ノクターン 2譜 魔力交流
靴のサイズが合わないのを察してか、しばらく彼が手を引いて先導してくれる。名残惜しく、何度か振り返ってみる。
「あ~あ、折角だからちょっと触ってみたかったな……雰囲気がどことなくアゼルさんに似てる気がして、凄く可愛かったのに……あ、でもあのココちゃんの方が、断然頼り甲斐がありそう」
「ねえ!? 人を犬未満みたいに言わないでくださいよ! しかもあいつ……メスですよ!?」
彼の背に女装する姿が即座に重なって、つい吹き出してしまう。
「ちょっ、何笑ってるんですか! クラウディア様って、意外と毒舌ですよね……全くもう」
こちらを見て最小限の囁きで苦言を呈しつつ、満更でもなさそうに笑い返してくれる。
素直に笑い合いたいのに、二つの奇妙な違和感で、手放しに肯う事の出来ない自分が居る。
果たして私は、こんなにも皮肉的で、当て擦りな人間だっただろうか。〝貴女は本当に感情を表に出すのが下手ね……〟なんて、いつもお母様から心配されていた位なのに。
以前、お母様から〝人を笑顔にする笑顔って、実はとっても難しいの〟と教わった事がある。
笑い過ぎは下品で疎まれてしまうし、時に顰蹙を買い兼ねない。かといって愛想笑いだけでは、無闇に敵を作り、誰とも親睦を深められない。
嫁入教室では、そう言い聞かされるのだという。
──貴女はあの人に似て、少し気丈過ぎるから……余り笑ってくれないのが、ちょっぴり寂しいの。全然甘えてもくれないし。もっと思い切り甘えたり、感情を外に出したりしても良いのよ? でも、楽しくない時に無理して笑うのだけは、絶対に駄目。
そんな風に諭される。
果たしてさっきの私は、下品では無かっただろうか。彼から見て、一体どんな姿に映っていたのだろうか。想像すら出来ない。
手を繋いだまま、木立と木立の間を抜け、薄暗がりと薄明かりの境目へ。
「…………アゼルさん、だから……かな」
自嘲気味かつ自問自答のそれは、敢えて遅れて、足音に掻き消されるタイミングで吐き出してみたものの、あろう事か彼に届いてしまう。
「実は僕も、クラウディア様にだったら全然平気です。寧ろあんなに楽しそうに笑ってくれる位なら、もっともっと言われたい……って、いや、決して詰られて喜ぶ変態とかじゃなくて! 気を許して貰えてるみたいで、凄く嬉しいんです」
握っている左手にほんの少しだけ力を篭め、彼の言葉に応じる。
「ねぇ、あそこにも行ってみたい」
頭を空っぽにするよう努めていたら、不意に大きなガラス張りの建物──温室が視界に入り、指差す。
以前遠目に見付けた時、太陽の下キラキラと輝いて、周辺に咲く薄紫のネモフィラがまるで絨毯みたいで、何だかとても綺麗だったのをよく覚えている。
「そう……ですね。少し騒ぎましたし、念のため短時間、身を潜めておきましょう。確か鍵も掛けられていなかった筈。外から目立ってしまいますので、中で明かりは点けられませんけど」
「あ……それなら私に任せて」
二人揃って堂々と、真正面から忍び込む。青臭い空気が充満しており、上背のある樹木も乱立していて、星月の明かりは余り届かず、通る道すら覚束無い。
手短に七小節と三符だけ、小さく精霊韻を諳んじ、手の平より少し大きい光球を幾つか召喚する。これでもまだ少し目立ちそう。
「ごめんなさい、ちょっとだけ手を離して貰って良い?」
「そっ、そう言えばずっと……! 済みません」
少し取り乱し過ぎではという勢いで解かれてしまい、彼の温もりが消えて行く。ちょっぴり悲しい。
スポンジを潰すようにして両手で光球を圧縮し、解放する。光は極小の砂粒みたい砕け散って、手の平の上に降り積もる。
加えてタンポポの綿毛みたいに小さく吐息を吹き掛け、辺り一面へと散らして行く。遠い星々よりもずっと脆弱な光だったけれど、これなら外から気付かれず、しかも流れる夜の空を歩いているみたいで、我ながら凄くロマンチックだと思う。
「とっても神秘的ですね……それにしてもウィスプに直接触れられるだなんて、全然知らなかった、何だか面白そうですね」
「じゃあ、一つだけやってみる? 魔力で触るから、少しコツが要るけど」
最後のそれを手の平に乗せ、彼の方に差し出す。ランタンを床に置いて、一生懸命手を合わせているけど、光の中を素通りして行く。
