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夢を奏で、貴方と沈む  作者: KC
第3楽章 誓いのノクターン
15/23

ノクターン 5譜 途切れる想い

「……(なんじ)(すこ)やかなる時も、()める時も、喜びの中に有る時も、悲しみに暮れる時も、いつ如何(いか)なる時に()いても、クラウディア=フォン=ミュース(・・・・)を妻として(うやま)い、(いつく)しみ、(なぐさ)め、(とお)()(とお)()の果てまでも、その身を深く捧げ、愛してくれると、誓いますか?」


「──〝誓います〟」



 どうして恋は、いや、彼は、こんなにも私を意気地無しにしてしまうんだろう。仕上げはこの指輪を彼の指に()めるだけなのに。それで全て〝丸く収まる〟というのに。


 左手を小さく掲げ、差し出してくる。



 ネックレスのチェーンから指輪を外し、差し出された指へと近付ける。


 手が震えて来てしまう。


 〝今ならまだ留まれるだろう?〟私の中で悪魔がそう(ささや)く。


 ピリピリと腹の底が痛くて、どうしようもなく苦しくて、息が出来なくなる。



 〝どうしてこんな事をしているの? 彼はシンシアさんじゃなくて、()を愛してくれるって誓ったのに〟。


 そんな戸惑いが渦巻く。


 でも、それが怖い。私を愛していてくれるという事が、どうしようもなく怖いんだ。


 純真な白薔薇の中で、純真とは程遠い、こんな嘘(まみ)れのやり取りをして。(かがり)()のパチパチと弾ける音が、やけに私を(おど)かしてきて。




「…………凄く顔が青いけど、大丈夫?」


 制止させられそうになったその瞬間。


 弾かれるように彼を手を取り、とうとうその〝裏切り〟を実行する。



 指輪は彼の薬指に収まる。


 指の太さが違って、第二関節の手前までしか入らなかったけど、これでもう充分。


 まるで自らの胸にナイフを突き立てたかのような、燃え上がるような後悔が私を襲う。




 気が付くと、先のキスの時とは段違いの、更に大粒の(しゅう)()が彼の顔に降り(そそ)いでいる。


 大好きなアゼルさんの顔が、闇に歪み、夜に溶けて、消えて行ってしまいそう。だから急いで、私の顔を両手で覆う。


 やがて無様な、情けない()(えつ)だけが辺りに()(だま)し始める。




 彼は最初、それを感極まったものと見倣(みな)してくれたのか、背中をゆっくりとさすり、落ち着かせようとしてくれた。


 だから──だから早く、泣きやまなくては。向日葵(ひまわり)みたいに真っ直ぐな笑顔を彼に向けて、安心させてあげなくては。


 何度も何度も涙を拭っているのに、もう(ひび)の入ったワイングラスのように、(しずく)が止まらない。



 ああ…………あの口付けに、幸せなんか感じるんじゃなかった。


 お母様の言いつけなんか守らず、もっと張り付いた笑顔の練習をしておくべきだった。


 大好きな人との〝さようなら〟さえ、今は我慢しなくちゃいけない。


 そんな風に考えたら、また飛び切り弱虫な情動が胸の奥から止め()なく溢れて来てしまう。




何か(・・)……したんだね(・・・・・)?」


 (しか)り付けるでも無く、他愛のない悪戯をした子供に対し、ただ事実だけ確認するように。その優しく温かい慈愛の声が、私の心を更に深く(えぐ)って来る。


 彼自身、()(てつ)も無く嫌な予感がしていて、きっと不安で一杯だろうに。


 両目を(こす)りながら、亀裂の入ってしまった感情をどうにか塞ごうと、精一杯首を振る。何とか〝違うの〟って伝えなくちゃ。




「──たった今、誓ったばかりなんだ、クラウディア。君の事をずっと(うやま)い、(なぐさ)めてあげるって。それに、自分に嘘を()くのだけは絶対に駄目だ。だから……包み隠さず、その辛さを僕にも少しだけ分けてくれると嬉しいな」


