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遠征任務!
移動に文字数使ってしまいました
王都から遠く離れた、北の外れにある小さな集落。
三十にも満たない数の小さな家々と、そこに住まうあたたかい村人たち。村の面積の大部分を占めている畑には、村人たちが育てた瑞々しい野菜と、黄金の稲穂。
この村で、俺は一生を過ごすのだと思っていた。同じ毎日を繰り返す日々。それは平凡で、退屈で、だけどどこよりも穏やかで。こんな日々が、ずっと続いていくのだと思っていた。
「魔導士になりたいんじゃないの?」
俺が十二のときだった。夕食の支度をしながら、いつもと変わらない何気ない日常会話の合間で、母は俺にそう訊いた。
「なんで?」
「町に買い物に行くたびに魔法関連の本を買わせるじゃないの」
視線を上げることもなく、食材を包丁で切り刻みながら母は話を続ける。トントントントンと、規則正しい音が小さな部屋に響いている。
「隠れて魔法の練習をしていることだって、お母さん、知ってるのよ」
「…………知ってたのに、なんでやめさせなかったの」
「やめろ、って言ったら、やめたの?」
沸騰した鍋に、母は切り刻んだ食材を入れた。
「でも」
「あなたには、魔法の才能があるでしょ」
そう言って母は、はじめて顔をあげて俺を見た。
「それはべつに、悪いことじゃないわ」
そして、笑った。
「お父さんのことはわたしが説得するから、行きたいんだったら、魔法学校に行ってもいいのよ」
「でも……それは、」
母は、火を止めて俺に近づいてくると
「大丈夫。あなたのやりたいようにやりなさい」
その両手で、俺をぎゅっと抱きしめた。
「わたしが、なんとかするから」
しばらく故郷へ帰っていなかったからか。懐かしい夢を見た。
ここの魔導士たちとくらべれば、自分の家は決して裕福とは言えなかったけれど、家族には恵まれていたと思う。背中を押してくれた母の存在があったからこそ、自分は今、ここにいる。感謝してもしきれない。
ふと、銀色の瞳を思い出した。魔導士見習いとして団長が連れてきた変わった少年。魔法学校にも通わず、独学で魔法を学んできたという彼は、まともな杖も使わず、巧妙な魔法を紡ぎ出す。
彼にもきっと、なにか事情があるのだろう。自分と同じように。いや、もしかしたら、もっと複雑な事情が。
彼の生まれ育った場所はどんなところだったのだろうか。家族は。
魔導士になりたいと思ったのは彼自身の意志なのか。だとすれば、彼が魔導士を志したとき、彼の家族は快く送り出してくれたのだろうか。
彼はもしかしたら、自分より優れた魔導士になるかもしれない、と思う。魔法の扱い方は上手いし、魔力も…………どんな手段を使ってか、彼は自分の魔力量を誤魔化しているようだが、きっとかなりのものだろう。実戦経験を積めば、誰よりも強い魔導士にだってなりえるかもしれない。
––––––それなのに、彼のことを「守ってあげたい」と思ってしまう、この気持ちは何なのだろう。
「あー……疲れてるんかな」
寮の部屋のカーテンを開ければ、突き抜けるような青空。それなのに、胸のざわめきはおさまならない。嫌な予感がした。
大きく息を吸って吐くと、遠征任務のための荷造りを始めたのだった。
目的地である北の地まで、馬で5日間ほどかかる。
はじめにそう聞いたとき、わたしは冷や汗をかいた。––––馬車ならともかく。一応貴族令嬢だったわたしは『馬』なんて乗ったことがない。
乗馬の練習をしたとしてもあと数日で他の魔導士と同じレベルに乗りこなせるようにはなるわけがないと判断したわたしは、その日のうちにファロ副団長に相談した。
「乗馬くらい紳士の教養として––––と思ったが、アラルガンドは一応平民の家だったか」
「俺も魔導士になるまで馬なんて乗ったことがなかったからなぁ」
執務室で、いつものように手を組み眉間に皺を寄せるファロ副団長。その横でヴェンさんが頷いている。
「まぁいい。おれの家が馬車を出そう。団長はどうせ王室の馬車に乗って行くだろうから、副団長のおれも馬車を出してたとしてそう不思議じゃないだろう。おれと一緒に、リゾルートの馬車に乗っていけばいい」