「あ、あれ? 結構難しいな。全然感触が無い」
「……私、潰し方以前の問題の人って、初めて見たかも。そんな風だといきなり魔力生命体に襲われちゃった時、どうするの?」
責める意図も無く、ただ素朴な疑問。
「そっ、そこはあれです、専用のエンチャント装備一式を支給されてますので。全然問題無しです! それにしてもおかしいな……魔力は〝無くはない〟って言われてたんですけど」
やけに言い訳がましいのを無視し、彼の手に自身の手を重ね、一緒になって潰してみる。薄く魔力を流す時、ぞわぞわとくすぐったいような、痺れるような、名状しがたい心地好さがお腹の中へと遡ってくる。
「ありがとうござます。これ、ほんのり温かくて、柔らかくて、すっごく気持ちが良いですね──って、どうなさいました? ちょっと暑かったです?」
そんな必死に、真っ赤に染まったであろう私の顔を覗き込まないで欲しい。
〝何だかやらしい〟だなんて、口が裂けても言えない。
しかも間違いなく、〝え? どこが!?〟なんてカウンターが飛んで来る。絶対に。もしそんな事を訊かれたら、恥ずかしくて死んでしまう。
精神相性の良い人と魔力交流をすると、不思議な錯覚に陥る事があるという。聞き及んではいたものの、滅多に起きない現象の筈だったから、すっかり油断していた。
もし同性同士なら、お互いの身体が入れ替わったような感覚に。異性となら、深く相手の魔力に包み込まれているような感覚に陥るらしい。
特に異性とのそれは、お互いが裸で抱き合った時の心地好さに酷似すると言われている。だから彼の感想は、生まれたままの私がアゼルさんを深く抱擁した時の感想……という事になる。
ウィスプを崩す時なら、メレンゲみたいにちょっぴりザクザクしてて、小気味の良い感覚の筈だから──。
恐らく彼は、この事を知らない。若しくは、全然気付いていない。だから詳しく説明を求められても、一切答えられない。
「深夜だったし、今なら温室でも涼しい位とばかり……さっき急いでしまったからでしょうか。直ぐ気付かず、本当に済みません。少し座って、休憩されますか?」
ふと顔を上げると沢山話し掛けられている。
「うっ……ううん。ぜっ、全然大丈夫。長くは持たないし。早く行きましょ?」
初めての経験に、さっきからずっと胸の中で心臓がうるさい。きっと私が皇の魔力の血統だから、ほんの少し強めに、過敏に感じてしまったに違いない。
少なくともこの先、軽率な魔力交流は絶対にしないと心に誓う。特に、彼とは。
私だけの一方的なトラブルを除き、夜の温室散策は至って平和で、落ち着いていた。
私は植物の知識がさっぱりだったから、ひたすら当てずっぽうの憶測を言うと、彼は意外と物知りで、色々と教えてくれる。
あの変わった形の果実はそのままでも甘くて美味しいけど、肉と煮込むと柔らかくさせて良いだとか、あっちは葉っぱも食べられる根野菜で、一緒にシチューにすると味が染みて美味しいだとか。
気が付けば、私はまた堪えきれず吹き出していた。
「あ、今何を考えたか当ててみましょうか? 〝凄くロマンチックなのに、何で買い出しの時みたいな話題ばかりなんだろう〟でしょ? 実は僕もさっきからずっと同じ事考えてて、時々笑っちゃいそうでしたから」
そう言って破顔し、胸を張って誇っている。
「うー……当たり」
実は、半分だけしか当たっていない。何故なら、それは私がこっそり話題を誘導をしていたから。残りの半分は、彼が余りに想定通りに乗っかって来てくれて、つい可笑しくなって来てしまい。
もしああやって誘導していなかったら。
この静かな雰囲気の中、ずっと手を繋いで黙って歩いていたら、きっと私のか弱い乙女心など一溜まりも無かっただろう。今夜はずっとドキドキしっぱなしだったし、先の魔力交流で、更に強く意識もしてしまっていたから──。
暗がりに鎮座していた巨大な花時計の存在にアゼルさんが先に気付き、さらりと提案してくる。
「……もう今日は良い時間みたいですね。ではそろそろ戻りましょうか?」
時計の付近には、頭が眩む程の馥郁たる香りが充満している。宮殿に所々飾ってある花々は、恐らくここで育生されているのだろう。
針だけを注視しながら、私は小さな声で懇願する。
「────お願い、もう一つだけ、行きたい所があるの」




