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第三話 死を歌うマンドラゴラ

第三話 死を歌うマンドラゴラ


 夜の雨は、硝子窓を爪で引っ掻くような音を立てていた。


 都心から離れた古い洋館――葛城蒐集館。


 西洋の呪物や宗教画、錬金術器具を収集した私設博物館であるその屋敷は、薄暗い森の奥に沈むように建っていた。鉄門の上には蔦が絡み、風が吹くたび、枝葉が湿った音を立てる。


「趣味悪いな」


 御子柴馨は傘を閉じながら呟いた。


 黒いロングコートの襟を立て、革靴の泥を軽く払う。今夜は深いワインレッドのネクタイを締めていた。煙草を吸いたそうな顔をしているが、館内禁煙の札を見て諦めたらしい。


 一方、蓮見柊は雨粒を肩に乗せたまま門を見上げていた。


 濃紺のハイネックニットに黒のチェスターコート。白い指先には植物標本用の革手袋を嵌めている。


「マンドラゴラ、ですか」


「嬉しそうだな」


「嫌いじゃありません」


「俺は嫌いだ。根っこが人型って時点で不吉すぎる」


 玄関扉が開き、年配の執事が青ざめた顔で二人を迎えた。


「お待ちしておりました……」


 館内は古い木材と蝋燭の匂いがした。


 天井の高いホールには、奇妙な仮面や動物の骨格標本が並んでいる。燭台の炎が揺れるたび、壁の影が生き物のように蠢いた。


「被害者は二階です」


 執事の声は震えていた。


「昨夜、“悲鳴”が聞こえたあと……」


「悲鳴?」


 御子柴が眉を上げる。


「マンドラゴラですよ。引き抜くと人を死に至らしめる叫びを上げるという……」


「それを本気で?」


「この館の主人は信じておられました」


 二階の扉が開く。


 瞬間、鼻を刺すような甘苦い臭気が漂った。


 香木、薬品、腐葉土。


 混ざり合った空気が重く肺に絡みつく。


 部屋の中央で、男が倒れていた。


 葛城玄道。五十八歳。呪物蒐集家として知られる富豪である。


 口元には泡が滲み、目は大きく見開かれていた。死の直前まで恐怖に晒されていたことが、その表情だけでわかる。


 その傍らに、“根”が置かれていた。


 奇怪な形だった。


 人間のように捻じれた胴体。細い腕。絡み合う脚。


 乾燥した肌色の表皮には、まるで苦悶する顔のような瘤まで浮かんでいる。


「うわ……」


 御子柴が思わず顔をしかめた。


「悪趣味な人形だな」


「人形ではありません」


 柊はしゃがみ込み、根を静かに観察する。


 その目だけが、異様なほど冷静だった。


「加工植物です」


「加工?」


「本物のマンドラゴラの根を削って、人型へ近づけてる」


 柊は細い指先で表皮を撫でた。


「切削痕があります」


 滝沢警部補が部屋へ入ってくる。


「お、いたか。どう思う?」


「死因は?」


「神経系の異常反応。だが毒物はまだ特定中だ」


「悲鳴でショック死、って話は?」


「マスコミは好きそうだな」


 滝沢は疲れた顔で溜息をついた。


「だが部屋は内側から施錠されてた。窓も閉まってる」


 御子柴が周囲を見回す。


 本棚には黒革装丁の魔術書。テーブルには食べかけの食事が残されていた。


 冷えた仔羊のロースト。黒パン。赤ワイン。


 銀皿の上で脂が白く固まっている。


「最後の晩餐にしては重いな」


「酒の匂いが強いですね」


 柊はワイングラスを持ち上げた。


 そのときだった。


 部屋の隅で、若い女がすすり泣いた。


「玄道様は……呪いを恐れてたんです……」


 深緑のベルベットワンピースを着た女だった。長い黒髪を緩く結び、指には古い銀の指輪を幾つも嵌めている。


「秘書の榊那智です」


 彼女は蒼白な顔で根を見つめていた。


「昨日、そのマンドラゴラが届いてから様子がおかしくて……」


「誰が持ち込んだんです?」


 御子柴が訊く。


「骨董商です。でも今朝から連絡がつかなくて」


 柊は根を持ち上げた。


 不意に、低い異音が響く。


 キィィィ――――――。


 耳の奥を針で掻き回されるような不快音だった。


 那智が悲鳴を上げる。


「いやっ!」


 御子柴まで顔をしかめた。


「なんだこれ……!」


 だが柊だけは無表情だった。


 彼は根を裏返し、小さな切れ目を見つける。


「スピーカーですね」


「は?」


「超音波発生装置です」


 柊は静かに装置を摘出した。


「恐怖を煽るための演出ですよ」


「じゃあ呪いじゃない?」


 那智が震える声で言う。


「当然です」


 柊は冷たかった。


「人間は、理解できないものを恐れる。だから簡単に騙される」


 滝沢が腕を組む。


「だが毒は?」


 柊は部屋を見回した。


 暖炉。香炉。薬品棚。


 そして、部屋の隅に置かれた奇妙な花瓶。


 黒紫色の花が活けられていた。


「これです」


「花?」


「ガスの痕跡があります」


 柊は花瓶の中の水を嗅いだ。


「神経毒性植物の抽出液。加熱されて気化した」


「つまり犯人は?」


「被害者を恐怖状態へ追い込み、正常な判断を失わせたあと毒ガスを吸わせた」


 御子柴が低く呟く。


「パニックで抵抗もできなくなる」


「ええ」


 柊は根を見下ろした。


「恐怖は、人間を簡単に壊しますから」


 そのとき、滝沢が部下から資料を受け取った。


「……骨董商、死んでる」


「え?」


「三日前に事故死だ」


 空気が変わる。


 御子柴がゆっくり顔を上げた。


「じゃあ、誰がこの根を届けた?」


 沈黙。


 雨音だけが窓を叩いていた。


 柊は、静かに根の断面を見つめる。


 その瞳だけが、氷のように冷えていた。


「この加工……妙ですね」


「何がだ」


「植物学の知識が異常に正確です」


 柊はぽつりと言った。


「まるで専門家が作ったみたいだ」



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