そう言われてわたしは心底ほっとしていた。馬車での移動もなかなか体力を使うので、5日間も馬車で移動をするだなんて足腰立たなくなる予感しかしないが、それでも、馬で移動するよりは何十倍もマシだ。
見習いを終えたばかりの新参魔導士が副団長の馬車に乗せてもらおうだなんて肩身が狭い思いをするだろうが、背に腹は代えられない。
そう思っていたのに。
「ファロが馬車で行ったら誰が団員を先導するの?」
出発当日。寮の前に停車されているリゾルート家の馬車を見て、サクリは開口一番そう言った。
「今まで任務に馬車で行ったことなんてなかったでしょ? ぼくはいつものように後から馬車で行くから、ファロは今まで通り先頭を走ってさっさと目的地に行きなよ」
当然だが、馬車を使うより馬に乗って走り抜けたほうが、休憩を挟みながら行ったとしても断然はやい。このまえの偵察だって馬で行って帰ってきたのに急に何を言ってるの? と、サクリはファロ副団長が馬車で行くことを全否定している。
「しかし団長、そうするとエアリが」
ファロ副団長と一緒に馬車に乗り込む気満々で荷物を抱えていたわたしの姿を、サクリははじめて目に留めた。
「……あぁ、アラルガンドのお坊ちゃんは馬になんて乗れないかな。貴族でもなければ平民とも言い切れない商家の息子は」
その言い方には嘲るような色が含まれていて、わたしは少しむっとした。
「アラルガンドは平民です。それでも、兄のツヅミは乗馬が上手でした」
元々がリタルダンドからの分家なので、アラルガンドの男性は貴族が嗜むような教養も幅広く教え込まれる。ツヅミお兄ちゃんは運動神経が抜群なので、乗馬は得意だった。
「お兄さんが乗れるのに君は乗れないんだ?……それに、アラルガンドは一人息子じゃなかった?」
どきり、と心臓が跳ねた。なぜこの男はしがない商家の家族構成まで把握しているんだ。
「ボクと兄の二人です」
きっぱりとそう伝えれば、そう?と興味なさそうにサクリは笑った。
「エアリ・アラルガンドが馬に乗れないからって、ファロまで馬車を出す必要はないよね? ぼくが馬車で行くんだから」
にこにこ笑うサクリに嫌な予感がした。なにを言い出すつもりなのか。
「ぼくの馬車に乗ればいいよ」
ファロ副団長は、わたしに同情の視線を向けていた。
気まずい。
めちゃくちゃ気まずい。
乗り込んだ馬車はリタルダンドの馬車ともアラルガンドの馬車ともくらべものにならないほど乗り心地がよかった。あたりまえだ。王室の紋が刻まれた王室の馬車だ。そんな馬車に何故平民出身ということになっているはずのわたしが乗っているのか。意味不明である。
サクリはファロ副団長をはじめとする他の宮廷魔導士たちに「先に行って段取りをととのえておけ」という命令を出したため、馬車組のわたしとサクリは完全に孤立していた。
サクリの馬車で行くことになったとヴェンさんに告げたときに、ヴェンさんが向けきた憐れみの表情がずっと頭に残っている。
サクリと二人きりで話すことなんてあるはずがないので気まずさの極地だが、わたしの両隣にサクリには見えないセツラとイスナが座っていてくれることがせめてもの救いだ。イスナはさっきからサクリに対して呪いの言葉を吐き続けているので正直うるさいが、無音よりはマシだ。気が紛れる。本当にサクリと二人きりだったらこの5日間(といっても馬車で行くのできっと5日以上かかるだろう)の地獄にたえられた自信がない。
乗車して1時間ほど。なるべくサクリのほうを見ないようにし、イスナのレパートリー豊富な罵詈雑言を聞きながら暇を潰していると、向かい合って座っていたはずのサクリが突然立ち上がり顔を覗いてきた。
「なに聞いてるの?」
「な、なんのことですか?」
はっとしたイスナがレコードのように流れ続けていたサクリへの罵詈雑言をとめる。
「今君の隣には誰がいるのかと思って」
サクリはわたしの右横––––セツラが座っている場所へと手を伸ばした。
セツラはその手にぎょっとした表情を浮かべる。サクリの手が、セツラの肩に触れる––––
「!」
すり抜けた。貫通した。
『……私からは干渉できても、他からは干渉できないみたいですね、この身体。契約主であるあなた以外は』
『うっわ貫通してるやば! セツラの肩にサクリの腕が入ってる! 見た感じだと透けてるわけでもないのにね。こっちに手伸ばされなくてよかった〜』
