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7/14

diminuendo

乙女ゲームのノリです

 良かれと思ってやったことが、全部裏目に出ている気がする。


「……エアリはすごいね! わたし、知らなかったな。ヴェンと互角に魔法で闘えるほどだったなんて」

 優理の笑顔にはあきらかに動揺が滲んでいた。

「優理……?」

 そんな彼女の様子を見て、理十は驚いている様子だった。

「あ、こんなところにいたらわたし邪魔だよね? 今日は先生に頼んで座学にしてもらうから、エアリは魔法の練習頑張ってね!」

 中身のない笑顔を貼り付けた優理は、くるりと後ろを向くとパタパタと去っていく。そんな優理の後ろを理十が追いかけていく。


「アンタは? 追いかけなくていいわけ?」

 ヴェンさんにそう言われても、わたしは動けなかった。追いかけたとして、なんて声をかければいいのだろう。

 正直、わたしの本当の魔法の実力を知った優理が、あれほど傷つくなんて思ってもいなかった。「すごいね!」と、いつもみたいに明るく笑ってくれると思っていた。

「女の子の心は複雑なんかね」

 わたしの水魔法のせいで全身びしょ濡れのヴェンさんは、苦笑いを浮かべて濡れた前髪をかき上げた。深い緑色の髪は、濡れているせいでいつもより濃く見える。

「そう……なんですかね」

 ……わたしだって女の子だけれど。優理はなにを思って、あんなに傷ついた表情を浮かべたのだろう。



 屋内訓練場もわたしたち二人もすっかり水浸しになってしまったので、わたしは火属性の魔法と少しの光属性の魔法を使って、あたり一面を乾かした。

「お、俺の髪も服も乾いてる」

 あんがとな、とヴェンさんに頭を撫でられた。

「……エアリは髪、伸ばさないのか?」

「え?」

 ヴェンさんは、乱れてしまった、肩まである髪を編み直しながら言った。

「魔導士は髪伸ばしてたほうがいろいろと便利だろ。邪魔だから、俺は編み込んでしまってるが」

 言われてみれば、セツラもサクリもかなりの長髪だ。子爵令嬢のときのわたしも腰の長さまであったけれど、二人は長身なのもあって、それ以上に見える。彼らほどでなくても、宮廷魔導士は長髪率が高いかもしれない。

「ファロ副団長は短いですよね」

「副団長は、髪伸ばすくらいなら爪でも剥ぎ取って触媒にするって言ってたな。邪魔なんだと」

 確かに、髪を伸ばしていればいざというときに魔法の触媒にも使えるし、単純に、個としての体積が髪を伸ばした分だけ多くなるわけだから、僅かだが魔力量も増える。本当に僅かで、些細なものではあるけれど。

 手早く、けれども丁寧に、ヴェンさんは深い緑色の髪を編み込んだ。

「ヴェンさんは、似合ってますね。その髪」

 森を映し込んだかのような深い緑色の髪。風属性の彼によく似合っていると思う。

「アンタも…………髪伸ばしても似合うと思うけどな」

 ブラウンの瞳がわたしの顔をじっと見つめていた。……そんなふうにされると、勘違いしてしまいそうになるのだけれど。今のわたしは『男』なのに。

「……伸ばしてみるのも、いいかもしれませんね」

 リタルダンドの屋敷を出る日に、セツラに切ってもらった髪。でも、セツラの魔法が完璧なら、髪の長さなんて関係ないのかも。

 ……べつに、ヴェンさんに言われからとかじゃなくて。伸ばしたほうが、魔導士として効率がよいのなら、というだけだ。


 その後も、ヴェンさんと魔法の撃ち合いをしたけれど、勝敗は着かなかった。

 少し早めに切り上げて、寮の部屋に戻る。今日の練習の成果をふまえ、明日に向けて、もう一度作成会議だ。

 ベッドにわたしとイスナが腰掛け、椅子にセツラが座る。これがわたしたちの定位置になりつつあった。イスナは物に干渉できないから、机から椅子を引こうとするとすり抜けてしまう。だからいつもベッドに腰掛けている。

