カノン 4譜 捨て身の誘惑 - Refrain
神学を学んでいた所に、急な言伝を受けた侍女が私の元へとやってくる。〝どうしても直ぐに来て欲しい〟とだけで、用向きは特に聞かされていない。
自己研鑽はもう暇潰しに近かったけど、それでも大事な事に代わりはない。しかしその言伝の主は、私の中で最優先事項だったので、直ぐに中座する。
そうして彼の新居へと足を運ぶ。人払いし、部屋の中には二人きり。
「急にどうかしたの? そういえばダーリンから〝お呼ばれ〟されたのって、実は初めてかも……何だか嬉しいな♡」
何食わぬ顔で鎌を掛けてみる。
「ダ、ァ、リ、ン……? あのですね、皇女殿下、これは一体、どういう事ですか??」
あ、これは珍しく怒ってるパターンかも。いや、困惑し過ぎて取り乱していると言った方が正確かもしれない。
彼の新居は、〝古天宮〟の一室。
即ち、私と同じ。
しかも、私の寝室の、直ぐ隣。
見た所、荷物は既にほぼ運び込まれている。無論、本人の許可など取ってはいない。ベッドは備え付けの物だったけれど、彼の私物がどんな感じなのか、凄く興味が湧いてしまう。
「どうって言われても……お部屋は殆ど使ってなくて、沢山余ってたし。その中でも、ここが一番素敵かなって」
キョロキョロと辺りを見回していたら、いきなり両側からほっぺを抓られる。
「い、いひゃいいひゃい…………ふへーはいー!」
「そ、う、い、う、意、味、じゃ、な、く、て! あと、ご年配の方が自分の事をやたら詳しく尋ねて来るから、身辺調査か何かかと思って色々と話していたら、いきなり〝初の騎士爵様に纏わる英雄譚を書かせていただくので〟とか何とか言い始めて……そんな話、全然聞いてないんですけど!?」
やっと離してくれた。結構痛かった。両手で頬をさする。絶対赤くなってる。
「言ってないもん」
また彼が手を構えるので、そのまま頬をガードしておく。
「──だってぇ、あのお茶会の後急に決まったから、伝える暇も無くって………」
ついでに頬に手を当てた乙女ポーズのまま、左右に身体を振ってカマトトぶっておく。
でも、実は大半が嘘。
英雄譚の件は本当にあの後決定したのだけれど、伝える時間なんて幾らでもあった。そして彼を強引に引っ越させたのは、私から、どうしても、ってエマ様にこっそり何度もお手紙を送り付けて、水面下で計画を進めて貰っていたもの。
「……っ、はぁぁ~~~…………」
余りにも分かり易い、これ見よがしの長い溜め息。
槍術の講師の件だって、私は苦手だってずっと言ってるのに、自分なんかよりも余程君の方が強いって頑なで、説得するのが凄く大変だったし。これだって、もし事前に打診なんかしていたら、絶対に門前払いされていた筈。
「むー……あ、そういえば今日は紋章案の決定期限なの。私の意見がほぼ採用されちゃうらしいから、あの三つの中でどれが一番良かったか、教えて欲しいな? 聞こう聞こうってずっと思ってたけど、なかなか機会がなくって……」
実はさっきまで完全に忘れていただけだけど、忙しさアピールのついでに確認しておく。
「ああ、あれか……正直どれでも良いよ。全部良かった。クーに任せる」
「えーーー、責任重大で困るーー…………」
「…………それじゃあ、第一案の竜っぽいのにしといて」
「うん、ありがと♡」
「そ、れ、よ、り、も……」
結局、延々と説明させられてしまった。
部屋の件は、三つの公爵家は議会の近くに大きな家を構えていて、爵位の者を市内に住まわすのかと話題になり、唯一住居の機能を持つこの古天宮は元々候補の一つだった。
とはいえ、他の案もあったし。そもそも私の寝室の直ぐ隣というのは、私がごり押……基、強く推挙しただけなんだけど。万が一危機が迫った時、直ぐ駆け付けて貰えるって、最もらしい理由を付けて。