『…………』
サクリがセツラの肩から腕を抜くと、セツラはあからさまにほっとした表情を浮かべた。
「ひんやりした感覚と微かな光属性の魔力の気配––––……このあいだの、光の魔導士かな?」
「……そういうの、わかるものなんですか?」
「ぼくにはね。……君は、他人の魔力に鈍感だよね。魔導士のいない環境で育っただけあって」
たしかにわたしが育った環境に魔導士はいなかったし、森の野獣は魔法元素の具現化ではあるけれど、視認できたらすぐに闇魔法で瞬殺していたので、魔力を辿るとか、魔力の気配を感じ取るとか、そういうことはしてこなかったかもしれない。
「そういうの、ある程度はわかるようになったほうがいいよ。全部が全部、強い魔力でねじ伏せられるわけじゃないからね」
サクリからまともなアドバイスをもらって、わたしは目を瞬かせてしまった。たしかに、サクリは並外れた魔力感知能力があるからこそ、先日の決闘でセツラとイスナの存在に気づいたし、イスナの刀を避けることができたわけだけれど。
「鍛えて身につくものですか?」
「それなりに実戦を積めば、かな」
「……わかりました。精進します」
わたしがそう言えば、サクリはふっと唇に弧を描く。
「君は本当におかしな子だね」
『それサクリが言う?』
イスナの鋭いツッコミに思わず吹き出しそうになった。
「イスナがなにか言ったかな?」
「なんのことですか?」
サクリの言葉に、わたしはまた笑って誤魔化した。
ファロ副団長からは5日間野宿だと聞いていたのに、サクリはなんと宿を取るとか言い始めた。みんな馬に野宿でどんどん先に進んで行っているだろうに、わたしたちだけどんどん遅れている気がしてならない。
「部屋一緒にする?」とかきいてくるので全力で首を振ると、「冗談だよ」と笑われた。サクリが冗談とかわかりにくいのでやめてほしい。
夕食はその辺で好きとればいいと言われ、わたしはようやく解放された。宿を取るなんて、と思ったけれど、正直個室はありがたい。ようやくセツラやイスナと会話ができる。野宿だったら24時間他の魔導士と一緒だっただろうから、一人になれるタイミングを必死に探さないといけないところだった。
「また透視の魔法使われてたりするかな?」
『並の魔導士の魔力の気配だったら確実に感知できる自信はあるんですが、彼は上手く透視の水魔法を使いますからね……少なくとも、盗聴の風魔法が使われている気配はないかと』
『今までも散々透視されてるんだし、サクリのことなんて気にしたら負けじゃない?』
イスナの言葉にそれもそうかと思ったわたしはすとんと部屋のベッドに腰掛けた。右側にセツラが、左側にイスナが座る。馬車の中といい、今日はここが定位置らしい。
「今日のペースで行くとあとどのくらいで着くんだろう」
『数百年前の私の土地勘があてになるかはわかりませんが……おそらく6日後には目的地に辿り着けるかと』
「6日後にはみんなと合流できるとしても、あと5日はサクリ殿下と二人きりってこと……」
気が遠くなってきたわたしはパタリと上半身をベッドに倒した。ベッド、めちゃくちゃ柔らかい。さすが第三王子がとった宿なだけある。部屋もめちゃくちゃ広いし。そんな第三王子と一緒に馬車に乗ってきたわたしを宿の主人はどう思っただろう。御者の二人が別で安い宿をとらず、同じ宿に泊まってくれたことがせめてもの救い。まぁ有無を言わさずサクリが勝手に全員分の宿をとったんだけど。
『サクリと一緒にいるのが苦痛ならサクリやっちゃう?』
「それはさすがに冗談だよね、イスナ」
仰向けになるわたしを見下ろしてそんなことを言うイスナに、わたしは苦笑いを返す。
『なにか喋っても情報抜かれるだけな気もしますし……明日の移動中は全力で寝ましょう』
反対側からわたしの顔を見下ろして、真剣な表情でセツラが提案してきた。
「第三王子の前で? 宮廷魔導士団長の前で? 居眠りとか許される?」
『サクリべつにそういうことは気にしないと思うけどなー……もしちょっかい出してきたら僕が斬り殺すから安心して!』
それは全く安心できないけれど。でも、移動中ずっと寝ていれば、たしかに、あの虚無の時間に耐えなくて済む。
「馬車の中で寝たら体痛くなりそう……寝なくても痛くなるけど……」
