(六)フェスティバルの開催前夜
第七階梯層世界・ビタロス大陸
〈魔法使いピリオ〉著
『〈花の谷〉の集落を訪ねて』
古くから薬草や稀少植物の生産地として知られてきた〈花の谷〉は、山間の小さな集落である。人口は五千人に満たない。
薬草や稀少植物の産地として知る人も多いだろうが、もっとも有名な特産品は、布と染料である。
この谷でしか栽培できない花から作られるあざやかな発色の染料で染められた『谷の花染めの布』は、この世界の人間であれば、どこかで一度は目にしたことがあるあろう。美しく染められた布は丈夫で虫もつかず、ことに戦へおもむく戦士には、体を護る服を作るのに非常に重宝された歴史がある。
かくいう魔法使いである私も、この〈花染めの布〉で作った服は現代でも重宝している。
平和な時代においては、美しい布は、富裕層が先を争って買い求め、先進的なファッションを伴い、境海世界を越えて広まった。
多くの人が高価で貴重な染料を購入するより、自国で栽培できないものかと、〈花の谷〉と取引をして植物の苗を手に入れようとしたが、植物の苗や生きた種子は古来より門外不出とされている。
もし運良く生きた種子を手に入れたところで、花の栽培が難しい上に、同じ色合いの染料を作ることもできない。
いまでは〈花染めの布〉は科学的に調査された結果、〈花の谷〉で育った花の染料と、植物繊維から織られた布でしか作れないことがわかっている。それらもまた、植物が持つ特殊な魔法の一種なのだ。
またこの谷の奥地には、人間が長い年月のうちに改良を重ねた多くの植物の古い古い野生の原種が、いまもひっそりと植生しているという。
それらの原生植物は品種改良に極めて重要とされるため、それらを手に入れんとする植物狩人がひっきりなしに訪れるが、谷の奥地は原住民ですらめったに足を踏み入れない原生林である。
ひそかに稀少な原種を手に入れ大金を得ようと訪れる植物狩人のなかには、二度と戻らない者も多いという……。
* * *
いったいローズマリーが読んだ中で、ヒントが載っている巻はどれなんだろう?
それがどれかだけでも、しぼり込めたら良いのに。
あ、そうだ。
「ローズマリー、いちばん最近読んだのは、どれ? ここにあるかい?」
ローズマリーはパクッと口を開けた。
「言えないんだ」
アイルズも、僕が気づいたことに気づいた様子。一番良く覚えているのはいちばんお気に入りの巻か、でなければ、直近に読んだ本しかない。
「もしかして、最新刊じゃないか?」
カイルが本棚へ走っていった。最新刊が置いてある本棚のコーナーを調べている。
そう、ローズマリーは〈多次元旅行記〉の熱烈な愛読者。定期的に新刊が刊行されるなら、発売日に本屋へ行くぐらいするだろう。
「これよ、〈魔法使いピリオ〉の、先月発売された新刊は」
エリカがカイルより先に本棚から見つけて取ってきた。
それは〈多次元旅行記〉の全集シリーズ本ではなく、〈多次元旅行記〉の番外シリーズとなる新刊だ。さっきの料理本みたいな単発で出版されたノンジャンル本である。
エリカはローズマリーほどのファンではないが、これは発売日にローズマリーに付き合って本屋へ行ったので覚えていたそうだ。
ローズマリーがエリカの持つ本をジッと見ている。固まっているから、禁止魔法のせいで否定も肯定もできない状態だ。
「あら、ちがうの?」
「もしかして、その最新刊じゃないのかな」
