シンフォニー 4譜 克復
最初に彼が覚醒したのは、二日後の事。しかしほんの少し目を開いただけで、再び昏睡してしまう。
その後も時折微かに目を覚ましてはいたけれど、まともに話が出来るようになったのは、あれから十二回の日の出を迎えた日の夜──。
結局あの護衛長を止められたのは、エヴァンス国ロナード朝からの一通の手紙。認めたのはその一人娘、王女たるシルメリア。アヴァリスが秘かに思いを寄せ、影で深い忠誠を誓っていた純人。
彼は四年程前に傭兵を装ってこの国に潜入し、その実力によって僅か一年足らずで夢弾きの偶の護衛長、即ち外敵向けの最高戦力に抜擢される。
目的は当然、ヌアザ帝国の要衝たるこの地を内部から玩弄し、大帝国の圧力に対抗して行くため。
その後は同じ亜人種たるシンシアさんを、蔑まれ続けている獣人族の実態を餌にして唆し、仲間に引き入れている。
しかし、四年という歳月の間に状況は一変する。ロナード朝は没落、唯一の世継ぎであった王女を帝都へと差し出す事で、ヌアザ帝国に対して絶対服従の立場を示す。
焦ったアヴァリスはシンシアさんを手玉に取って直ぐ行動に出たものの、王女は帝都に輸送される際、公国に向けて一通の手紙を発出していた。
〝全ては恙無く。私達は晴れて大帝国のご慈悲の下、自由です〟
そんな言葉で始まる手紙。
しかし、宛名が無い。恐らくこの手紙の内容が知れ渡り、何とか彼だけでも逃げ果せて欲しい。そんな彼女の切なる願いだったのだろう。
その結果、不穏分子を炙り出すのに少々手間取ってしまいました、と。西の元老たるエマ様からは、改めてそんな正式な報告と謝罪と受ける。
あの時エマ様がアヴァリスに対し、ロナード王家の封蝋印を見せ付けながら、
「とっても泣けるお手紙ね……悪いけど、先に中身は検めさせて貰ったわ」
そう告げたところ、彼は反逆の剣を下ろし、両膝を突いて深く項垂れたという。
そして皇太子──ベオウルフお義兄様の命によって、彼は先日帝都に身柄を移送される事となる。
一方のシンシアさんは、一年間の禁固刑に処され、投獄となる。本来なら死罪だったけれど、主犯ではなく、交戦時の手心もあったため、斟酌の余地が大きいと私から強く訴え掛けた結果。
それが今回の、たった二人だけの小さく儚い謀叛の顛末。
あの日の件は、全てアゼルさんが画策し、仕組んだシナリオだったと言う。唯一、彼自身が深手を負ってしまったのは、致命的過ぎる誤算だったようだけれど……。
後の詳しい事は、目覚めた彼から直接聞くと良いわ、という言葉を残し、エマ様は元老と言う立場によって、再び私の前には姿を現わさなくなる。
そうして何人かのメイドさん達と交代で、浅い眠りを繰り返す彼の看護をしていた所、ある宵の口、ようやく意識を取り戻したとの報せが入る。
彼からは、目覚めて直ぐ、〝少し二人きりで話をさせていただきたい〟という申し出があったらしい。だから私は、改めて自身の寝室へと足を向けている。
静寂な古天宮の廊下で、自身の鼓動だけが頭に響き渡る。
彼が何とか息を吹き返してくれた事、ようやく意識を取り戻してくれた事にほっと胸を撫で下ろす暇も無く、強い緊張がこの身を包む。
「…………一命を取り留めたようで、何よりです」
部屋に入るなり、私は出来るだけ感情を殺してそう伝える。声を聞いて上半身を起こし、こちらを見上げてくる彼の姿を見たら、様々な想いが交錯し、もう泣きそうになってしまっている。
どうやら致命傷になりかねない動脈を掠めていたようで、血を流し過ぎていた。助かる見込みは恐らく五分五分か、少し悪い位だろう、と。だから本当に……本当に良かった。
しかし今はもう、決して皇女という仮面を崩してはならない。
ベッドの傍らに立つと、彼はいつものはにかんだ笑顔を向けて来て、胸の奥が締め付けられる。そして事もあろうに、こちらの気も知らず、安穏と言い放ってくる。
「た……ただいま、クラウディア……え、えっと……その。随分待たせてごめん」
「──えっ?」
私はその言葉を、ただ私が理解したいように理解する。