『あらかじめ全身にクッションがわりの風魔法でもかけておきます?』
「それは名案かも」
居眠り大作戦の話が進んでいく。本当に大丈夫なのかこれ。
『馬車での長時間の移動に慣れていなくて、疲労で耐えきれず寝落ちした感じにしましょう』
『そうだね。サクリなんて無視して寝ればいいと思うよ』
わたしは今『男』だから、二人きりの密室で寝たとしても間違いは起きないはずだ。……いや、間違いって、なに。
そのあとも、ぐだぐだと3人で話し続け、作戦会議は夜遅くまで続いたのだった。
ふわ、とあくびが出た。作戦とかそういうの関係なく、夜遅くまで起きていたから普通に眠い。慣れない馬車移動の疲れも出ている。
「寝たら?」
そんなわたしを見て、サクリは短く言った。
「いいんですか?」
「起きててもやることないでしょ?」
「……そうですね。ありがとうございます。寝ます」
ガタゴトと、馬車の揺れが、さらにわたしの眠気を誘っている気がした。寝顔をサクリに見られると思うととんでもなく気まずいけれど、二人きりの空間でずっと起きているよりはマシだと思って、わたしは素直に意識を手放した。
無防備にも自分の前で寝息を立て始めた少年を観察する。身体の周りにはクッション代わりに風属性の魔法が薄く張ってあった。賢い魔法の使い方だと思う。
彼の得意魔法は『水属性』だと聞いたが、四属性の魔法をどれも抵抗なく平均的に使う様子を見ていると、とても『火属性の魔法が苦手』だとは思えない。加えて、光属性の魔法が極端に苦手なことと、闇属性の魔法を一切使わないことを踏まえれば、導き出される結論は一つしかない。
夜を溶かしたかのような、艶のある漆黒の黒髪。星を閉じ込めたかのような銀色の瞳は、今は伏せられているけれど––––それを『夜空』のようだと思った自分の勘は、あながち間違っていなかったのかもしれない。
あの決闘で、「自分がイスナを殺した」と言っても、この少年は顔色ひとつ変えなかった。イスナを殺したのがレイルではなく自分だと知っている人間はイスナ本人だけだ。『死人に口無し』と言うが、おそらく死人が、イスナ本人が彼に伝えていたのだろう。…………今も、彼のすぐ横に控えているのだろうか。光の魔導士と共に。
それはひどく面白くもあるし––––––ひどく邪魔でもある。なにか、『方法』を見つけておかないと。
「何度でも殺してあげる」
そう呟けば、目の前で、魔力の気配が少し、動いた気がした。
結局、馬車の中で昼食をとるとき以外、馬車での移動はずっと眠り続けていたわたしは、二日目から完全に昼夜逆転した。
夜はセツラとイスナと三人で遅くまでお喋りしたり、宿の周りを少し観光したりして時間を潰し、日中の馬車の移動時間は眠り続ける。そんな様子を見ていたサクリに「眠り姫だね」と言われたときは女であることがバレたかと焦ったが、セツラやイスナの話を聞く限り、そういうわけでもないようだ。
眠る必要のないセツラとイスナに、わたしが寝ているときのサクリの様子を聞けば、「よく寝顔を観察しているが、それ以外のことは特になにもない」と言われ、よかったような、悪かったような、複雑な気持ちになった。
セツラの計算では、目的地まで、初日を含めて七日間かかるはずだったのに、気づけば1日分短縮されていたらしく、5日目の夜、そろそろ宿に着く頃かという時間に「今日で最後だから、一緒に夕食を食べようか」とサクリに声をかけられた。
もうずいぶんと王都を離れ北へ進んで来たので、王子殿下に食事を出せるような店はこのあたりにはないのでないかと思ったが、サクリの馬車で連れて行かれたのは店ではなく地方の男爵家の屋敷だった。
男爵は突然の王子殿下の来訪に驚いていたが、どうやら以前にも遠征任務の際に急に押しかけられ宿代わりにされたことがあるらしく、使用人たちと急いで準備を整えてくれた。
広い食堂でサクリと二人きり。テーブルの上には男爵の精いっぱいのおもてなしなのだろう料理が美しく並んでいる。
「この辺りだとここのシェフの腕がいちばんマシでね」
そんな精いっぱいおもてなしに対し、サクリは相変わらず失礼なことを言う。
食事に手をつけるサクリの姿は美しかった。さすがはこの国の王子殿下だ。馬車内で昼食をとる姿は散々見たけれど、携帯食を片手で食べる姿は『王子殿下』というよりは『宮廷魔導士団長』としての姿はだったように思う。
