九 キスして、目を開けて④
「これ、今日の差し入れだって。」
交代で、今日もまたゼリーをもらった。
ちょうど体が火照っていたので、さっと開けて急いで飲んだ。
少し味に違和感がある気がしたけれど、色々なものを食べたせいかしら。
薄暗い中、お客さんたちに飴を渡していく。
「ふぁ・・・」
少しあくびが出てしまった。
よく眠れたと思っていたのだけれど、疲れが残っていたのかしら。
頭の中で、警鐘が響く。
何かおかしい。
こんなに、急に眠たくなるなんて。
目が開けられない。
足に力が入らない。
こんなに、暗かったかしら。
早く起きろと、頭の奥から声がする。
どこかへ運ばれて行くような感覚。
「すみません、ちょっとベッドお借りできますか?」
この声は・・・
「どうやら、無理をしていたようで、倒れてしまっていたのです。」
周りが少し騒がしい。
「いいですよ。俺、少しここで見てますから。」
警鐘が大きくなる。
マコトだ。
頑張って薄目を開けると、天井が見えた。
多分、保健室のベッドにいるらしい。
「おや、やっぱり少量だとすぐ目が覚めてしまうか。まあ、たくさん入れてまったく起きられなくなってしまっても怖かったからね。」
何を・・・
声が出ない。体が動かない。
「君をピンチから救う王子様になりたかったのだけど、なかなか都合よくピンチなんて降りかからないものだね。なるべく近くにいるようにしたんだけど。しょうがないから、自作自演することにしたよ。僕と君は、キスから始まった。今、ここで、キスをすれば、君の気持ちも変わるだろう。」
は!?
何言ってんのこいつ!ありえない!
気持ちは大暴れしたいのに、体が重い。どうやら、睡眠薬みたいなものを飲まされたようだ。あれか、さっきのゼリーか。いつのまに仕込んだのか。そういえば、蓋を回すのも簡単だった。味がおかしかったのも気のせいではなかったのだ。
ああ、とにかく、助けを呼ばないと。
マコトの顔が迫ってくる。せめて、顔を横向きにできたら・・・。
「そこまでですよ。」
カーテンの開く音がした。
柊悟の声だ。柊悟が来てくれた。
ふうっと大きく息を吐きだした。でも、この時間は休憩所になっている図書室の当番のはず。どうやってわかったのかしら。
マコトが体を起こして、柊悟と向き合う。
「クラスの子が、あなたに運ばれて行く優姫を見て知らせてくれました。クラス内では、あなたと優姫の不和は知られていますからね。」
「はあっ。ことごとく、この世界ではうまくいかないなあ。僕と白雪姫は。」
「それはそうです。だって、もうあなたは王子ではないし、優姫も白雪姫ではないのですから。」
「でも、こうして僕たちはまた巡り会ったじゃないか。これは運命なのだよ。」
柊悟の呆れたようなため息が聞こえる。
「あなたは、今の優姫が、本当にあなたと釣り合うと思っているのですか?」
突然の発言に、わたしも耳を疑った。
マコトもどういうことはわからなかったようだ。
続けて、柊悟が話す。
「あなたは、この世界でもいわゆる上流階級として暮らしたいのですよね?」
「そうだよ。」
「だとしたら、あなたが結婚するべきは、政治家の娘とか社長令嬢とかではないですか?今の優姫はただの会社員の娘です。そして、彼女自身も今のところ、身分を高める志向はないようです。彼女と一緒になることが、本当に、あなたの利益になるのでしょうか?」
長い沈黙が降りた。
そして、マコトが今までとは違う、淡々とした口調で言った。
「確かに・・・君の言うことは、一理あるね。」
「白雪姫の物語は、もう終わったのです。投資家のあなたなら、今の状況における最適解が、わかるでしょう?」
マコトが短く息を吐きだす。
「柊悟君、君の言う通りだね。僕としたことが、あやうく将来を台無しにするところだった。」