『先ほど決めた三つは最低条件として––––課題はやはり、光属性と闇属性ですね』

「だよね……今日はなんとか切り抜けられたけれど、正直、闇属性の強力な魔法に対抗できる手段がない」

 闇属性と光属性は対の属性だ。闇は光に強く、光に弱い。その逆も然り。

 闇属性の魔法に対して、本来なら、わたしはある程度耐性があるはずだった。しかし、闇属性の魔力を隠蔽した今の状態では、通常の魔導士よりも耐性がない状態だ。

 現に、ヴェンさんの闇魔法に、わたしは意識を失いかけている。

『強力な闇属性の魔法に対抗できるのは強力な光属性の魔法だけ。けれど、本来の得意魔法が闇属性なあなたは、対の属性である光属性の魔法の扱いに関しては、どうしても劣る』

「わたしの本当の得意魔法は闇属性だから、本来なら相手の魔法を上回る闇魔法で押し返せると思うんだけど……」

『闇属性の魔法を隠蔽した状態では、闇属性の魔法の成功率は限りなく低いですからね』

『他の属性の魔法じゃダメなの? それこそ、水属性とか』

 セツラと一緒に唸っていると、イスナが口を挟んだ。

『まぁ、現状その方法しかないでしょうね。サクリ殿下のの得意魔法は水属性なので、それとくらべれば闇属性の威力は劣るでしょうから……』

「そもそも、サクリは水魔法の使い手だから、対の火属性と、基本の四属性から外れる光属性と闇属性の魔法は、他の魔法とくらべれば威力は落ちるはず……」

『へぇ。そういうものなんだ?』

『人間の体内に宿る魔力元素の割合は、通常四属性に偏ることが多いですから』

 光属性の魔導士が、他の属性の魔導士とくらべて平均的に魔力が高いのは、光属性の魔力が『余剰』だからだ。そのため、光属性が得意魔法だからといって、四属性の魔法が劣るということもない。

「四属性の魔法で乗り切るしかないよね……逆も然りで、サクリが光魔法を使ってきたとしても、わたしの闇魔法は失敗するだろうし、四属性で乗り切るしかない……」

『セツラが魔法使っちゃダメなの?』

「え?」

 不思議そうな顔でイスナは言った。……それは、考えてなかった。

「でも、詠唱もしていないのに魔法飛んできたら怪しすぎるよね?」

『詠唱するフリして魔法はセツラが撃つとかさ』

『確かに……今の私の魔力は元々エアリのものなので、気配の違和感はそれほどないかもしれませんが……』

 イスナの案に、セツラは真剣な表情で考え込んでいる。

『僕たちの姿はサクリには見えないでしょ? 本当は僕が剣でサクリに斬りかかれたらいいんだけど』

「それは……物に干渉できない以上難しいよね」

『だったら、僕も君の眷属になっちゃえばいいんじゃない?』

『剣がひとりでに動いていたらおかしいでしょう。私たちの姿は人には見えないのだから』

 イスナの提案を、冷たい声でセツラは突っぱねた。そんなセツラに、イスナは苦笑いを浮かべた。

『……基本的に、決闘中は声を出さないようにしますから、あなたは目の前の敵に集中してください。でも、危ない状態だと判断したら––––一瞬でいいから、私と視線を合わせて』

「それが合図?」

『はい。光魔法を唱えるふりをしてくれれば、わたしが応戦します』

 出会ってからまだ一か月ほどなのに、もう随分と一緒にいるような気がするペリドットの瞳。どんな状況でも、この瞳を見れば、安心できる気がする。

「一対一の決闘なのに、セツラに頼るなんて卑怯かな?」

『なにを言っているんですか? 私の魔力はあなたの魔力。私の全部はあなたの一部です。私は、あなただけの死霊ですから』

 わたしに向けられた穏やかな笑顔が、なによりも心強かった。


 

