シンフォニー 5譜 同衾
ベッドに腰掛け、無傷の方の半身に寄り掛かると、片手でそっと肩を抱いてくれる。彼は少しばかり天蓋を見上げながら、呟く。
「本当は君の事、直ぐにでも安心させてあげたかった……だけど彼女が、シンシアさんがどうしても気になって。先に色々と探っていたんだ」
そうして護衛長と密談しているのを見掛けると、聞き慣れない獣人語で、何だか焦臭い雰囲気を漂わせている。
明らかに逢い引きのそれではなく、だからと言って護衛の誰かに知らせたら、張本人である護衛長にまで筒抜けになってしまう。
そうして影で他の相談相手を探していたら、例の手紙の噂を耳にし、西の元老様に直接接触し、進言する機会を得た、と。
少し痛い位、肩に彼の指が食い込んでくる。
「でも、まさかあのシンシアさんが、幻獣を扱うだなんて……僕は危険そうな護衛長を監視していた。だからあの時、幻獣に組み敷かれた君を見た時、本当に肝を冷やしたよ……一歩間違えれば、あのまま君が殺されていたかもしれない」
それは、こちらの台詞。
「……私なんか、貴方が大怪我をして、このまま死んじゃうんじゃないかって、ずっと不安で、心配で……肝を冷やす所の騒ぎじゃなかったのに……怖くて仕方なくて、胸が潰れちゃいそうだったのに…………」
過ぎ去った憂いと安堵が同時にまた牙を剥いて来て、じわりと瞳の奥を温めて行く。
「それは────本当にごめん。まさかあの人があんなに強くて、躊躇いなく攻撃してくるなんて、予想外で……」
援軍も、もしあれ以上早かったら白を切り通され、逃げられていた可能性が高い。でも彼がこうして深く傷付けられないなら、その方が、ずっと良かった。
身の竦んだ日々を昨日にするため、心凍えた冬の日から早く目覚めるために、今度は私の方から彼にそっと口付けをする。彼の右手に指だけを絡め、思うままに。
頭の芯を痺れさせるような甘い吐息が、あの夜の日みたいに交錯する。
優しい沈黙が訪れる。
唇を離してしばらく見詰め合っていたら、彼の方が視線を泳がせて突然尋ねてくる。
「あっ、あのさ……ところで、ここって、どこかな? 凄く豪華な部屋に見えるけど……こんな小さくて凝った造りの部屋、四宝宮のどこにも記憶に無くてさ」
「私の寝室」
「はっ……へ??」
彼がここに運び込まれてからずっと、ラベンダーの精油を焚いて来た。〝貴方を待っています〟という、深い祈りを込めて。
きっと、もう大丈夫。だから明日からは何の香りにしようかな。糸杉のウッドチップなんかだと、リラックス出来て良さそうかも。
「あ、あれ? よく聞こえなかったような…………ごめん、もう一回教えて??」
「だーかーらー、私の、寝室」
「えっ? は、はあっ!? なっ、何で……!!」
直ぐに立ち上がろうとして、苦悶に呻いている彼を諫める。
「しばらくは絶対安静……そんなに心配しなくても大丈夫。ここが治療するのに一番適してたってだけなの」
半分……というかほぼ九割嘘だけど。実際私が、どうしてもここが良いって西の元老様に我が儘を言ったから。
一応、ちゃんと実利の面だってある。長い間かなり危険な状態だったし、毎晩毎晩私が魔力を注いで、自己再生を促し続けてきた。食事も出来ず、もしそれをしていなかったら、最悪助からなかった可能性だってある。
別に本当は場所なんてどこでも良かったけど、ここが一番安全な事に変わりはないし、彼を抱き締めながらそのまま寝てしまっても良かったので、ちゃんと私の負担軽減にも繋がっている。
お願いした時のエマ様には、ひたすら呆れた顔をされてしまったけど。〝あら、無駄に合理的ね〟の一言だけで、あっさり許可されてしまった。
「じゃっ……じゃあクラウディアは、どこで寝る、の……?」
「……? ここに決まってます。だって、私の部屋だし」
「まさか…………同……衾?」
今度は動き出す前に、いつもみたいに両手を彼のお腹に回しながら頷いておく。
「ちょっ、それは、流石に──!!」
「もう、今更何言っているの?? もう十日以上はこうして寄り添って一緒に寝てるんだもん。全然気にしなくて大丈夫」
ついでに魔力による再生補助の件も手短に説明しておく。
最初は驚きと怪訝さの入り乱れた表情だったけれど、話を聞くに連れ、生死の分水嶺だったかもしれないと知り、別の意味で複雑な表情に置き換わって行く。