なんという手のひら返しか。台無し何てひどいじゃないか。まあ、わたしも同じ気持ちだったので許すけど。
「優姫君、すまなかったね。今までのことを謝罪するよ。」
それだけ言い残して、マコトは出て行ってしまった。
柊悟が顔をのぞきこんできた。
「やあ、起きていたか。」
「うん・・・なんとか・・・でも、身体が動かないの・・・。」
わたしはどうにか動くようになった口で話す。
「このまま・・・舞台に間に合うかしら・・・。」
「多分、飲まされたのは市販の睡眠導入剤で、少量だろう。よければ足つぼを押してあげようか。」
「おねがい。」
柊悟はわたしに布団をかけなおすと、右足を軽く持ち上げた。
次の瞬間、痛みに驚いて反射的に上半身が起きた。
「これで痛いの?大丈夫?」
柊悟まで目を丸くさせて、びっくりしている。
「うん、けっこう目が覚めてきた。続けてもらえる?」
痛い。なんのツボかわからないけど、とにかく体に血が巡っていく感じがする。
「変な感じ。優姫に足つぼするなんて。」
「ほんとね。」
「もう、優姫も吹っ切れているようだから話すけどさ、君、”白雪姫”じゃないだろ。」
柊悟の顔はうつむいているのでよく見えない。
わたしは正直にうなずいた。
「黙っていてごめんなさい。わたし、本当は”鏡”だったの。」
「そうか。道理でそっくりなわけだ。”白雪姫”をずっと守ってくれていたんだね。ありがとう。」
『ありがとう』
初めてそう言われて、わたしは胸が熱くなった。
「やっぱり、気づいていたのね?」
マコトとの再会エピソードをでっちあげる時、手鏡を壊されたことにしたのは、偶然ではなかったのだ。
「そうだね。なんとなく、違和感があったから。僕は、白雪の『先生』でもあったからね。師と弟子、という関係とでも言おうか。魔術や神秘的なことを教えたり、それこそ政治の相談にも乗っていたから。だから、白雪からこんなに親し気にされて驚いたんだ。」
「そっか。わたし、女王と白雪姫が命令したところにしか行けなかったから、あなたたちの小屋をのぞいたのは、一回しかないのよね。」
話していて、だいぶ目も冴えてきた。
「それじゃあ、僕たちと白雪の関係性がわからなくても仕方ないね。まあ、涼也は何も思っていないだろうし、この先も言うことなんてないだろう。だって、本当に、終わった物語のことなのだから。」
「ええ、そうね。これで、本当にもうおしまい。」
わたしはさっきのマコトの手のひら返しを思い出した。
マコトはずっと、ぼんやりとした前世の記憶を抱えて生きていた。それが、わたしと会って急に鮮明に思い出したものだから、昔の未練が強く出てしまったのだろう。でも、柊悟の説得で今ある自分の価値と本来の目標を思い出して、わたしから手を引くことを選択した。
結局、わたし一人では守り切れなかった。けれど、それでよかったのだ。だって、”白雪姫”を大事に思っているのは、わたしだけではなかったということなのだから。
「ふう、こんなもんでどうだろう。」
わたしは大きく伸びをした。
「すごい!さっきより体が軽いわ!」
「それはよかった。何でも本は読んでおくものだね。あぁ、僕も、役に立ててよかったよ。」
「柊悟にはいつも助けられているわ。今もナイスタイミングだった。本当にありがとう。」
柊悟は目を合わせてほほ笑んでくれた。
「教え子が死んで、当時の僕もすごく落ち込んでいたんだ。今、こうして白雪の役に立つことができて、なんだか心が軽くなったよ。さっきは、終わった話だなんて言っていたけどね。さあ、そろそろ舞台の準備の時間じゃないかい?」
「わ!本当だ!柊悟、本当にありがとう。」
「どういたしまして。」
ちょうど保健室の先生も帰ってきて、ただの立ち眩みだったと説明して、わたしは体育館へ急いだ。




