ノクターン 1譜 箱庭の自由
「ね、ね、次はどこに行こっか!?」
ついついはしゃいだ声になってしまっている。
あの護衛さん、アゼルさんが夜の寝室付きに戻って来てくれたのは、丁度あの日の翌日。お願いもしていないのに、また庭師のお孫さんの衣装を借りて来て、私に貸してくれた。
やっぱり男の子の服って、凄く動き易い。
今日は最初からひっきりなしに彼を連れ回し、石畳とは違う柔らかな芝を踏み、冷たく澄んだ夜の息吹を胸一杯に取り込んでいる。
「あ、この辺りではあまり大きな声を出さないで…………シーッ、シーッ!」
何だか緊迫感の無い声色で、一生懸命窘めてくる。
衛兵さんらの巡回のタイミングなど、彼が全て把握していてくれているから、終始安心した気持ちで居られる。
こうして先んじて注意もしてくれているから、私は何も躊躇わず、大きな一歩を踏み出す事が出来る。
その夜の始まりは、彼から、とっておきの場所へ連れて行ってあげましょうと自慢げに告げられてからだった。見ると珍しく糊の利いた襟付きシャツを着用しており、少しだけお洒落に気を遣ってくれたような気がする。
四宝宮の敷地は小高い丘の上にあって、存外広く、場所によっては市街地が一望出来るような立地。
だから何となく分かってはいたれけれど、本当に想像通り。ランタンを足元に置き、沢山の人の住みかを二人肩を並べて見下ろして行く。
「夕べ来たら、とても綺麗な景色だったんです…………本当に済みません」
そう言って頭を掻きつつ、酷く悄気返っている。
「────ううん、全然そんな事無い。凄く綺麗だし、とっても嬉しい」
本当に、心からのお礼。
もう皆が寝静まっている中、漆黒の窯の底に生えた黴のように、点在する僅かな灯りだけが見える。人によっては、肝が冷えて不気味に感じられる位に。
でも私には、何だか素敵な景色だなって思えた。
だって、私の守るべき人達が暮らし、日々眠っている、大切な場所なのだから。
次こそはと彼が意気込んで案内しくれたのは、離れの地下にある特別な書庫。普段なら夢弾きの偶ですら気軽に踏み入れる事の出来ない、禁足地。
一体どうやってここの侵入の手筈を調えたのだろう。
「狭いですけど、物々しくて圧巻ですよね……でもたまには曝書してやらないと、直ぐ駄目になっちゃいそう。敢えて駄目にしたいとか……いや、それならこんなに沢山取っておかず、纏めて焚書にでもしちゃえば…………」
後ろでぶつぶつと薄気味悪く呟きつつ、あれこれ思索している。正直、昔からお化けや閉所は苦手な方だったから、少し身を硬くしてしまう。
鼻腔をくすぐる仄かな薬品の残滓に意識を傾けつつ、
「確か一年に一度は干してたと思う。秘密裏に、厳重に監視しながらと思うけど……それとこの部屋も、定期的に燻蒸してる気がする」
「そうだったんですね……それは知らなかった!」
彼は終始目を輝かせていて、私まで釣られて胸が躍って来てしまう。
そうしてたった数十歩、書庫内を一巡し終える。
ふと視線の脇に、存在感のある装丁──見えたのは背表紙だけだけれど──があって、無用心にそのまま手に取ってしまう。表紙は重厚な鞣し革で、凝った造形の隅金まで付けられており、昔の彩飾写本か何かだろうか。
彼がランタンを近付けて来て、いきなり手元を覗き込んで来る。さっきから色んな意味でドキッとさせられっぱなしで、ちょっと悔しい。
「そっ、そう言えばアゼルさんて……デネブ派? レグルス派?」
咄嗟の質問で焦りを隠す。つい気障っぽく帽子の鍔も下げてしまった。
「よくぞ聞いてくれました、実は僕、両方ともなんです」
凜と輝く声でそう答える。
世界的に主流となって来ている二つの学派、それは人体からの魔力奔流の有限性と無限性の観点で主張が大きく異なっており、前者が有限で、後者が無限を礎する。
だから両方を支持するなんて、普通なら絶対に考えられない。
「きちんと話すと長くなってしまいますけど……その二つの体系は、きっと本質的には全く同じなんです。唯一、自分が一人とは限らない、ただそれだけの違いで。通常個人で閉じた魔力は、実は〝外の世界の自分〟と繋がっていて、大きな視点で見ると緩く循環している。だから見方によっては有限に見えたり、無限に見えたりするだけ……なんじゃないかなって」