彼には私から伝える手筈になっていたけど、無用な手間の元だし、敢えて黙っておいただけ。
一方の英雄譚は、極めて政治的な理由。
このミュース公国は豊か過ぎるけれど、実は〝大衆娯楽〟に限れば、殆ど選択肢は無い。
何故なら娯楽の殆どが、全て〝高尚過ぎる〟から。絵画や歌劇、楽器、書物など、芸術全般は、須く神に捧げるべき物ばかり。
だから一般の民草は、街などに多数ある大衆酒場で、吟遊詩人を囲みながら皆で歌い踊るのがほぼ唯一の気軽な楽しみとなっている。
なので、とても満ち足りている筈なのに、どうにも肌に合わないと言って立ち去る者すら存在する。
そこで、記念に大衆酒場でも親しみ易い新しい英雄譚を供給し、併せて祝祭を開くのはどうか、という話が上がった。
大筋は、この国を狙う邪竜を影で討伐し、瀕死の重傷で凱旋する王道物。更には随所に恋物語も鏤めて、ヒロインは私と全く別のタイプにし、関係性の噂を断ち切る目的もあるらしい。
架空の人物像にするか、シンシアさんなど特定の誰かをモデルにするかで目下意見が真っ二つに割れており、もし後者になってしまったら、出来上がる前から相当妬けちゃいそうだけど……こればかりは致し方ない。
その夜。湯浴みを済ませて直ぐ、敢えてまだ濡れた髪のまま、そそくさと彼の部屋へと向かう。
ノックをして返事を待つ。
「──どうぞ。こんな時間に何かありました?……って、何で君が!!」
私は後ろ手にそっと扉を閉める。どうやら、装備品の手入れをしていたようだ。
「え、えへへ…………お部屋を間違えちゃった♡」
「って、わざわざノックまでしてそんな訳ないでしょ! 護衛は? どうしたの?」
通常なら私の寝室の前に二人。古天宮内は基本それだけで、他は四宝宮の敷地を随時巡回している。寝室付きの二人は、湯浴み前に何とか言い包め、お帰り願った。
「貴方が隣に居るから、大丈夫ってお願いして。ちょっと職権濫用しちゃったかも……」
折角のお祭りムードの時に、凄く勿体ないって勧めたら、案外簡単に懐柔出来てしまった。職務怠慢なのも、今は非常に有り難い。
微かな蝋燭の煙に混じり、少し革と鉄っぽい匂いがする。これがいつも彼の暮らしている場所の香りなんだ、と少し感動する。本当はちょっぴり怖くて、私の部屋まで来て欲しかったんだけど……それでもし万が一見付かってしまったら、もう言い訳が利かない。
「一人だと寂しいから…………また一緒に寝よ?」
彼がカツカツといきなりこちらに歩いてきて、手首を掴まれてしまう。全然いつもの柔らかい加減じゃなくて、かなり強い。
「今はもうこんなに健康体なんだ。それに──こんな薄着で……自分のしでかしてる事、本当に分かってる!?」
微かに身体が震えてくる。今はシュミーズを纏っているだけ。決して湯冷めしている訳じゃない。
今更怖じ気付いているのか、彼がいつもと少し雰囲気が違うからなのかは全然分からないけど、精一杯、今の気持ちを伝える。
「あ、あの……ね。私は決して、清らかな乙女なんかじゃないの。貴方の思っているような清楚な人間でもないの。私だって普通に人恋しく想うし、不浄な想いだって、沢山あるの。だから……もうどうしようもない位、困ってて……」
彼は一旦頭を掻いてから、小さく溜め息を吐き、手首を掴んだまま私を後ろに押してきて、とうとう扉を背に追い詰められてしまう。
「クー……君はね、僕が君の事をどれだけ好きか、以前からちっとも分かってない。分かってはくれない。それなのに、こんな軽率な行動まで……実は少しだけ、腹が立って来てる」
初めて見せた彼の翳りのある表情に、凄くドキドキしてしまう。だけど、全然嫌なドキドキじゃない。
「そっ……それは私の台詞!! アゼルさんだっていつも、全然分かってくれてないもん!!」




