詰め所の方にだけは絶対行かないでくださいね!」
縋る声を振り切り、胸像や名画の視線を気にしつつ、一気に階段を下って行く。
こぢんまりとした柱列空間を走り抜け、綺麗なテラスへ。そして飛び出した古天宮を振り返る事無く進む。
思えば激しい胸の高鳴りを、息切れのそれで必死に誤魔化そうとしていた。
「────あ、居た居た」
不意に頭上を過ぎる気配。
声を掛けられてようやく、私は膝を抱えてみっともなく座り込み、顔を埋めている事に気付く。荒い息もまだ全然整っていない。
腰の高さ位で縦横に真っ直ぐ剪定されたボックスウッドの小道で、無意識に身を潜めるようにしゃがんで隠れてしまっている。
点在する夜の篝火からは遠く、暗がりなのに。それでも彼はこんなにも早く、私の事を見付け出してくれた。
「この小さな迷路、案外難しいんですよね。しかも絶対に跳び越せない絶妙な幅と高さですし。あの爺さん、ホント性格捩じ曲がってそうだな……」
楽しげに語り掛けてくるけど、そこに金属の音は無い。どうやら彼も鎧を脱ぎ捨て、軽装になって駆け付けてくれたみたい。
案外難しい迷路、と言った指摘は、当たらずも遠からず。
今日はこの向こうにある〝白薔薇の園〟を見てみたくて。無我夢中で走っていたら、いつの間にかこの袋小路に嵌り込んでしまった。そして少し疲れて来て、座り込んでしまった。ただ、それだけ。
退屈凌ぎに窓から見下ろし、ルートは全部暗記していた筈なのに。
実際目の当たりにしてみると、薄闇で印象が様変わりしてしまい、加えてまともに考えられない位、頭の中がちぐはぐで。
「…………あれ? ひょっとして……泣いて、いらっしゃるんですか?」
いきなり不可解な難癖を付けてくる。
仕方なく顔を上げて彼の方を見遣ると、天頂の望月を背に、彼の姿はまるで雨上がりの水溜まりみたいに歪だった。