「食べないの?」
サクリに言われ、わたしも食事に手をつける。こんな豪華な食事はいつぶりだろうか。リタルダンドは子爵家だけれど身分だけの貧乏貴族だったから、アラルガンドの屋敷よりも食事と質は下だった。
「へぇ。平民なのにきれいに食べるね」
慣れた手つきでナイフとフォークを動かせば、サクリに褒められた。ツヅミお兄ちゃんも食事の所作はきれいだったから、このくらいは普通だろう。
「おいしい?」
フォークを口に運ぶわたしを見ながらにこにこと微笑むサクリ。素直に「おいしいです」と返せば、「それはよかった」と言って笑った。
「二日目から本当にずっと寝てたよね。そんなにぼくと話したくなかった?」
「馬車での長時間の移動に慣れていなくて……疲れてしまって」
冷たいアイスブルーの瞳がわたしを見ている。なんとなく気まずくてサクリから視線を逸らせば、わたしの横にいるセツラと目があう。
「誰かの入れ知恵かと思ったのだけれど。ぼくと必要以上に話さないように寝ておけ、って」
「誰の入れ知恵だっておっしゃるんですか」
サクリは言葉を返さずにただ微笑む。
わたしはサクリから視線を落とすと目の前の食事に集中することにした。
「魔獣討伐、緊張してる?」
「…………正直、してないです」
「だろうね」
第三王子と二人きりで食事をして目を合わせないなんて、このうえなく無礼だな、と自分で思った。
「君の活躍、期待してるよ」
でも、たとえ見なくったって、冷たいアイスブルーの笑顔が、わたしの脳裏には浮かぶのだった。
最初の計算から随分と巻き返して、目的地の森に着いたのは翌日の昼過ぎのことだった。
セツラによると、サクリは4日目あたりから馬車を引く馬に「疲れを感じさせない闇魔法」をかけ、それこそ『馬車馬のように』馬を働かせたらしい。魔法で無理やり走らされて、あの馬は当分使い物にならないとセツラは言っていた。少し可哀想だ。
「思ったよりはやかったな、エアリ。お疲れさま」
馬車から降りたわたしをヴェンさんは笑顔で迎えてくれた。笑顔といっても、労りの笑顔だ。
「段取りは?」
「森の近くの集落はすべて確認しましたが、魔獣による死傷者はまだ数名といったところです。住人はひとまず安全な場所まで避難させました」
馬車から降りるなり、サクリとファロ副団長は魔獣討伐に向けて打ち合わせを始める。……サクリが団長らしいことをしている姿を、はじめて見たかもしれない。
「北の地はほぼ森に覆われているといっていいほどの広大な森ですから、森に発生したすべての魔獣を倒すとなると、かなりの日数がかかるかと思われますが」
「問題ないよ。ぼくと、ファロとヴェンと、それからエアリ・アラルガンドがいるんだから。造作もないでしょ?」
その並びにわたしの名前を出さないでほしい。というか、何故わたしだけフルネーム?
「今日はもう正午を回っているから、本格的な魔獣討伐は明日からにしようか。夜の森は並の魔導士にとっては危険だからね。野営の準備は?」
「我々は昨日の夕方到着したので。団長のテントはいちばん奥です」
「そう」
ファロ副団長と話し終えると、サクリはさっさと森の奥へと入って行ってしまった。
「アンタ、この6日間マジであの団長と二人きりだったん? よくもったな」
ヴェンさんが横でぼそりと呟く。
「や、ずっと寝てました」
「団長の前でか?」
「はい」
すげー度胸してんな、と呆れたように笑われてしまった。いやでも居眠り大作戦を実行していなければたぶん6日間ももたなかったと思う……。
「アンタも今日はテントで休みな。団長の指示で、アンタのテントは特別にお一人様だからさ」
「え、」
馬車での移動中はともかく、さすがに任務先の地で一人用のテントを与えられるとは思っていなかったので驚きだ。助かるけれど、やっぱり周りの目が気になる。
「ヴェンさんは?」
「俺はファロ副団長と同じテント」
「いいんですか? ボクだけ」
「団長の命令に逆らえる奴なんていないから、ありがたく受け取っときな」
ヴェンさんはそう言ってわたしの頭を撫でた。ブラウンの瞳は優しくて、まるでヴェンさんの妹にでもなったような気持ちになる。
「ありがとうございます」