ローズマリーは愛読者にして本の虫。そういった人種は、こよなく愛する本であれば、飽きもせずに何度でも同じ本を読み返すと聞いた。
ローズマリーがパクッと口を開いてとじた。唇も読めないから意味不明……。
「わからないけど、これじゃないみたいな気がするわ。ほかにローズマリーが読んでいた本なんて……あ、あれかしら」
エリカが本棚に駆け寄った。
「ないわ。貸し出し中よ。そうよ、いまカバーをつけて読んでいた本があったわ。ローズマリーの部屋に!」
エリカがバタバタと図書室を出て行った。ローズマリーが慌てて追っていく。
寮内は走っちゃダメなんだが……。
五分ほどして息を切らせた二人が持ち帰ってきたのは、数年前に刊行された本が三冊。
「これよ。ローズマリーが手に取れなかったから間違いないわ」
ローズマリーが持っていない本なので図書室から借りたという。
三冊とも表紙にどこかの花畑や山のある風景の写真が使われている。それを見たカイルが反応した。
「それ、俺も読んだ! 戦場での魔法使いの服装のことが書いてあったやつだ。出版されたのはわりと最近だけど、古代の戦争について回想するエピソードがあったんだ」
カイルが目次を確認し、ページをめくった。
「よし、このへんだ。読むぞ。――この世界では、もはや剣も魔法も不要なのだ……」
〈中略〉
神代は遠く去り、あらゆる戦の記憶は遠い過去のものとなった。
この街では魔法使いさえ、ぞろっとした長衣なぞまとっているものはいない。かくいう私も魔法使いの長衣はまとわない。剣はいわずもがな、ここでは魔法使いの杖さえ持つ必要がないのだ。
女性の服装も非常に軽い物ばかりである。人が動物の革や多数の植物の繊維を被服に利用していた昔とはちがう。かつては男女とも襟元が詰まり、女性においてはつま先まで隠すのが慎み深いとされた服なぞ、ここでは時の彼方だ。年配のご婦人すら、雲のように軽くて丈夫な布で作られた軽やかな裾の短い服を好む。
それらの布は伸縮性に富んで動きやすく、色や柄は多種多様である。
また男も女もまったく同じ服装をしたところで、ここではなんら問題にならない。
ゆえに、よほど人に迷惑を掛ける姿でない限り服装は自由なのだ。
自由と言えば、もしも私が昔ながらの魔法使いの長衣で闊歩していても、公共の場でルール違反になることはないから面白い。
ここには確かな自由と平和が具現されている。それは魔法を寄りどころとしない、新しい思想がもたらした社会である。この〈白く寂しい通り〉ではそれが日常なのだ。
僕らは「え? この町のこと!?」と一斉に突っ込んだ。
「というか、けっきょくここにも手掛かりは無いのか……」
絶望するカイルの声を聞きながら、僕は心のどこかに引っかかったことを思い出そうとしていた。
さっきカイルが読み上げた分に、ちょっと腑に落ちない文章があったんだ。
「そこに書いてある通りなら、〈偉大な魔法使い〉は、魔法使いらしい格好をしていないってことじゃないか?」
「サー・トール?」
「この町を歩いていても、誰も驚かないし気づかない。〈偉大な魔法使い〉は僕らが知っている現代人の服装をしてるんだ」
「……たしかにそうだが、顔立ちの特徴とか、身長・体格、そういったものがわかるようなヒントが欲しかったんだけどな」
カイルは議事録へ、『特徴は白く寂しい通り商店街で目立たない、ふつうの格好をしている』とメモした。
――ポーン、ポーン!……クルックウ、クウ!