 お母様みたいな事を言いながら、半ば強引に私を抱き寄せ、目尻にキスされる。


「だって、ほら、凄くしょっぱい(・・・・・)。テオドアさんに聞いたんだ。悲しい時の女の涙は、(こと)(さら)しょぱいぞって。嬉しい時のは、ただの水みたいだぞって」


 彼の上に(またが)ったまま、ひたすら頭を撫でられ、あやしてもらう。


 (わざ)と子供みたいな態度を取って、彼の関心を引こうと頑張った事は、今までにも沢山あったけど。この体たらくでは、本当にただの子供でしかない。


 余計に(みじ)めに思えてきて、心が張り裂けて行く。




 これからはこの途方も無い痛みを、孤独を、彼無しの一人きり受け止めて行かなければならない。


 少し前までは、〝ちょっと寂しいな〟位だったのに。




「お願いだ、話してよ…………クラウディア」


 ああ、駄目だ。横恋(よこれん)()の誤解が()けた時、最後はせめて幸せな気持ちで彼を送り出そうって、心に決めていたのに。全部隠し通したままで終わらせようって、決めていたのに。


「ねぇ、クラウディアってば」


 それ以上、優しい言葉で私を甘やかさないで。私を弱くしないで。


「大好きだよ、クラウディア。本当に……本当に君の事を心から愛している。僕の事、そんなに信用出来ない? 全部君と一緒が良い。どんな苦しみや悲しみも、一緒が良いんだ。喜びも悲しみも、全部二人一緒に……だからさ、今のその悲しみをせめて半分、半分だけ僕に分けて欲しいんだ」


 そうか、半分。半分だけ(・・・・)なら、


 そうして私の作り上げた(うつ)ろの仮面は、目元だけを残して()(ざん)に砕け散る。




「…………忘れちゃうの」


 彼の胸に顔を(うず)め、(ささや)く。


 続きは、催促(さいそく)してくれない。




「明日にはもう……全部忘れちゃうの。出会う前からずっと好きでいてくれて、私からも大好きになって。でも……でもね、もうさっきの誓いも、今の想いも、全部全部、明日には消えちゃうの。消えて無くなっちゃうの…………」


 認めたくなかった事実を、自分にさえ隠していたそれを、ぐずりながらようやく鳩尾の底から引っ張り出す。


「な……! それは一体、どういう……琴切りの指輪は、精々今日の記憶を明日に持ち越せなくなるだけなんじゃ…………」




 彼の動揺に注意を()けないまま、気付けば滔々(とうとう)と打ち明けてしまっていた。エマ様から聞いた、漏らしてはいけない大切な秘密を。


 そして何故、私がそれを選んだかを。





 最初にこの場所に、白薔薇の園にやって来た時は、一時(いっとき)の思い出を作って、全てを諦めようとして。


 想いが通じ合っていると悟ってからは、この想いが、幸せが、少しずつ崩れていくのを想像する日々が、やっぱり凄く怖くて。辛くて。


 貴方を待たせ続ける日々に、どうしても耐えられそうになくて。



 そんなの、ただの臆病で、不甲斐(ふがい)無いだけ。無責任なだけ。そうして泣きじゃくりながら、ただの身勝手で、彼に対して本当に酷い事をしてしまったと、改めて自分自身を激しく責め立てる。




 やがて静寂が欠伸(あくび)をし始めた頃、気付けば彼に寄り添って、その腕の中に沈んでいた。涙は全て、ぽっかりと空いた自身の胸の()(くう)へと落ちて行く。


「────君が……君がそう望んだんだね…………やっぱり、僕が困らせてしまっていたみたいだ……」


 絶望と()(かい)(にじ)む声で、焦燥感を必死に押し殺している。


 ただ私が裏切っただけなのに。それを責める事すらしない。そんなの、優しさを通り越して、本当にただの甘やかせだ。心の中でそんな風に彼を非難している自分に、辟易(へきえき)してしまう。