そもそも時折うっすらと覚醒していたのに、その記憶すら残っていない程の重症だった訳で。出血に加えて打撲も酷く、最初の方なんてずっと高熱に魘されていた。本人は少しの間倒れていた位の認識だったようだけど、やっと事の重大さを認識してくれる。
「まだしばらく絶対に動いちゃ駄目。だから、もう少しだけここで我慢してね? 私も終日ずっとここに居る訳じゃなくて、みんなと交代で看護してるから」
彼は反論の言葉を飲み込みつつ、渋々承諾しくれる。
「そう言えば、さっきから全然喉が渇いてないんだ。そんなに血を流して、ずっと寝ていたっていうのに……それも君の魔力のお陰かな? 本当に負担や心配ばかり掛けてごめん…………とにかく、早く治さないと」
「え、ええっと……ううん、大丈夫。気にしないで?」
今度は私の方が言葉に詰まってしまう。彼が朦朧としていた時、何とかちょっとずつ飲ませて上げられていたからなんだけど。そんなに真剣に謝られると、ちょっと照れ臭い。
「あ、あのね、完全に寝ちゃってる時は口元を湿らせるくらいだったけど、時々ぼんやりと起きてて、飲んでてくれたの」
メイドさん達は水差しを使っていたようだけど、私だけの時はこっそり口移ししていた。その方が嚥下させる感覚が掴み易かったし、薬草も同じようにあらかじめ咀嚼した物を飲ませる事が出来た。
「そう、だったのか……全然覚えてないよ……」
他のお世話は、流石に止められてしまい、任せ切りだったけど。私は時々床ずれしないよう、彼の身体を動かしたり、時間の許す限り、彼の手を握って祈ったり。
とにかく毎日気が気じゃなくて、彼が倒れてからずっとお稽古などは殆どサボってしまっている。唯一、〝偶の儀式〟だけはちゃんとこなして来たけど、本当に、ただ見守っているだけの日々。そんな止まっていた時間が、ようやく動き出してくれる。
────あ、そうだ。
夢の坩堝から抜け出す前に。アゼルさんには一つ大事な話をしておかないと。固形の食事はしばらく無理だろうとか、そんな詰まらない事ではなくて、もっともっと、大事なお話。
「あっ、あの……凄く……言い難い、事なんだけど…………」
「……何? もうこれ以上迷惑は掛けたくないから、遠慮せずに言って? そう言えば誓いの儀で、〝これから隠し事は一切無し〟っていうのも入れておけば良かったかな」
寄り添ったまま。思い切り深呼吸してから告げる。
「…………看護してくれるメイドさんの事、絶対絶対、好きになっちゃダメだからね!?」
見上げた彼は、一瞬の間を挟み、小さく吹き出している。
「いっ! いってて……ちょっ、酷いなぁ、いきなり笑わせに来るなんて」
「ね、ねえ……! 私は、真剣に、お願い、してるの!! ねえってば!」
交代でお世話しているのは、お歳を召された方も多いけど、中には私やシンシアさんと同じ位の年齢の人だって居る。慎重に慎重を期すに越した事はない。
そんな人達に対して、これから動けずじまいで恥ずかしい格好を見せてしまう事に、アゼルさんはまだ気付いていない。それに、弱っている所に色々と親切にされたら、絶対クラっと行ってしまう。そうに違いない。
そうして、あれよあれよと言う間に……。
────だってそれは、私が直接身を以て経験して来た事だから。説得力は抜群の筈。
それこそ〝他の女性を絶対好きならない〟だって、あの宣誓には含まれていない。
「そんな風に口を尖らせてたら、折角の可愛い顔が台無しだよ……いや、その膨れっ面も何だか凄く可愛くて、困るんだけど……」
半身寄り添い続けたままの私の頭を、軽く撫でてくる。
「大丈夫。何の心配も要らない。僕はクラウディア一人で手一杯だし、他の人に目を向けてる余裕なんて、全然無いから」
その言い草は、もの凄く気に食わない。もっとやきもきしてしまう。だって……いずれ慣れてきたら、そういう余裕が出て来てしまうかもしれない。その可能性を、まるで否定出来ていない。
そうして彼が私の部屋を無事去ったのは、あれからたった二日後の事。安心して閨を共に出来た至福は、たったの二晩。
彼の方はどうにも場都が悪かったようで、大きな傷は上半身だけだし、利き手も全く問題無いからと言って、強引に出て言ってしまった。
やがて、新しい日々の歯車が回り始める──。