余りに突拍子も無い話だったので、つい彼の方を向き直ってしまう。そして、突然猛烈な後悔が襲い掛かってくる。
顔が、近い。
思っていたよりも、ずっとずっと。
「小さな頃に思い付いて以来、ずっと〝アゼル学派〟の立ち上げを夢見た位で。僕って昔から、本の虫だったんですよね」
静かに、でも何だかいつもより力強く語っている彼の瞳には、私だけが映っている。
「そう……だったんだ。だからあんなに体力や腕力が無かったのね……」
慌てて視線を下げつつ、半ば独り言つ。
「そう、そうなんですよ! だから護衛の登用試験でも色々と細工して……って、いっ、今の無し! 今僕は何も言ってないですからね?? あ……それってひょっとして〝魔術・魔法概論〟かな? 何だか凄く年代物に見えますね!」
私なんかよりも露骨に話を逸らして来たと思ったら、いきなりランタンを押し付けて来て、代わりに手元のそれを引ったくられ、交換する形に。
「……あれ、これって種本かな。だとしたら、きっと多数普及している異本の原典ですね。こんなにも貴重な代物をこっそりと隠しておくだなんて、とても良くないなー。何だか良からぬ意図を感じてしまいますねー」
棒読み気味に誤魔化しながら、慌ただしくページを捲っている。そして段々言葉少なに、内容にのめり込んでしまってるみたい。
そうして、擦れる紙の音と共に、短い戯曲程の緩やかな時間が過ぎる。時折覗き込むと、格式張った古語で、とても難解そうなのに、滞り無く読めているようだ。
彼の目の動きに合わせ、その都度、ランタンの位置を微調整して行く。
「十世十夜……まさかこれって、比喩じゃなく、本当に…………」
十世十夜の果てまでも。とても有名な一節で、十の世界と十の夢の果てにあるとされる、無限の世界。転じて、永遠に、ずっと貴方と居たいという、使い古された恋文の言い回し。
「あっ、すっ、済みません────」
直ぐ隣で、こちらがずっと見惚れている事にさえ気付いていなかったようだ。
「ああ、僕の方がつい夢中に……神学や魔学など色々と学んでるって聞いてたから、きっとここも気に入って貰えて、楽しんでくれるかなって……」
敢えて口を尖らせ、不服そうに嘯く。
「ホント。さっきからずっと一人で読み耽ってるんだもん……どさくさに紛れて私に明かり役までさせて。もうそろそろ出ましょ? また外の空気、吸いたいな」
でも内心、全く逆の気持ちだった。あの初めて見る真剣そのものな表情を、もっともっと間近で見ていたかった。
ドキドキし過ぎて、もう少し……本当に後少しの所で、突然その頬に口付けして、驚かせしてしまっていたかもしれない。
私に早く気付いて欲しくて。どこかの誰かさんみたいな〝素振り〟じゃなく、精一杯背伸びして。
ちょっぴり危ない所だったから、ひたすら背中越しに謝罪されると、何だか居たたまれなくなって来てしまう。
「…………ね、ね、次はどこに行こっか!?」
外に出ると、夢遊病みたいな浮遊感に、つい声が大きくなってしまっている。足取り軽い。
「あ、この辺りではあまり大きな声を出さないで…………シーッ、シーッ!」
点々と遠く見える篝火や、月明かりもあったから、彼はランタンを消していたというのに。突如として小さなハプニングがやって来る。
「うわっ!!」
振り返るとそこには、尻尾を振った中型犬に押し倒された彼が居て、顎の辺りをひたすら舐め回されている。
「ああ、こいつか……良かった。全然吠えないし、大人しい子なんです」
そう言って数回犬の頭を撫で、ポケットから取り出した小さな干し肉で上手く釣って引き剥がしている。わざわざこの事態に備えてくれていたのだろうか。
「今日は遅いし、もうこれだけだぞ? またな、ココ」
彼が小さく言いつけると、聞き分け良くお座りし、舌を少し出したままじっとこちらを見続けている。円らな瞳が月を映していて、とても可愛い。
「私も少しだけ触ってみて良い?」
余りに人懐っこそうで、番犬としては完全に失格そうなそれ。だからこそ、つい彼のように思えてしまい、妙に憎めない。
「いや、クラウディア様の匂いに慣れてしまうと多分良くない。それに、他のが寄って来てしまう可能性もある。一旦ここを離れましょう?」