 (かか)えた私を(ゆる)く解放し、再び唇を繋ぐ。


 こんな時でさえ、不思議と心地好いんだなって、ぼんやりと考える。


 ああ、そんなに名残惜しそうな顔をしないで。その顔が、私の中の最後の貴方になってしまうから。


「そっか……僕達は、出会わなかった事になるんだ……」


 自らの指輪を天に掲げ、無理矢理自分を納得させようとしている。




「…………うん(・・)


 本当は、少し違う。半分しか正解じゃない。




「でも僕は、きっとまた直ぐにクラウディアの事を大好きなっちゃうよ。だって、今の仕事はそのままなんだから」


 見詰(みつ)め合うと、(ほの)かに苦笑してくれる。私は今、どんなに(けが)れた表情をしているのだろう。


「でも……今度はこんなにも辛くて、重い決断を君がしなくても良いよう、最初の頃みたいに、僕はずっと影で見守るだけにした方が良さそう……かな?」


 また私を深く抱擁して。


 少し(おど)けて、きっと凄く辛いだろうに、私を励まそうとしてくれている。


 あろう事か、未来の私の心配までしてくれている。


 身勝手な私なんかと違って、包み隠さず相談までしてくれている。




 私はただ、貴方をいつまでも待たせる自分が許せなくて、その間に心変わりされてしまうのがどうしても怖くて、貴方を深く傷付けてしまっただけだというのに。


 貴方の想いを、無下(むげ)にしてしまったというのに。


 でも、もうそんな未来(・・・・・)、二度とやって来ない。彼との恋は、絶対に再来しない。


 だって……私はずっと貴方だけを想い、貴方を()け続けるんだもの。貴方からの他人を見る眼差しに、耐えられそうにないんだもの。





「ひょっとして、まだ何か隠してる(・・・・・・・・)?」


 心臓がズキリと跳ね、(とっ)()にキスで誤魔化してみる。逆効果だったと気付いたのは、唇が触れ合ってからだった。




「まさか……君の方は(・・・・)忘れない(・・・・)?」


 首を横に振らせないよう、彼は私の顔を両手で挟み、真剣な眼差しで見詰(みつ)めてくる。


「聞いた事があるんだ。あの指輪は、〝(ゆめ)()きの(ぐう)には効果が無い〟って……」


 何とか目を泳がさずには済んだけど、瞼を下ろし、言葉に詰まってしまう。頬に触れる彼の手は震えていて、嘘や言い訳を全て()き消してしまう。


 〝半分だけの(ばく)()〟に食い止める妙案を、必死に頭の中で模索する。




「ごめん、時間が無い」


 いきなり引き()がされ、彼が立ち上がっている。


「絶対に──なんて言い切れない。だけど、やっぱり君の事を忘れたくなんか無い。どうしても嫌なんだ。僕だけなら、僕が何とか(・・・・・・)すれば良い。だから……ごめん。君の決断に逆らってしまう暴挙を、どうか(ゆる)して欲しい」


 へたり込んで座っていた所に、両肩を強く掴まれる。寝室に押し戻されたあの日よりもずっと強く、痛い位に。



「明日直ぐにだとか、全部だとか。そんなのは到底無理だろうけど……だけど絶対、絶対このまま終わらせない。終わらせやしない。だから……少しの間、待っていて欲しい。もしも……もしも(あらが)う事が出来たなら、その時は、二人だけの秘蹟(サクラメント)、絶対に守って貰うから」


 真っ直ぐな瞳で私にそう告げて、足早に暗がりへと消えていく。




 その言葉は、正直とても嬉しかった。凄く。


 でも……でもね、全てはもう手遅れなの。あのエマ様にだって効いてしまう代物。もうどうしようもならなくて、終わりの朝はもう直ぐそこまで迫ってしまっている。


 私はただ茫然(ぼうぜん)()(しつ)で、自ら犯した過ちだけをこの両手の中に深く握り締めていた。


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