カノン 2譜 一番大切な場所
「なるほど。叙爵を利用して、済し崩し的に近付いて行き、最終的に婚姻にまで辿り着けるかまでは分からないけど、少なくとも夢弾きの偶に直接お仕えする立場になれば、一先ず日常的な接触の機会は色々と増やせそう……って事だね」
「アゼル様が分不相応とご遠慮なさって、辞退されるといけないから……それに、護衛長のポストが欠員のままで、もし初の騎士爵となれば、そのまま推挙すべきって意見も上がってるの」
その吉報は、まるで救いの方舟の如く私達の元に齎されたもの。
結果論とは言え、アゼルさんは命を賭して私や国を護ってくれたのだから、それ相応の〝ご褒美〟位、あって然るべきと思う。
「相変わらずその変な呼び方、続けるんだね……それにしても、何でそんなとこに座ってるの?」
「そんな所だなんて……失敬です! 私の一番大切な御方の、お膝の上なんですよ?」
ようやく指摘してくれた。さっきから説明をしつつ、いそいそと、静かに上っていたのに。〝重たい?〟だなんて、乙女の口からは決して尋ねられない。
「あ、あの……ね、そういう意味じゃなくて、ね……」
至近距離で目と目が合う。お互い正面を向き合っている状態。即ち私は大きく足を広げ、彼の太股全体に跨っている。
目線は私が少しだけ見下ろす感じになり、直ぐ近く、吐息の掛かるような位置で視線を絡め合う。
「私、今凄くドキドキしています…………アゼル様も、同じ気持ちかな」
「いや、まあ、確かに僕も色んな意味で緊張してて、ドキドキはしてる。してるよ。もしこんな姿を誰かに見られたら、即座に抹殺だろうな……とかね」
やっぱり少し大胆で、端無さ過ぎただろうか。しかも片側じゃなくて、両方の太股の上だし。
でも、当のアゼルさんはどこ吹く風で、ちっとも照れてくれてない。胸の奥がそわそわして来てしまう。
「…………じゃあ、ついエッチな事も考えちゃったり?」
「いや、別に」
「えーーー」
まさかの即答…………地味にショックが大きい。
「いやいや、言ってる側からそんなサクランボみたいに赤くなってて、もの凄くしんどそうな顔をされると、見てるこっちまで痛々しいし、そもそも婚前交渉なんて死ざ──」
尖らせた口先で、無闇な理屈を最後まで言わせないよう、一度小さく唇を塞ぐ。あんなのはもうとっくに有名無実になっている。それに、夫の不貞は、養う意思さえ少しでも見せれば一切罪に問われないなんて、本当に不公平過ぎる。
だからこうして勇気を振り絞り、捨て身の啖呵まで切ってみせたのに。ただの自殺行為だったみたいで、言葉に出来ない位恥ずかしいし、何だか凄く悔しい。憂さ晴らしに思い切りしがみ付いてみる。
しばらくすると、彼の方からもそろそろと抱き締め返してくれる。ほんの少しだけ、左腕の動きがぎこちないような気がする。
「…………これで私にドキドキしてくれたかな」
深く抱擁し合うと、流石にお互いの鼓動がよく伝わって来る。
「良い香りがするね。最近全然嗅いでなかった、クラウディアの匂いだ」
トク、トクって、彼の方も意外と早鐘で、少しだけホッとする。良かった、私に魅力が無いって訳じゃなかったみたい。これだけ色々と手を尽くしているのに、私だけに夢中なってくれなかったら、本当に困る。
「その感想、何だかちょっぴり変態さんっぽい……」
ひそひそと耳元で囁き合うと、自身の顔が段々熱を帯びてくるのが分かる。鼻の先が項に近く、息が当たる度少しくすぐったい。彼の方も同じなのだろうか。
「嫌いになったかな」
「ううん。好き、大好き。そんなの今更聞かなくたって、もう、全部知ってる癖に……」
グリグリと首を振って頬擦りし、抗議の言葉と共に、動きでも強く主張してみる。
今の彼にどう接すれば良いのか、どうすれば喜んでくれるのか、正直全然分からない。まるで答えの無い謎々みたいだけど、ずっと迷い続けているこの気持ちでさえ、どこか心地好く感じてしまう。
「いたたっ」
つい力が入ってしまったようで、彼の身体が一瞬だけ強張り、呟く。
「──あ……まだ、ちゃんと治ってなかったんだ…………」
視界の奥には、後方の貝殻じみた白い壁しかない。頭が真横にあるから、呟いた時の表情なんて確認しようがない。
思い返せば、凄く軽い調子で、態とらしかったのに。
その下手な演技に終ぞ騙されてしまい、いきなりじわりと瞳の奥が滲みてくる。彼の耳元で、小さく鼻を啜ってしまう。