 セツラとイスナが鏡の向こうのそれぞれの自室に戻ってからしばらくして、そろそろ寝ようかなと、ベッドの上で寝転がっていると、鏡の中からセツラがやって来た。

「着替え中だったらどうするつもりだったの?」

 わたしはベッドから起き上がって、ベッドの縁に腰掛ける。セツラは困ったように笑っていた。

「どうしたの?」

『髪、伸ばすんですか?』

 一瞬何のことかわからなかった。少しして、ヴェンさんとの会話のことを言っているのだと気づく。

『私があれだけとめても切ったのに?』

「まだ伸ばすって決めたわけじゃ」

『伸ばしてください。あなたの黒髪、私は好きです』

 銀色の長い髪に、部屋に灯る小さな灯りが反射していて、それをわたしは、綺麗だと思った。

『…………エアリ・リーン・リタルダンド』

「セツラ?」

 わたしの名前を呼ぶセツラ。夜の闇を照らし返すような銀色の髪。月光を吸い込んだかのようなペリドットの瞳。わたしを見つめる彼の、そのすべてに吸い込まれそう。

『……あなたのこと、リリーと呼んでも?』

 少し言いにくそうに、彼は呟いた。

「え」

『私だけのあなたがほしい』

 不安げに揺れる瞳に懇願される。

「そういえばわたし、愛称で呼ばれたことなんてないかも」

『いやですか?』

「セツラが呼びたいように呼べばいいよ」

 わたしの言葉に、彼はほっとしたように、微笑んだ。

『私のリリー』

 うれしそうに名前を呼ぶセツラ。愛称をつけてもらったのは初めてで、なんだか照れてしまう。

『どうか明日、あなたは、あなたのことだけを考えて』

 祈るようにそう言って、彼は鏡の向こう側へ消えていった。



 よく晴れた朝だった。どこまでも突き抜けるような青空は、イスナの瞳の色によくにている。

「おはよう、エアリ・アラルガンド。いい朝だね」

 屋内訓練場で、昨日と同じように椅子に腰掛け、優雅に足を組んでいた彼は、わたしの姿を目にとめるとどこかうれしそうに微笑んだ。

 どこから話を聞きつけたのか、ヴェンさん以外の宮廷魔導士たちもみな屋内訓練場に集まっている。「マジで団長と見習いが?」「あの見習い死ぬんじゃね?」など不穏な会話が聞こえてくる。

 サクリに指示されて、ヴェンさんは風魔法を唱え、屋内訓練場の天井を開いた。頭上に青空が吹き抜ける。

「この決闘の『終了条件』を決めようか」

「終了条件? 勝利条件ではなくてですか?」

 サクリの言葉に、ヴェンさんが反応する。サクリは面白そうに言った。

「そうだよ。この決闘の『終了条件』は、どちらかが死ぬこと。もしくは––––––君の実力を全部見た、と、ぼくが判断したら、かな」

「っ…………」

 少しでも手を抜いたら殺す––––––この言葉の意味を理解した。今のわたしでは、宮廷魔導士団長に勝てるはずがないのだから。

「団長、それはあまりにも」

「異論は認めないよ。実力全部ぶつけてくれるだけで終わらせてあげようって言ってるんだから、簡単でしょう?」

 面白そうに笑うサクリ。だけれどそのアイスブルーの瞳は変わらず、凍てつくように冷え切っている。

 ヴェンさんが唇を噛む。ヴェンさんでは、サクリを止められない。

「こんなところで談笑するつもりはないからね。さっさとはじめようか」

 楽しそうにサクリが言う。

 

 昨日と同じように、30メートルほど離れた位置で向かいあった。

「じゃあ、お先にどうぞ」

 サクリに促され、わたしはサクラの枝の杖を掲げる。水属性の魔法を素早く唱えると、空まで届くような、大きな水の渦を作り上げた。

 おおっと、周りから歓声が上がる。どう考えても見習いが繰り出すような魔法ではない。

 渦潮をぶつけようと、サクリに向かって杖を振る。サクリは呪文を唱えながら、水を固めたかのような、ガラスのように透明な杖を振り上げた。

 さらに水を生み出し、巻き上げ、わたしが作り上げた渦潮をさらに大きくした。そしてそれを、わたしに向かって押し進める。

「っ…………!」

 彼の得意魔法は水属性。水属性の魔力はわたしより彼のほうが上。魔力をぶつけるだけでは勝てるはずがない。

 それでも、わたしの得意魔法も『水属性』なのだから。なんとか彼の意表を突く方法を考えるしかない。

 わたしは、水属性と少しの風属性の魔法で、巻き上がった水を全部凍らせると、強い風属性の魔法で全てを砕き散らした。砕けた破片を全部、風魔法にのせて彼にぶつけようとする。