素直に頷いて、わたしは自分のテントへ向かった。
野営用の小さなテントに入ると、セツラとイスナが「今日のうちにファロとヴェンが明日の予定を立てているかもしれないのでこっそり聞きに行くべきでは」とか言い始め、「盗み聞きするなら自分たちのうちのどちらかが行ったほうがいい」「エアリはテントで休むべき」「どちらがエアリのそばから離れるか」と言い争いになった結果、最終的にジャンケンをしていた。
大袈裟に喜ぶイスナと、大袈裟に落ち込むセツラは、見ていて正直ちょっと面白かった。セツラはしばらくチョキの形の自分の手を見つめていたが、イスナに促され、しぶしぶテントを出て行った。そういえば、セツラやイスナがわたしから離れられる距離の限界ってどのくらいなんだろうか。
『やっと二人きりだね』
イスナは碧い瞳を細めてうれしそうに言う。……そういえば、いつもセツラと一緒だったから、イスナと二人きりになったのは初めてかもしれない。
『これでも一応遠慮してるんだよ? 眷属2号として。寮の部屋にいるときもさ、一人きりの君に会いに行ったりしないでしょ? セツラはしてるみたいだけど』
先住犬に遠慮する2匹目の犬みたいだな、なんて、失礼なことを思った。転生前に犬を飼っていた経験があるからかもしれない。
『まぁ、君はなかなか特殊な立場にいるから、セツラが過保護になるのもわかるけど……そういえば、このまえはじめて君と一緒にアラルガンドの屋敷に行ったけど、君の従兄のツヅミって人もなかなかだったね。サクリとの決闘のこと、君は随分ごまかして話してたけど、あれで正解だったと思うよ』
イスナに促されて、わたしはテントの中にある小さな折り畳み用の椅子に座った。一人用のテントなので椅子は一つしかない。小さなテントにあるのは、それと、寝袋くらいだった。
「わたし、いろんな人に心配かけてるよね。もちろんイスナにも」
『……でも、エアリちゃんは、なにも悪くないよね』
そう言ってイスナは微笑む。
「そんなこと、ないと思うけど。そもそも、わたしが魔導士を目ざさなければ、こんなに迷惑もかけなかったし」
『君が魔道士を目ざしてなければ、君がその瞳に僕を映すこともなかったよね』
澄んだ青色の瞳にはわたしが映っている。きっと、彼のその瞳がわたしの姿を映すこともなかった。
「イスナは、わたしと出会えてよかった?」
『当たり前だよ。……本当に。君のことを女の子だって知ってるのが、僕だけだったらよかったのに』
––––イスナがそう言ってくれるのなら。わたしが今この場所にいることも、きっと無駄ではないのかもしれない。
『サクリを警戒するのももちろんなんだけどさ、彼にとってはたぶん、男とか女とかそういう、性別なんて些細なことだと思うから、そういう面ではあまり気にしなくてもいいとは思うんだけど』
わたしは首を傾げる。
「他に警戒すべき人がいるってこと?」
イスナは少し気まずそうに視線を逸らした。
『……ヴェンの君を見る目が、少し気になって』
「ヴェンさんが?」
イスナはちらと視線をこちらに向ける。
『ヴェンは、そういうの聡いからさ。魔力の気配が、とかじゃなくて……本能、っていうか。彼自身も気づいていないだろうけど、彼が君を見つめる瞳は、男に向けるようななものじゃないよ』
ヴェンさんのブラウンの瞳を思い浮かべる。その優しげな瞳に、わたしは妹扱い……つまり、『弟扱い』されているように感じたのだけれど。
「イスナの考えすぎじゃなくて?」
『僕の言うこと信じてくれないの? セツラの言うことだったら、きっとすぐに信じたよね』
「そんなことっ……」
イスナはわたしの目の前に跪くと、椅子に座っているわたしの手を取った。その姿はとてもさまになっていて、彼は『王子』なのだと、改めて実感させられる。
わたしがそう言えば、死んだのだから王子もなにもない、と彼はまた言うのだろうけれど。
『僕が死んでさえいなければ……たとえどんな手を使ってでも、君を王妃として迎えたのに』
わたしの顔を覗き込む、その碧い瞳に射抜かれる。わたしの眷属となった彼。わたしの、二人目の死霊。わたしは、彼の思いにどうこたえればいいのだろう。
『君に触れられることが、僕は、こんなにもうれしい』
そう言って、イスナは幸せそうに、切そうに、笑うのだった。