「あ、え、えっと……! ごめん、冗談冗談。いきなり足に乗って来てびっくりさせられたから、そのお返しと思って……もう全く痛まないし、今は多少可動域が狭まってるかもしれないけど、医者もその位なら放っておけば自然に治るって。指は前から動かせてるし、傷口もしっかり塞がってて、もう何の心配も要らないから」
「……ダメ。そういうのは絶対ダメ。反則。絶対赦さない」
涙そのものは誤魔化せても、ようやく搾り出した声はとても水っぽくて。今日のメイクはいつもより薄めにして貰ったけど、きっと目元はもう崩れ始めている。これ以上泣いたら、彼の肩口を汚してしまう。
嘘だと分かった途端、自分がいかに動揺していたかに気付かされ、本当に恨めしくなる。驚きや悲しみが次第に怒りへと置き換わり、ついパタパタと足が動き、身体が勝手に不満を露にし始めている。
「ごめんごめん。ちょっとやり過ぎた。ほら、こんなにも力が入るよ? それに、前より少し腕力が上がったみたい。君の魔力を受けたからかな……そういう副作用ってあるの?」
そう言って更にぎゅっと締め付けてくる。コルセットは大嫌いだったのに、この痛い位の圧迫感は、どうしてこんなにも心地好くて、安心出来てしまうのだろう。
ずっと貴方の手でこうして私を拘束しておいて欲しい。そんな風にさえ思ってしまう。
「知らない…………そんなの、聞いた事ない」
実際彼の言う可能性は高かったけど、そんな明白な話題反らしになんか、今は付き合いたくない。
「弱ったな…………どうしたら機嫌直してくれる?」
最初は、ただ何となく。
本当にただ何となく、あの誓いの夜の真似事をしてみようかなってちょっと思い付いただけ。ちゃんと再現しようなんて、考えてもなかった。
でも、奇しくもあの夜と同じように、彼が後ろ髪をさすってくれる。頭を撫でてくれている。深く秘めたる想いが、また涙に代わって次々と溢れて来てしまう。
「……じゃあじゃあ、私だけをずっとずっと好きで居てくれる事。それから、絶対絶対、他の女性を好きにならない事。それに、こんな風に私を不安にさせちゃダメ。心配させたら絶対ダメ。それとこの前みたいに、凄く危ない事も禁止。自分を守って、それでいて、私とずっと一緒に居てくれる事。毎日そうしようと努める事。それからね、それから……」
「ちょ、ちょっと、いきなり多過ぎ……でも、全部当たり前の事かな。約束する」
「あ、あとは、もう一つだけ…………」
今思えば、そのほんの些細な違和感で、自分でも突拍子も無い位、こんな恥ずかしい行動に出てしまったんだと思う。
「……アゼルさん、今日はいつもとちょっぴり違う。何だか少しだけ大人っぽい。落ち着いてるっていうか……もし〝心当たり〟があるなら、包み隠さず、全部教えて欲しい…………」
凄く怖かったけど、もう気後れなどせず、更に半歩踏み込む。
「──クラウディアって本当に目敏いんだね……降参だよ」
膝の上に私を抱えながら、彼は語ってくれる。それは半ば想像通りで、もう半分は、とても意外な事だった。
日記は全て頭に入れてある。私から寄せた好意も、全部。
ただ、実際あの後顔を合わせていたのは、ほんの僅かな時間だけ。私の部屋で治療していた時も、殆どは昏睡していたし、覚醒後の二日間だって、日中の少しと、寝る前のほんの一時だけ。
だから、頭ではきちんと分かっていた筈だけど。
これからがっかりさせないだろうか。傷付けたりしないだろうか。それにやはり〝皇女殿下〟だから、色々と失礼な事は無いかと、とても不安で、今朝からずっと緊張しっぱなしだったらしい。
結果的に、その緊張が私の猜疑心を煽り、疑いと不安の連鎖を呼んでしまったのだけれど。
そして他には、一度死にかけた事で、彼の方も意識が少し変容していたらしい。
この国はずっと平和だったから、命の危険なんて無いと思い込んでいた。護衛とは言っても、夢弾きの偶を日々監視するだけの、退屈な仕事だ思い込んでいて、すっかり油断していた。
そこに突然あんな不穏な事件が。弛み切っていたと痛感させられ、もっともっと強くなって、色々な事に目を光らせなくては、私の周りをちゃんと見ていなくては、と、改めて心を引き締め直した、って。
護られている私からすれば、考えも及ばなかった深慮。
私なんて、何かの綻びや小さな心離れの兆し、最悪、もう微かに浮気が始まっているのではないかと強く訝しんでしまっただけで、本当に、本当に情けなくて、慚愧に堪えない。