 彼は瞬時に火属性の魔法を唱え、すべての氷塊を蒸発させた。––––水魔法の使い手である彼は、対の属性である火属性の魔法は威力が劣るはずなのに。それでもこれだけの威力とは、さすが宮廷魔導士団長である。

「なかなかに大きな魔法を使うね。でも、君の実力はそんなものじゃないでしょう?」

 彼はにこにこと笑っている。––––どうする。次の手は……

 わたしが次の魔法を唱えるよりサクリが次の魔法を唱えるほうがはやかった。彼が杖を振り上げると、ザーっと、わたしの頭上付近のみ雨が降り注ぐ。

「なに……?雨……?」

 なにがしたいのかわからず困惑する。とにかくこの雨をとめようと、光属性の魔法を唱えようとした瞬間、

「?っ…………」

 視界が霞んだ。くらっと身体が傾いて、咄嗟に膝をつく。

「はっ…………はぁ……」

 呼吸が苦しい。これは––––

「毒……!」

 このままだと死ぬ。慌てて水属性の魔法を唱える。全身に水の膜を張り、身体を清める。

 水の膜が弾けると、続いて光属性の魔法を唱え、頭上の雲を晴らすと、ようやく毒の雨がやむ。

「は…………はぁっ…………」

 毒の魔法。水属性と、土属性と、闇属性の合わせ技。今のわたしには闇属性の耐性がないから、効果が残ってしまった。息苦しさが引かない。

 火属性の魔法を唱える。周りに残った水滴も全て蒸発させる。

 視界が歪む。膝をついたまま、なかなか立ち上がれない。それでも彼の魔法に備えなければと、必死に顔を上げる。

「え、」

 氷のように冷え切った、目の前のアイスブルー。いつのまに距離を詰められたのか、にっと口角を上げた彼の顔が目の前にあった。

「抜いてるよね、手」

 温度のない声。彼の瞳に見つめられ、視線が凍りついてしまったかのように、彼の瞳から目を逸らせない。

「死にたい?」

 視界の端で、彼が杖を振り上げた。短い詠唱。再びわたしの全身を包む水の膜。

「っ…………!」

 大きな水滴の中に閉じ込められて、わたしは宙に浮く。口角を上げたまま、彼は詠唱を続ける。じわじわと増していく水圧が、全身を締め付ける。––––息ができない。

「殺してあげようか」

 彼は魔法の詠唱をやめない。…………苦しい。空気を求めて必死にもがくけれど、水中で息が吸えるはずもない。声が出ないから、魔法の詠唱もできない。意識が遠のく。

 ––––––私の全部はあなたの一部。

 セツラの言葉を思い出した。そうだ。セツラの存在だってわたしの魔力の一部だ。必死に視界を巡らせれば、セツラはわたしのすぐ隣にいた。ペリドットの瞳と視線が重なる。声は出ないけれど、唇を必死に動かす。光魔法の詠唱の形。

 カッと強い光がわたしを包む水滴の中心から差し込んで、パツン!と水滴が弾けた。

 宙に浮いていたわたしは地面に落ちる。弾けた水滴の水が頭上に降り注いだ。

「へぇ」

 うっそりと、唇を吊り上げてサクリは笑う。その表情に、言いようのない恐怖を感じる。

 ––––––でも大丈夫。だってわたしには、セツラがいる。


 無理やりに、足に力を入れて立ち上がる。光属性の魔法を唱えて、セツラにわたしの体に残る闇魔法を浄化してもらおうとしたけれど、サクリの短い詠唱にそれを遮られた。

 ––––––サクリはとにかく、詠唱が速い。実戦慣れしているからだろうか。……速いと言うか、詠唱を、自己流に上手く短縮している気がする。そんなことが可能なのか。そのせいで、わたしが魔法を唱えているうちに、次の魔法を使われてしまう。

