表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/14

第十話 ヴィラ・ボタニカの収穫祭

第十話 ヴィラ・ボタニカの収穫祭


 収穫祭の日、ヴィラ・ボタニカには笑い声が満ちていた。


 秋晴れだった。


 中央庭園には白いテントが並び、焼きたてのハーブソーセージや木の実のタルトの香りが風へ溶けていく。子供たちは花冠を被って走り回り、楽団の演奏が噴水広場へ柔らかく響いていた。


 だが、その賑わいの裏側で、蓮見柊は温室を見つめていた。


 巨大な硝子建築。


 陽光を受けて輝くその姿は、まるで巨大な棺のようだった。


「祭の日にそんな顔するなよ」


 御子柴馨が紙皿を差し出す。


 ローズマリー入りの串焼きだった。湯気と肉汁の香りが立ち上る。


 今日は珍しくラフな格好だった。黒シャツにダークグレーのジャケット。胸元にはサングラスを引っ掛けている。


 柊は薄いベージュのニットに黒のロングコートを羽織っていた。


「食べないんですか」


「お前まず自分の顔見ろ。死人みたいだぞ」


「元気です」


「嘘が下手すぎる」


 柊は小さく息を吐いた。


 昨夜から眠っていない。


 父の遺品。


 温室で見た白衣の影。


 そして、ずっと頭から離れない違和感。


「……御子柴さん」


「ん?」


「もし父が殺されたなら」


 柊は温室を見たまま言った。


「犯人は、ずっと植物園の中にいたことになります」


 御子柴の表情が消える。


 そのときだった。


 園内放送が鳴る。


『皆様、本日はヴィラ・ボタニカ収穫祭へようこそ』


 穏やかな声。


 植物園総支配人・相良隆臣だった。


 白髪混じりの髪を綺麗に撫でつけ、深緑のスーツを隙なく着こなしている。上品な笑みを浮かべ、来園客へ丁寧に頭を下げる姿は理想的な管理者そのものだった。


 だが柊は、その目を見た瞬間に理解した。


 冷たい。


 植物を見る時と同じ目だ。


 人間へ向ける目ではない。


「……あの人だ」


 柊が呟く。


「何?」


「父が警戒していたのは」


 御子柴が相良を見る。


「根拠は?」


「ありません」


「おい」


「でも植物は覚えてます」


 その日の夕方。


 収穫祭が終わりかけた頃、相良が二人を温室へ呼び出した。


「少し、お話ししたくて」


 巨大温室の扉が閉まる。


 電子ロックの音が、妙に大きく響いた。


 途端に、甘い香りが漂う。


 花の匂い。


 だがその奥に、微かな苦味が混じっていた。


 柊の顔色が変わる。


「……毒」


「さすがだ」


 相良が静かに笑う。


「君は本当に優秀だ、柊君」


 温室の空調が低く唸る。


 見上げれば、天井の換気口から白い煙がゆっくり広がっていた。


「おい!」


 御子柴が扉へ駆け寄る。


 だが開かない。


「無駄ですよ」


 相良は穏やかだった。


「これは植物毒を応用した新型です。呼吸器から入り、数分で神経を麻痺させる」


「……あなたが全部やったんですね」


 柊の声は静かだった。


「第一話から」


「“やった”とは失礼だな」


 相良は巨大なシダの葉を撫でる。


「私は可能性を与えただけだ。人間は、少し知識を与えると勝手に堕ちる」


「人を殺しておいて」


「植物毒は自然淘汰ですよ」


 相良の目が、狂信者のそれへ変わる。


「植物は人間より優れている。奪い合わず、ただ生きる」


「だから人間を排除する?」


「弱い種は滅びるべきだ」


 御子柴が舌打ちする。


「イカれてる」


「そうかな?」


 相良は微笑む。


「君の母親も、温室事故で死んだそうだね」


 御子柴の顔色が変わる。


「……なんで知ってる」


「あれも植物毒の実験だった」


 空気が凍った。


 御子柴が殴りかかろうとする。


 だが柊が腕を掴んだ。


「待って」


「離せ!」


「吸ったら危険です」


 毒ガスが濃くなっていた。


 喉が焼ける。


 肺が軋む。


 だが柊は、温室の植物たちを見ていた。


 葉の形。


 配置。


 湿度。


 そして換気。


「……そうか」


 柊が呟く。


「御子柴さん、散水ホースを」


「は?」


「早く!」


 御子柴がホースを掴む。


 柊は次々と植物へ水を浴びせ始めた。


 シダ。


 大型観葉植物。


 薬草。


 葉から大量の水蒸気が立ち上る。


「何してる!」


 相良が叫ぶ。


「蒸散作用です」


 柊は咳き込みながら答える。


「湿度を極端に上げれば、空気中の毒性濃度は変わる」


 さらに彼は棚から植物抽出液を掴んだ。


「これは……」


「拮抗成分です」


 液体を空調口へ投げ込む。


 刺激臭が弾けた。


 相良の顔が初めて歪む。


「君は……!」


「植物は、毒だけじゃない」


 柊は静かに言った。


「命を守るためにも使える」


 その瞬間だった。


 巨大な樹木の根元へ視線が止まる。


 不自然な盛り上がり。


 異常な根の膨張。


 十年間、そこだけ成長が歪んでいた。


「……ここだ」


 柊の声が震える。


「父さん……」


 御子柴が息を呑む。


 相良が笑った。


「さすが親子だ」


「あなたが殺したんですね」


「冬真は愚かだった」


 相良は穏やかに言う。


「植物の力を恐れていた」


「違う!」


 柊の声が初めて強くなる。


「父は、人間の欲を恐れてたんだ!」


 沈黙。


 温室の植物たちが、湿った空気の中で揺れている。


「植物は人間より美しい」


 相良は静かに笑った。


 柊は、その目を真っ直ぐ見返す。


「だからこそ、人間の醜さに使ってはいけないんです」


 遠くでサイレンが聞こえ始めていた。


 雨が降り出す。


 硝子天井を叩く音が、温室全体へ広がっていく。


 数日後。


 ヴィラ・ボタニカは静けさを取り戻していた。


 秋の午後。


 再開された温室には柔らかな陽光が差し込み、新しい花々が静かに咲いている。


 御子柴はベンチへ座り、缶コーヒーを飲んでいた。


「……まだ植物は嫌いだ」


 隣で、柊は植木鉢を弄っている。


「でも毎回来てますよね」


「お前を放っとくと、食虫植物に食われそうだからな」


「人間は消化できません」


「そこじゃねえよ」


 御子柴は呆れながら笑った。


 柊も少しだけ笑う。


 温室の硝子越しに、午後の光が揺れていた。


 植物たちは今日も静かに呼吸している。


 何も語らず。


 ただ、真実だけを根の奥に残しながら。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