扉近くの壁で、よつ葉のクローバーを咥えたハトの仕掛け時計が時を告げる。
「あ、もう二十二時だ!?」
「まずい、そろそろ切り上げよう!」
カイルが皆に声をかけた。僕らは調べてもらったヒントになりそうな内容を聞いて、大急ぎでまとめたが……誰の見た巻のどこにも、〈偉大な魔法使い〉の具体的な容姿を想像できるヒントは書かれておらず、僕らは次の策を考えるしかないと落ち込むしかなかった……。
「とどのつまり、僕らはそれらしい男をかたっぱしから捕まえて、問いかけるしかないってことか?」
アイルズがメモの束を前に苦悩している。
僕は議事録の下書きを見て、〈偉大な魔法使い〉の特徴のメモを読み返したが、『年配の男性。ふつうの服装』以外の具体的な特徴は追加されていない。
「はあ……できるだけたくさんの生徒に協力を呼びかけて、片っ端から、いままでこの町で会ったことの無い、そこそこ年配の男を見つけたら、『あなたは偉大な魔法使いピリオですか?』って聞きまくるしかないと……。簡単なようだけど、たいへんだよ、それは……」
スミスくんが暗い声でつぶやいた。
「ほかに方法を思いつかないからな」
アイルズが腕組みした。
「皆で手分けすれば、白く寂しい通り商店街の住人くらいなら全員聞いて回れるだろう」
「そうだぜ。少なくとも、女性は対象から省けるんだ。だから探すのは年配の男でいい。次善の策も思いつかなければ、それでいこう」
「よし、方針が決まったな! 明日の朝、朝食前に、みんなにそれを通達しよ……」
僕が言い終わらぬうちに、パチパチと拍手が聞こえた。嫌な予感。
「すばらしい! これだけ人数が集まれば、〈偉大な魔法使い〉の捜索時間はおおはばに短縮できるだろう!」
ここにいるはずのない人間の声。
僕はぞわっと鳥肌立った。
図書室のドアを入ったすぐ横に、深海色のスーツを格好良く着こなしたリリィーナ教官が!
「うわッ、いつの間に来たんですか?!」
ドアを開け閉めする音なんかしなかったのに!?
「はは、驚きすぎだ。これも実戦の訓練だと思えばおもしろいだろう?」
なんの実戦だよ。
僕らはまだ多次元管理局の局員じゃなくて、ひよっこの生徒なんだぞ。
「みんな頑張ってるね。激励に来たんだよ」
家政学部の女子やスミスくんのクラスメートへ愛想を振りまくリリィーナ教官。
「嘘ですよね。面白そうだから見に来たんじゃありませんか?」
言い返してから、ハッとする。リリィーナ教官に反論するのはいつも僕の役割みたいになっていないか?
リリィーナ教官は僕の反論を意に介すことなく、優しく微笑んだ。
「おおっと、なかなかひねくれてるね、サー・トールは。激励しにきたのは本当だよ。そちらの手数が変わったから、こちらのルールも少々修正を加えさせてもらう必要があるのでね」
その笑顔が怖いんだが。
リリィーナ教官は右足を半歩前へ踏み出し、両手を軽くひろげた。
「きみたちは魔法使いピリオを探すために、白く寂しい通り商店街にいる大人に、かたっぱしから声を掛けるつもりでいるね。きみたちは知らないだろうから、それには魔法制約があることを伝えなければならない。きみたちが『あなたは〈偉大な魔法使い〉か?』と正体を問いかけられるのは、生徒ひとりにつき九回まで。それ以上は禁則となる」
僕はアイルズとカイルとアイコンタクトしてから、僕が慎重に質問を返した。
「ルールを破った者はどうなるのですか?」
ついうっかり、十回目の質問をしてしまう者がいたら?
「ただちに封印魔法が発動して、その者はその場から動けなくなる。ただその場合は我々が責任を持って回収するから心配無用だ。禁則魔法が解除される期限は〈偉大な魔法使い〉が見つかれるまで。ローズマリーの封印魔法が解ければ、他もすべての封印魔法は解除される」
「つまり、僕らは一人につき見知らぬ相手九人に〈問いかけ〉て良いのですね? それで〈偉大な魔法使い〉が見つかれば、課題テストはその場で終了するんですね?」
言質を取るのは慎重に。
どんな落とし穴があるかわからない。
念には念を入れないと危険だ。
「そうだ。以上が今回のテストのルールのすべてとする。わたしからのハンデとして、ここからの変容は一切無いことを約束しよう。このルールは、今この瞬間から適用されるものとする」
リリィーナ教官は誓いをたてるように右手を挙げた。
「明日のフェスティバル開催が楽しみだ。では、今日はこれで解散したまえ」