 わたしが知っている魔法で、詠唱の短いもの……昨日の実戦訓練でも使った、空気中の水属性の元素をただただ水に具現化する魔法を唱え、わたしの魔力の全部をぶつける。

 水属性の魔力の大きさではサクリにかなわないなんてことはわかりきっている。わたしは、彼が襲いくる大洪水の対処をしている間に、光魔法を唱えるふりをし、サクリに闇魔法を浄化してもらった。

 すっと身体が楽になる。

「君への贈り物だったんだけどな」

 わたしの送り込んだ大洪水を光属性と少しの火属性の魔法ですべて蒸発させて、サクリは目を細める。

「いいよ。何度でもあげる」

 ふっと笑って、透明な杖を振り上げる。

 短い詠唱。そう、本当に詠唱が短い。闇魔法だ、と気づいたときにはこちらに魔法が飛んできていた。

「はっ…………」

 全身でその魔法を受けてしまう。強力な闇属性の魔法。視界が闇に閉ざされる。身体の感覚がなくなっていく。––––五感を奪う魔法?

 とにかく、闇属性には光属性だ。この暗闇が物理的なものなのか精神的なものなのか自信がなかったわたしは、強い光を放つ魔法と、意識を急速に覚醒させる魔法を続けて唱えるふりをした。

『なっ…………!』

 セツラの、光魔法の気配。セツラの短い叫び声と共に視界が開けていく。全身の感覚が戻っていく。

「っ……!」

 横を見れば、セツラが膝をついていた。––––なに? なにが起こったの?

 セツラは指先一つ動かせないようで、静止したまま、目線だけをわたしに向けた。唇すら動かないのかもしれない。静止の闇魔法。光属性の魔導士は闇魔法に弱いから。

「そこになにかいるんだね?」

 耳元で声がした。慌てて振り向くと、わたしのすぐ後ろにサクリが立っていた。

「昨日の決闘練習、見てたよ。君、光属性の魔法が苦手だよね? 闇属性に関しては、昨日も今日も一度も使っていない。四属性の魔法はバランスよく使うし、水属性と対のはずの火属性ですら、躊躇わずに詠唱がするのに」

 ヴェンさんとの決闘練習のときにサクリはもちろんいなかったから、また透視の魔法だろう。

「それが、今日は途中から急に光魔法の扱いが上手くなって……それからずっと、光魔法の発動座標が、少しだけ、ズレてる」

 どくりと心臓が跳ねた。背筋に冷や汗が流れる。そんなことまでわかってしまうの? 彼が、この国でいちばんの魔導士だから?

「だから、光魔法の発動座標に、正確に静止の魔法をかけた。そしたら君のその表情。僕の仮説はあってたかな?」

「……なにも、いません。全部、わたしの魔法です」

「全部君の魔法というのは本当かもしれないね。確かに、感じた魔力は全部君のものだったよ。急に上手くなった光魔法も」

 わたしにしか聞こえない程度の声で話すサクリに、会話の内容が気になるのか、周りの宮廷魔導士から「なにがあったんだ?」「盗聴の魔法使うか?」「団長に殺されるぞ」なんてやりとりが聞こえてくる。

「確かめてみようか?」

 サクリは杖を軽く振ると呪文を唱え始めた。闇属性の魔法。面白がっているのか、いつもより詠唱が長い。横目でセツラをちらと見る。セツラの光魔法はいつも手をかざすだけで、杖も詠唱も必要としないけれど、さすがに今の状態で魔法は発動できない。