それってつまり────。
思わず両手で口元を覆う。急に目頭が熱くなる。〝こんな言葉遣いでホントに大丈夫なのかな……〟なんて彼の小さな自省の声は、耳元を素通りして行く。
「いっ、いやいやいやいや、ちょちょ……ちょっと待って落ち着いて! 全然覚えてない、これっぽっちも覚えてないから! 手放しで喜ぶのはまだ早いから!!」
私の面持ちを見て焦った彼は、両手を振って一生懸命に否定し続けている。その様子も以前と全く同じで、余りに同じ過ぎて、もう殆ど落涙し掛けている。
拒絶めいた挙動に酷く困惑し、どう接すれば良いのか心が迷子になってしまう。
「あ、あの……実は、全然覚えてないんだけど、これまで起きた事は、ちゃんと全部知ってる。だから……きっと今の僕は、〝君の好きでいてくれたアゼル〟と何も変わらない。そう思って貰って構わないよ。これからも君の事、ずっと好きでいる。改めてここにそう誓うよ」
その言葉を聞いて、もう何もかもが限界に達してしまい、本当なら直ぐにでも彼の胸に縋ってしまいたかったけど、酷い怪我がどうしても心配で、触れる事は適わなくて。
最後の理性を振り絞り、ベッドの縁に突っ伏し、大声で泣きじゃくる。きっと廊下にまで響き渡ってしまっている。でもアゼルさんの前でなら、こんな無様な痴態を曝してしまったとしても、どんなに弱々しくても、一向に構わない。だって……彼なら絶対、優しくあやしてくれるって、もう知っているから。
予想通り、彼は無言で背中を撫でて落ち着かせようとしてくれる。それが今の私には完全に逆効果だって事に、気付かないままで。
たっぷりと夕食一回を平らげられる位は時間が経っただろうか。泣き疲れて嗚咽も絶え絶えになってしまった頃、彼が訥々と語り掛けて来る。
「僕がこの国に来たのは、君の少し前……って、この話はもうしたんだっけ。それで、万が一昨日の事を忘れちゃうなんて怖いから、来た時からずっと、念のため日記を付てたんだ。それである日の朝、書き掛けで机に突っ伏したまま寝てたみたいで、〝これを最初から読み返せ、今直ぐ、必ずだ〟なんて見覚えの無い走り書きがあって」
相槌を打とうとしても、鼻水の音にしかならない。
「気になったから、急いで全部目を通したよ。そうしたら途中から、素敵な皇女様の話ばかりになっていたんだ……全然知らない人の話なのに、読んでるこっちまでドキドキさせられっぱなしで」
少しだけ、彼の声が上擦って来ている。
「それで前日まで辿り着くと、あの夜の事がもの凄い量で書かれてた。〝これを読んでいる頃、お前はもう全て忘れてしまっているだろう。だけど、どうか頼む。もう一度彼女に逢って、好きになって欲しい。目一杯愛してあげて欲しい。彼女を孤独から救えるのは、きっとお前だけなんだ〟ってさ……我ながら凄く気障で、何て鼻に突く締め方なんだって、ちょっと笑っちゃったけど。凄く心を打たれたんだ」
彼が再び背中を撫で始めてくれる。愛おしさが伝わってきて、もっともっと愛おしくなる。
「劇作家も夢じゃないって思える程、真に迫ってた。今思えば、過去の自分の気持ちを有りのままに表現しただけだから、その本人が一番心動かされるのは、当たり前の事なんだけどね……それから、君を見掛けて、直ぐにまた、一目惚れして。本当にこんな綺麗な人が僕の事を? って……最初は全然信じられなかった」
──ああ、そうか……あの日。あの夜の少し後、凄く不思議そうな顔で私を見て来たのは、こちらからじっと見詰めてしまったからじゃなかったんだ。
泣き腫らして少し恥ずかしかったけど、何とか上体を起こして彼に顔を寄せる。片手で私を抱き寄せ、先ずは腫れた目元から、そして濡れた唇に、そっとキスしてくれる。
求めると、いつも予想以上に応じてくれるのが嬉しくなる。
だからつい、もっと深く追い掛けてしまう。
「初めてのキスなのに、何だか凄くほっとする……それで、何度か読み返して行く内に、ふと気になったんだ。シンシアさんが君の事を、余りに〝詳しく知り過ぎているな〟って────」