 わたしは咄嗟に光属性の魔法を唱え、彼の闇魔法を受ける衝撃を、少しでもやわらげようとした。

「拙い魔法だね。さっきまでとは大違いだ」

 咄嗟に唱えた光魔法は、上手く発動せず、ほとんど役に立たなかった。わたしは全身に闇魔法を浴びてしまう。

 ––––––意識を奪う魔法。急速に意識が混濁していく。

 崩れかけたわたしの身体を、サクリの腕が受け止めた。長い指で顎を掴まれ、彼の瞳と目が合う。

「君は何者?」

 凍りつくような視線。アイスブルーの、氷のような瞳。––––––イスナの、晴れ渡るような青空の碧眼とは、似ても似つかない。

「もう…….終わりにしましょう。これが、ボクの全力です。……ボクでは殿下に勝てないこと、最初からわかっていたでしょう?」

 混濁する意識で必死に口を動かす。サクリは貼り付けたような笑みを崩さない。

「質問の答えになっていないよ。君は、なにかを隠している。このまま隠し続けるつもりなら、本当に殺すよ?」

 ––––––どうにかしないと殺される。セツラの光魔法には頼れない。どうすれば……

 土属性の魔法を短く詠唱する。ただ土を積み上げるだけの簡単な魔法。サクリと自分の体の間に、無理やりに土の壁をつくる。サクリは一歩後ろに下がり、身体の支えを失ったわたしは床に転がった。

 うつ伏せの状態から、腕に力を込めて上半身を起こす。目の前には大きな土の壁が立ちはだかり、サクリの姿は見えない。

 こんな壁、すぐに壊されてしまうだろう。時間稼ぎにもならない。

 どうする? セツラにかけられた静止魔法の解除を試みる? こんな朦朧とした意識で、複雑な光属性の魔法を成功させられるはずがない。それに、静止魔法を解除しようとしているのをサクリに見られたら、『そこに静止されたなにかがある』と言っているようなものだ。

 どうする? どうすれば––––––……

 

『エアリちゃん』


 ずっと黙っていたイスナが、わたしの名前を呼んだ。






 セツラが羨ましかった。

 同じ幽霊、同じ死人でも、彼と僕は違う。彼は何百年も語り継がれている伝説の魔導士で、かつての魔王を倒した英雄だ。

 それにくらべて僕は、この国の第一王子でありながら、なにもできないまま、なにも残せないまま、あの日、呆気なくサクリに殺された。深い理由なんてなく、ただ、彼の気まぐれで。

 殺されてから8年間、僕はずっと宮廷内や宮廷周辺を彷徨っていた。宮廷なんて、たくさんの幽霊がうようよしていてもおかしくない場所だと思うのに、この城の幽霊は僕しかいなくて––––––……いないわけじゃない。この城で殺された人。病死した人。でも彼らは、僕と言葉を交わすうちにどんどん輪郭がぼやけていって、例外なく、数日で消滅してしまう。長い間意識をたもっていられる幽霊は僕だけだった。だから僕は、何人もの死者を見送ってきた。

 

 透けていない幽霊を初めて見た。かつての伝説の魔導士の幽霊を従えていたのは、一人の少年––––いや、『少女』だった。

 彼女はその銀色の瞳に、僕の姿を映した。生きている人間と話したのは、幽霊になってから初めてだった。


 セツラが羨ましかった。

 彼女にとってのたった一人の眷属。彼は魔法が使えるから、魔導士を目ざす彼女の力になることができる。生前の僕には魔法の才能がなかったから、魔法のことはさっぱりわからない。

 それでも、僕だって、なにかできることがあるかもしれないと思って、この一か月、いつも彼女のそばにいた。たくさんの事情を抱えて、サクリなんかに目をつけられて、それでも前向きに生き抜こうとする彼女の力に、少しでも、なりたくて。


『エアリちゃん』


 全身の力を振り絞って立ち上がった彼女は、決闘が始まってから初めて僕を見た。

 銀色の瞳はどこか虚ろで、僕は必死に顔を覗き込む。星を溶かしたかのようなその瞳が、ようやく僕を映した。


 セツラの身体が人から見えないだけで透けていないのは、彼女が魔力を与えて眷属にしたからだと聞いた。

 彼女から魔力を貰えば、僕も眷属になれるのだろうか。でも、今の彼女に、僕に魔力を与えられるような余裕はない。

 それなら、僕は––––––……


 奪う。


 彼女から魔力を奪う。

 自然と身体が動いていた。虚ろな銀色の瞳を覗き込んだまま、彼女の頬に触れる。


「イスナ……?」


 僕の名前を呟く彼女の吐息ごと、深く深く、奪った。

 

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